日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

コリントの信徒への手紙一11:23-29「聖餐」

2020-08-15 11:14:17 | フォトギャラリー

だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるとき  まで、主の死を告げ知らせるのです。

                        コリントの信徒への手紙一11:26

コリント教会には、問題がありました。それは、裕福な人々が貧しい人々を軽んじるということでした。同じ教会の兄弟姉妹でありながら、愛の配慮に欠けたところがあったのです。

初代の教会は、よく食事を共にしましたが、当時は貧しい人々が多くいました。信仰のゆえに、迫害を受け、貧しくなった人々もいました。そのような人々と食べ物を分けあい、彼らを励ますためのものでした。それは、たんに空腹を満たすとか、教会の活動に備えるというためのものではなく、もっと信仰的、福祉的なものでした。

 

ところが、コリントでは、裕福な人が自分のご馳走を持ってきて、我先にと食べるばかりで、貧しい人がそれを指をくわえて見ているだけということがあったのです。

パウロは「食事のとき、めいめい我先にと自分の食事を済ませるので、空腹な者もおれば、酔っている者もいるというしまつです。」(21節)と言っています。

コリント教会は、家の教会でありました。キリスト者各自が食べ物を持ち寄って、ある家で愛餐をしました。そして愛餐の食事の席で主の晩餐が行われました。

コリント教会はある家にキリスト者たちが集まり、そこで愛餐の食事をし、その時に聖餐式を行っていたのです。 複数の人が集まるので、ある程度の広さが求められます。

それゆえにお金持ちの家が会場でした。

お金持ちは、人を雇う立場でありましたので、時間も自由に使えましたし、余裕がありました。

ですから金持ちは、早くからある家に集まり、たくさん食料やワインを持ち込み、飲み食いをしました。奴隷たちは夜にその家の集まりに来ました。彼らは、持ち込める自分たちの食料もワインもなかったので、愛餐の食事のときは空腹で過ごしました。

パウロは、コリント教会の金持ちのキリスト者たちを叱っています。彼らがコリント教会の仲間割れの原因になっていたからです。

そこで、聖餐式の意味について、大切なことをパウロは伝えています。

パウロは、ローマの信徒への手紙14章17節で「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」と述べています。

主の食卓は義と平和と喜びであるはずなのに、「争いや差別があるとはなんということか」とパウロは嘆いています。

そこでパウロは主の晩餐の場面を23節から引用しています。

「主の晩餐」が、イエス様の肉を食べ、イエス様の血を飲むことであるならば、その「主の晩餐」にあずかるお互いは、とてつもなく太い絆で結び合わされることになります。キリストの命という絆で結び合わされることになるのです。その絆はあまりにも太いので、人間同士を引き裂くいかなる隔ての壁をも突き破って結びつけてしまうものなのです。

キリストが体を引き裂き、血を流し、その肉と血を食べさせて、結び合わせてくださったのですから。

それゆえに実際、教会において、奴隷と主人が一緒に食事をするというような奇跡が起こったのです。ユダヤ人と異邦人が食事を共にするという、到底起こり得ないようなことが起こったのです。

「主の晩餐」とは、イエス様の裂かれたからだをあらわす「パン」、それにイエス様の流された血をあらわす「杯」をいただくことです。

聖餐式は、イエスを覚え、その死を告げ知らせるために制定されたものであります。イエスを覚えるとは、そのいのちの恵みをいただき、その血によって私たちの罪が洗い流されていることを喜び感謝するとき、それを心に刻んで新しい歩みを始めるスタートであります。それは何のために定められたのでしょうか。

 

 聖餐式は、イエスを覚え、その死を告げ知らせるために制定されたものであります。イエスを覚えるとは、そのいのちの恵みをいただき、その血によって私たちの罪が洗い流されていることを喜び感謝するとき、それを心に刻んで新しい歩みを始めるスタートであります。

 聖餐式は主の死を記念するために定められたものです。主の死を記念するとはどういうことでしょうか。それは主を十字架につけた敵対者へのうらみを忘れないようにするためんではありません。恐れおののくことでもありません。

 死というのは、愛する者との地上での別れをもたらしていきます。そういう意味では人と人とを引き離す力があります。しかし、遠い遺族や故人との関係者をその場に集める力があります。記念・追悼していくために、人々は一つの場所に集められていくのです。何か大きな力にとらえられているかのように。

 慈愛に満ちた神の子の死は、そのことを記念するために集まった人々、その関係性に変化をもたらしていきます。

 イエスさまの死が記念されることにより、集められた人々に救いがもたらされ、その関係性に和解がもたらされ、永遠性に結びつけられていくのです。

 主によってもたらされた絆は、永遠につながっていくのです

 地上での別れを経験していても、神の国の食卓で再会できるのです。


使徒言行録27:33-44 「破局からの救い」

2020-08-04 11:00:27 | フォトギャラリー

パウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。

                          使徒言行録27:35

パウロは、ローマ皇帝による裁判を受けるために他の囚人たちと共に船で護送されているところでした。

 パウロは、イエス・キリストの教えを宣べ伝えて活動していました。イエスの教えに憎悪する者たちは、そのイエスの教えのもたらした福音を宣べ伝えるパウロ捕らえ、人々を惑わす者として、告発します。

