炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
使徒言行録2:3
ペンテコステの礼拝を本日はお守りします。 ペンテコステとは「50」を意味するギリシャ語から来ています。イエスの復活から数えて、50日目に見えない神の力がイエスの弟子達に注がれた日であります。
過ぎこしの祭りから数えて50日目に渡る、ペンテコステに日に多くの国から外国人がやってきて、モーセが十戒を与えられたことを記念したり、小麦の刈り入れをお祝いしてました。
聖霊降臨祭(ペンテコステ)は復活祭(イースター)、降誕祭(クリスマス)と並んで、キリスト教三大祝祭の一つで、イエスキリストが復活してから50日目にあたりますから、ギリシャ語で「50」という意味の「ペンテコステ」と言われます。この祝祭はキリスト教会の誕生日と言われています。ペンテコステの礼拝を本日はお守りします。 ペンテコステとは「50」を意味するギリシャ語から来ています。イエスの復活から数えて、50日目に見えない神の力がイエスの弟子達に注がれた日であります。
過ぎこしの祭りから数えて50日目に渡る、ペンテコステに日に多くの国から外国人がやってきて、モーセが十戒を与えられたことを記念したり、小麦の刈り入れをお祝いしてました。 ペンテコステの日、主イエスに従った一同が一つになって集まっていると、聖霊が降ってきました。その時の様子が本日の聖書に記されています。2~4節 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
ここで、大事なことは、様々な言葉の違いを超えて、「話が通じた」ということです。コミュニケーションが回復したのです。11節に「あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」と驚いています。
聖霊は、「炎のような分かれた舌」のように、ひとりひとりの上に留まったとあります。もちろん、これは、象徴的な意味を持っています。聖霊は、炎とか火と関連づけられていますが、
聖霊が注がれて、弟子達はこころが燃えた。汚れを焼き尽くす火。冷たくなった心を暖かくしてくれる火のようです。
舌のようにと書いてありました。舌というのは、言葉を語るために神様が備えて下さったものです。この場合の「舌」は言語を発するための器官ではなく、「言葉」そのものを意味します。「炎のような舌」は、「激しい風」同様、「天からもたらされた言葉」、つまり神の言葉です。
弟子達の内側が聖霊で一杯にされたんだと言います。
舌はグローッサイというギリシア語。このグローッサイは4節では「言葉」と訳されています。神の言葉に出会った者は、「別の言葉」を話し出したということです。
キャンプフアィヤーの炎のようです。それは火の粉をあげて燃え上がります。私達に降りてきた神の言葉が燃え上がるのなら、口から出る言葉も火の粉となって隣人に届くことでしょう。そのことによって、聞く人の心に信仰の炎が灯されていくののなら幸いです。
キリストの愛を力強く語りかける者して用いられたら幸いです。
人々を愛し、生かし、支え、その人たちに希望を与える愛の炎・愛の言葉が降ってきた日それこそがペンテコステなのです。