日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

ゆったりと

2014-03-22 13:24:30 | キリスト教保育
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
                       マルコによる福音書10:16

 空の鳥が空気を必要とするように、魚が水を必要とするように、私たち人間は
互いに受け入れられることを必要とします。(モルトマン)
主は幼子を祝福し、受け入れました。
 その時代、幼子は一人前とは見なされていませんでした。しかし、主は幼児期を過ごす子どもを受け入れ、祝福しました。大人優先の社会にあって、そのことは驚くべきことでありました。
 Childish -子どもらしい・幼稚・大人げない・子どもじみた
 Childlike -子どもらしい・率直な・無邪気・純真・神や人を信頼する 
 大人は幼児期を重要視しているでしょうか。早く、子どもが大人になることを求め焦っていないでしょうか。幼子を大切にしない、大人だけの世界の論理。
 幼き時から深い宗教性・精神性を養うことが大切です。イエス様の祝福のみ手の
中で、ゆったりと自分らしさを発揮しながら、幼児期に出来る豊かな経験を重ねていくことです。
イエス様は子どもらしさを、大切のこととして受け止めておられます。
 (子どもらしさ)「幼稚っぽさ」とは違う、「未来に向かって熟し始めている未熟
         さ」。倉橋惣三氏


 美しい自然の中で、豊かな出会いと体験がありますことを願っています。
 幼児期を木に譬えるのなら、根づくりにあたります。子どもが成長して、実を結び、様々な命がそこに憩うための、大切な時期となります。
 現在は、効率主義的な傾向が強くなっているように思います。幼児期をないがしろにして、早く大人になることばかりに心奪われてはなりません。
 根をしっかり育ててこそ、将来、花を咲かせることが出来ます。花を咲かせることばかりに急いでしまいますと、根が育たなくて、散り急ぐ結果になるかもしれません。
 柳沼てるこ先生(武蔵音楽大学・青山こどもの城)が子どもの姿についてこう言われています。「私が願う子どもの姿は、自分自身の『心の声』に耳を傾け、心と体をいっぱいに使い、自分の考えを持ち、自分の言葉で話し、音を出し、動くことができ、自分の表現を生み出すことの出来る子です。そして、相手を理解し認める力をつけること」
 そのために、ゆったりとした雰囲気の中で、子ども達の自主性・創造力を見守ることが大切です。子ども達が自発的におもしろいこと、楽しいことを見つけ、遊びを遊べる力、遊びを楽しむ力、遊びを作り出す力が育てられることを願っています。
小学校入学前は、経験を沢山積むことが大切であると言われています。経験を重ね親しんできた「形」が、「言葉」として書き表すことの土台となります。
 「子どもの時代」をその子らしく過ごすことが大切ですね。

見つける

2014-03-22 13:21:46 | キリスト教保育
イエス様の譬えの中に、迷いだした一匹の羊を探し出し、その羊を発見した時に、回りの人達と共に喜ぶ「良き羊飼い」のお話があります。
子どもの良いところをたくさん見つける。そしてその良いところを引き出すこと。1日中自分の悪いことばかりを指摘されていては自信が持てるはずがありません。だから、子ども達の良いところを見つけることは大切です。見つけることの喜びと見つけられることの喜びは表裏一体です。子どもを信じて、子どもの美点に目を向けていく時、自分が見過ごしていた美しさを発見出来る人がいたことに、子どもは驚きを持ちます。このことは、愛や理解や分かち合いの美しい精神を育んでいきます。
人間というのは、自分がどんな能力や資質を持っているかは、人との関係の中で自覚します。この場合の比較とは、「優劣」ではなく「異同」です。どこが似ていてどこがちがうか。それをたくさん集めることで、自分を発見していくのです。
そのときに人と交わる力が弱いと、自分がどんな人間であるかが、自分で見えなくなります。
人と交わる力は、人を信じる力です、それがなければ、他人と深くかかわろうと思わないからです。
人を信じる力は、人から信じられているという実感に支えられていなければ得られません。
子どもの美点を見いだし、信じることによって、子どもは人と深く交われる子となれます。

動き出す

2014-03-22 13:15:30 | キリスト教保育
「地はお造りになったものに満ちている」
                       詩篇104:24

