日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

使徒言行録20:17-35「苦難の共同体」

2021-08-13 10:58:15 | 説教

「受けるよりは与えるほうが幸いである」使徒言行録20:35

 

パウロがミレトスに着いた時に、エフェソの教会の人々をパウロがわざわざ呼び出しております。ミレトスからエフェソは60キロメートルも離れたところにあります。よほど双方は会いたかったと考えられます。

パウロはこれからエルサレムに向かって進もうとしております。そこでは苦難が待ち構えております。今生の別れの挨拶をするパウロの切なる思いはエフェソの教会の人も受け止めております。

彼は「受けるよりは与える方が幸いである」と述べております。日々のパンに欠けた状態では、飢えた人々にパンを与えることは難しく思えます。又与えられる方を中心に私たちは生きているところがあります。

神から頂いたものは自分だけで握りしめるのではなく、与えることの中に豊かさがあるように思います。誰でもが与えるよりも受ける方が幸いであると私たちは考えがちです。

キリスト教徒で教育者の新島 襄と、片や日本の海軍創始者で政治家の勝 海舟という、異なる2人の間に交友関係があったようです。八重の兄の山本覚馬が江戸に出て学んだ塾で勝 海舟と一緒だったことから、この縁によるものであろうと言われています。

 

「彼らは世より取らんとす、我らは世に与えんと欲す」と言う言葉があります。この言葉は、同志社の創立者新島襄の葬儀に際して勝海舟が書いたとされる言葉で、新島襄の生き方、示したものです。 彼は「取る」のではなく「与えること」が大切ですと繰り返し、学生たちにも述べ伝えてきました。

神は、神の御子イエス・キリストを、私たちに無償で与えて下さいました。イエス・キリストは、誉れと栄光の権利を捨て、みずから謙り、貧しい一人の人間としてこの世に生まれ、自らの命を与え尽くして、私たちの代わりに、十字架で死んで下さいました。この主イエスの生き方は、「与える」という生き方でありました。

受ける方が幸いだと生きている私たちを、その「貪り」の罪の縄目から解き放つ力がそこにあります。

はんぶんこを題材にした絵本があります。どこまでいってもはんぶんこ(文 安東みきえ  絵 塩田守男) はんぶんこ(さく え TERUKO)

 どちらの絵本も味わい深い絵本です。

 ザアカイもイエス様と出会ってはんぶんこの素敵な世界へと導かれました。

 はんぶんこという日本語は、暖かい言葉です。

 はんぶんこすると、与えた半分は半分以上のものになっていきます.お友だちとの友情が深まったり、他者がしあわせになるのを見て自分がしあわせになったり。

 はんぶんは自分にとっておくという考え方もいいなあと思います。楽しい遊びの提案もアイデアも、好きだと言う気持ちも半分だけ伝えて、相手にも考えてもらったり、想像してもらったり、選択の余地を与えたり、委ねたり、人格を重んじたり。

はんぶんこで生まれる人間関係は、楽しくて、豊かで、暖かく、周りの人を幸せにしてきます。与えたはんぶんこがそれ以上のものになっていくことでしょう。

どこまでいってもはんぶんこ・・・・・

きっとはんぶんこすることの喜びは永遠に伝えられていくように思います。

苦難の生活の中で共同体は分かち合うことによって喜びとそれを乗り越える力が与えられていきました。


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