 パウロがローマ皇帝に上訴したため、ローマへ向かうことになったのです。

 クレタ島に「良い港」というところがあります。その港に滞在している頃、季節は海が荒れ始める冬を迎えようとしていました。航海に危険な時期です。

 ただ、良い港と呼ばれる場所は、その名前とは裏腹に冬を越すには、あまりふさわしくないところだったようで、となりのフェニクスまで船で移動し、そこで冬をこすことになったのです。

 しかし、パウロは、出航に反対しました。身の危険を感じたからでした。しかし、反対したにもかかわらず、船員たちは、反対を押し切って船を出します。

 ちょうど南風が吹いてきました。好転と思えたのです。

 

 ところが穏やかに思われた天候が急変します。島にそびえる山から吹き下ろす暴風が、吹き荒れました。彼らは嵐の中、漂流します。 何日もの間、重く暗い雲が空から船に向かってのしかかり、すべての光を遮ってしまいます。

 太陽も星も見えなくなり、方向性や明かりで、心の支えとなっているものはなくなりました。

 

 暴風に翻弄される船の中で、人々は、もはや生きる望みを失ってしまいます。人々は、食べ物を口にすることすらしていませんでした。

 14日目の夜中、どこかの陸地に近づいていることを感じ取ります。

 しかし、同時にそれは暗礁に乗り上げる危険性が潜んでいました。

 船乗りたちは、船首から錨を降ろすふりをして、小舟を降ろし、自分たちだけで密かに避難しようとします。

しかし、パウロはそれを阻止します。

パウロは夜が明ける薄明かりの中で人々に呼びかけます。

「今日で14日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるためです。」生きるために食べる。それは生きる望みをすてないということです。パウロは嵐が止んでいない中でこのような呼びかけをいたしました。

パウロは、一同の前でパンを取って感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めました。それは危機の中での主イエスの給食の奇跡を思い起します。5000人以上の人々のために、5つのパンと2匹の魚を分け与えた主の奇跡を指し示しています。

 最後の晩餐の席で、主イエスが感謝の祈りをささげてパンを裂き、わたしを記念するためこれを行いなさいと語られた姿と重なってきます。

 神の御心に生涯従い、その結果、十字架にかけられ処刑された主イエスが、神によって新しい命へ復活され、人々に真の望みをもたらされた時、主は弟子たちと食事をされました。

豊かな希望を分かち合われました。

パウロは、単に生き延びるために食事をしたというのではなく、どんな困難な中にあっても神が支え導いてくださることに信頼して、その食事を感謝してとったのです。

生きる力が無くなると食欲が落ち、そうするとますます生きる力が失われという悪循環の中で弱って行きました。しかし、この食事をきっかけに生きることに前向きになれました。すると食欲が

湧き、食べて元気が出てくるとますます食欲が湧き、希望に向かって歩んでいけるようになっていきました。

命の道へと歩み続けるパウロのその姿。むしゃむしゃとパンを活き活きと食べるパウロの表情が、闇の中に輝く光のように人々を元気づけました。甦りの主イエスは魚を頬張って、弟子達を励ましました。

 

生きる意欲、希望を感じるような食べ方です。「食べっぷりがいいね」と感じるシーンです。

英語ではgood eaterと言います。だから、それを見た人々は、元気になって食事をし始めたのです。

生きる希望を失っている人々が、自分も同じ状況の中におりながら全く希望を失わず食事をするパウロの姿を見て、元気づけられたのです。

そうして、この分ち合いの体験をすることによって、自分たちだけが助かろうとしていた人も、「みんなが助かれば良い」という気持ちになっていきました。

35節に「こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。」とあります。ここには聖餐を指し示す言葉が使われています。この時代の聖餐というのは、今私共が行っているのと同じ形ではなかったと思いますけれど、この時のパウロの食事が、主イエスの御臨在のもとでの、主イエスの命に、主イエスの力に、主イエスの希望に与る食事であったことは間違いないでしょう。

食べることもできないほどに落ち込み、希望を失っている人たち。それらの人たちに、神の守りを語り、感謝の祈りと共にパンを食べたパウロ。その行動のひとつひとつに、人々は励ましを受け、同じようにして、感謝のうちに、食事をして、一同が元気づいたとあります。

人々は、不安の中にいます。望みが消えうせたところにいます。福音が必要です。慰めが、救いが必要です。神様のことが語られると、感謝の祈りがささげられると、人々は、安堵して、食べ始めます。

教会は口にはいる食べ物も大切にしますが、心にはいる食べ物も大切にします。

22節 25節でパウロは「元気を出しなさい」と繰り返し励ましています。36節では「一同が元気づいています。

ギリシャ語で元気づけることを「ユースメオー」と言います。「ユー」は「良い」を意味しています。「スメオー」は「感じる」を意味します。良い豊かな感情を持つことを意味します。

絶望・疲れ・脱力感を感じるような時があります。そういう時に、希望や活力を感じる時がもたらされていくのです。元気のもととなるのは、まさしく主が共にいてくださるということです。

この船の中に直接主イエスの姿を見ることはできません。しかし、興味深いことに、このような

時になって船に乗り合わせた人々の目と耳は、パウロの語ること、パウロの祈りに向かって開かれています。

 パウロの仲間も敵対者も裏切る者も共に、この希望に目が開かれていきます。

私たちもパウロのように勇気と平安を分ち合う人に成長していくことを願っております。