あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人
およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい。
申命記26: 11
約束の地カナンに入った時に、救いの恵みをいい表し、産物の初物を捧げるようにと命じられています。
神様への感謝を教えています。約束の地カナンに入った時、初めての収穫物を刈り入れるのです。それまでは、イスラエルの民は、天から降る神のマナによって養われてきました。しかし、マナは降り止み、彼らは自分たちで種を蒔いて、育てた麦・野菜・果物で生きていくようになります。
しかし、そのことによって神が、養い、お導きくださっていることを忘れ、自分たちの力で生きていくと、勘違いしてしまう危険がありました。神が私たちをお導きくださっていることを覚え、感謝を捧げていくことが大切ですね。
太陽や土や雨は神様が下さったものですから、今日はいろいろな食べ物を並べて礼拝を守りました。そして、育てて下さる神様に、「ありがとうございます」と感謝を表しましょう。
今日は収穫感謝の礼拝をささげています。しかしこの収穫感謝も、ただ、野菜や果物をちょこっと持ってきて、「神様感謝です」と言うだけで良いのでしょうか。申命記16章によると、収穫を感謝する時は子も奴隷も、町にいるレビ人も、寄留者、孤児、寡婦も、一緒に喜び祝うことが大切でした。
野菜や果物を畑で育てるのは人間ですが、人はそれらの命をつくることは出来ません。又雨を降らすことも土をつくることも出来ません。
大根の種はとても小さな種です。その種を蒔いても四六時中、見ていることは出来ません。私達が忘れている間も大根は育っています。ある方が世話をしているのですよ。大地の胎に種を抱き、愛を持って育み育てたのは神様であられます。
同じ土と太陽の下に味も形も大きさも違うリンゴと梨の木がどうして生まれ育つのでしょうか。不思議ですね。
野菜や果物はスーパーで買うことが出来ますが、その命をつくり、人間が見ていない間も愛し育てて下さったのは神様です。
だから食べ物は大切にしましょうね。また、独り占めしないで分かちあっていくことが大切です。
神様が下さった恵を今の人と又後世の人と分かち合っていくことが大切です。」
自然を傷つけることは結局自分を傷つけることです。
金芝河(キム・ジハ)という韓国の詩人がいます。彼が書いた戯曲(の構想)の中に「飯が天です」という詩が出てきます。
飯が天です/天を独りでは支えられぬように/飯はたがいに分かち合って食べるもの/飯が天です/天の星をともに見るように/飯はみんなで一緒に食べるもの/飯が天です/飯が口に入るとき/天を体に迎えます/飯が天です/ああ 飯は/みんながたがいに分かち食べるもの
自然を傷つけることは自分を傷つけることです。神様から預かった自然を大切にし、未来の人たちとも恵を分かち合いましょう。
およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい。
申命記26: 11
約束の地カナンに入った時に、救いの恵みをいい表し、産物の初物を捧げるようにと命じられています。
神様への感謝を教えています。約束の地カナンに入った時、初めての収穫物を刈り入れるのです。それまでは、イスラエルの民は、天から降る神のマナによって養われてきました。しかし、マナは降り止み、彼らは自分たちで種を蒔いて、育てた麦・野菜・果物で生きていくようになります。
しかし、そのことによって神が、養い、お導きくださっていることを忘れ、自分たちの力で生きていくと、勘違いしてしまう危険がありました。神が私たちをお導きくださっていることを覚え、感謝を捧げていくことが大切ですね。
太陽や土や雨は神様が下さったものですから、今日はいろいろな食べ物を並べて礼拝を守りました。そして、育てて下さる神様に、「ありがとうございます」と感謝を表しましょう。
今日は収穫感謝の礼拝をささげています。しかしこの収穫感謝も、ただ、野菜や果物をちょこっと持ってきて、「神様感謝です」と言うだけで良いのでしょうか。申命記16章によると、収穫を感謝する時は子も奴隷も、町にいるレビ人も、寄留者、孤児、寡婦も、一緒に喜び祝うことが大切でした。
野菜や果物を畑で育てるのは人間ですが、人はそれらの命をつくることは出来ません。又雨を降らすことも土をつくることも出来ません。
大根の種はとても小さな種です。その種を蒔いても四六時中、見ていることは出来ません。私達が忘れている間も大根は育っています。ある方が世話をしているのですよ。大地の胎に種を抱き、愛を持って育み育てたのは神様であられます。
同じ土と太陽の下に味も形も大きさも違うリンゴと梨の木がどうして生まれ育つのでしょうか。不思議ですね。
野菜や果物はスーパーで買うことが出来ますが、その命をつくり、人間が見ていない間も愛し育てて下さったのは神様です。
だから食べ物は大切にしましょうね。また、独り占めしないで分かちあっていくことが大切です。
神様が下さった恵を今の人と又後世の人と分かち合っていくことが大切です。」
自然を傷つけることは結局自分を傷つけることです。
金芝河(キム・ジハ)という韓国の詩人がいます。彼が書いた戯曲(の構想)の中に「飯が天です」という詩が出てきます。
飯が天です/天を独りでは支えられぬように/飯はたがいに分かち合って食べるもの/飯が天です/天の星をともに見るように/飯はみんなで一緒に食べるもの/飯が天です/飯が口に入るとき/天を体に迎えます/飯が天です/ああ 飯は/みんながたがいに分かち食べるもの
自然を傷つけることは自分を傷つけることです。神様から預かった自然を大切にし、未来の人たちとも恵を分かち合いましょう。