「地はお造りになったものに満ちている」と書かれています。まるで、世界をはじめて発見した子どものように詩人は目をみはって、造られた世界を見ています。
この世界は、創造主の豊かさや喜びが表現されています。詩人は、
主のみ業を讃えるのです。その事を言葉で伝えるよりも、体験することが大切です。
興味や好奇心に導かれて触れていく世界は、子どもにとって新たな出会いや発見に満ちています。周囲の大人や子どもと共感したり、楽しんだりする中で、子どもの情感が豊かに育っていきます。又そこから自我が芽生えてくるのです。
今月の主題は「動き出す」は「動き」と「出す」の二つの言葉からできています。「出す」ことによって見えるようになる前に、子ども達の心の中に始まっている「動き」を大切に受け止めたいと思います。
環境との相互作用において重要なことは、自分から興味や関心を持って自発的、主体的に関わろうとする意欲と態度です。
暖かく見守られているという安心感が、そのような発達の援助に必要です。
豊かな自然環境に触れる機会を持ったり、安全に過ごすことの出来る環境を整えたりして、子ども達の主体的に関わろうとする意欲や態度を育てていきたいと願っています。

自分を生きる -共にある喜びへ-

2014-03-22 12:57:37 | キリスト教保育
「わたしの目にあなたは値高く、貴く」
                      イザヤ書43:4


「聖書は神さまからのラブレターである」と言ったのはデンマークの神学者キルケゴールでした。聖書のどのページを開いても、神さまからの "I love you." という声が響いてきます。「あなたは私の大切な存在」という神さまの確かな声を子ども達に伝えたいと願っています。
 「私の目にあなたは価高く、貴く」(イザヤ書43章4節)と聖書に書かれています。
 人間は神様に似せて創造されたので、一人一人に神様は素敵な贈り物を
下さっています。贈り物は個性です。ひぐちみちこさんがその著書「子どもの翼を信じて」の中でこう述べています。
 「もし、小さい時から歌が好きな子がいても、『○○ちゃんは歌が好きでよく歌ってくれるから、お母さんもうれしいわ』とか『いい声だね』と誰も言ってくれないなら、その子が『自分は歌が好きだ』と認識することはむずかしいかもしれません」と。
 素敵な個性を、まわりの大人に認めてもらえなかったら、それによって自分でも認識できなくなるのです。受容されている自分を受容することが、「自分を生きる」ことにつながっていきます。
 子ども達が安心して自分を出していけるように配慮すると共に、まるごと、保育者が子ども達を受け止め、懸命に応じることが求められます。
 そのために、一人一人を大切にされている神様のまなざしの中で、子ども達を見直し、自分を見直していくことが大切です。
 神様は大人同士が共に支え合い、子どもの育ちに懸命に生きている姿を尊いとされ、重んじて下さいます。
 私達も、園児・保護者のみなさんと、互いの「よさ」を見つけながらつながりを深め、共にあり共に生かされている喜びへと押し出されることを願っています。

讃美

2014-03-22 12:50:01 | キリスト教保育
「主に向かって心からほめ歌いなさい」
                   エフェソの信徒への手紙5章19節 


 主題聖句は「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」というエフェソの信徒への手紙5章19節のみ言葉です。
 音や音楽は、不思議な力があります。音や音楽にその人の姿が映し出されたり、音に合わせて、自分のテンポをつかんだり出来ます。又相手の音に応答したり、自分の音を受け止める人がいてくれることによって、大切なコミュニケーションを学んだり、受容の喜びを感じたりすることが出来ますし、共感される体験も出来ます。
音楽の中で、「息が合った」という「快」の体験も、社会にはいっていく上で大切なことを学んでいるように思います
 音や音楽を、人の豊かな生の保障のために機能させる試みが、様々な現場でなされています。    
 グレース保育園では、讃美歌を歌います。讃美歌は神様を大きくして歌うものです。神様に向かって感謝の歌を歌い、神様からの応答を讃美歌の中に感じます。
その歌をみんなで歌うことを通して一緒にいる一体感を感じたり、共にいる喜びを感じたり、自分の気持ちを言葉にして外に表現出来たり、元気をなくした、子どもが友達の歌声によって癒されていくことが起こったりします。
 神様に向かって讃美する歌心を持って、お互い語り合い、慰め合い、体験し合うことが、今月の活動の土台となります。
 保育園はオーケストラです。指揮者はイエス様です。イエス様の光に照らされて
それぞれの個性ある音色でシンフォニーを奏でたいと思います。
 そして、そのような姿勢で、人を愛し愛されることの心地よさ、一人一人が大切な存在だということを伝えていきたいと願っています。そして、「みんな一緒に」あることの楽しさを伝えたいと思います。