日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

なごり雪

2012-02-20 00:16:20 | ちょっと一息 
別れの季節が近づいてきました。
卒園 進学  就職 転勤などてお別れする時
せつない気持ちになりますね。

大分県津久見市出身の伊勢正三さん
の「なごり雪」という歌。
別れの季節に、口ずさみます。

お別れの歌ですが、とても優しい視点で書かれ
た曲です。

「春が来て君はきれいになった」♪
「去年よりずっときれいになった」♪
印象的なフレーズです。
他の人と比べることなく、その人に目が注がれています。
伊勢正三さんの優しい視点が伝わります。
私もそんな視点で、巣立つ人を見たいと思いました。


「『なごり雪』の歌に『去年よりずっときれいになった』というフレーズがあります。ほめことばとしてこれ以上のものがあるでしょうか。他人と比較するのではなく、自分自身の変化を他人に認められること、これこそが、嬉しいほめことばなのです。この『なごり雪』の精神で、子どもの進歩を認めること、これがとても重要です」(内田伸子さんの言葉)
 なごり雪って、どういう意味でしょうか。考えさせられますね。 共に過ごした冬の終わりを告げる雪。落ちては溶けてゆく雪を見ているとせつなくなり別れがつらく、名残惜しいと思う気持ち。
 季節の終わりを告げる雪・別れを告げる雪。しかし、その雪は新しい季節の訪れを伝えます。そんな雪を見つめる中で、新しい春に向かう君に気づき始め、作者は旅立つ君にエールをおくっているような気がします。

music therapy

2012-02-09 01:04:57 | キリスト教保育
 2月3日から4日にお中島恵子先生(子ども音楽センター・ミュージックセラピスト)
をお迎えして、音遊びの研修(於 グレース保育園)の時を持ちました。
設定する音遊びのプログラムが、「出来るか、出来ないかを調べる怖い検査のようになっていないか」という先生からの問いかけがありました。
 大人は、枠にはめたがったり、マニュアル好きで、つくり出す内容が少なくなっていく傾向があります。大切なことは、子どもが何を欲しているかを受け止めるところから始まります。音遊びの基本は、子どもの中から出てくるものです。
子ども達にとって、自分の感覚を使う経験が大切です。又、今、感じていることが多いいほど良いと思います。感じたことが、言葉の概念を裏付けていくことにつながりますし、「気づく」のも感覚的なことです。
現代は、感覚を使うと言う体験が、少なくなっているように思います。
沢山感じられる、子ども達が楽しいと思えるプログラムを生みだすことを願いたいと思います。
 人の発達は関係の発達と言われています。自分で出来た満足感とかを、受け止めてくれる共感者がいることが、その子の自信につながります。又、感じたことに共感者がいることによって、「この感覚はいいんだと」という気持ちになります。共感は自立を促していきます。


音の光が子ども達の心に届きますように!

ヨハネによる福音書8:21-36  「教えるイエス」

2012-02-08 16:40:52 | 説教
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。
        ヨハネによる福音書8:32

 主イエスの弟子であるということは、主のみ言葉に留まる者であります。キリストの言葉につながること、規定されることを意味します。主のみ言葉を受け入れ、その言葉が、信じる者の心に根をおろしていることが大切です。
 「真理」というと何か冷たくて、私たちを圧迫するようなものと考えてしまわないでしょうか。しかし、主が「真理」である時、そのイメージは変わります。
 主イエスは「わたしは真理である」と言っておられます。イエスは決して氷のように冷酷な方ではありません。私たちが罪の奴隷となっていることを、心からあわれみ、私たちを、そこから自由にするために命を投げ出してくださったのです。
 主のみ言葉は真理であります。真理や真実を知ると、それに対するわたしたちの生き方が問われてきます。
  現状肯定の生活ではなく、主の招きには常に新しさがあります。そして、自由というのは罪の奴隷状態から解放であります。
  欲望や快楽、野心に心が動かされている限り、救いはありません。主のみ後に従うところに救いはあります。そして、そのような人生の道はけっして平坦なものではありませんが、神さまは必ずわたしたちを守り導いてくださるのです。わたしたちも、神さまがそのように働きかけてくださることを信じる者でありたい、と思います。
 私達が真理を求める以前に、真理である主イエスが私達も求めておられるのです。
私たちは親のしつけを受け止めて育てられました。そうしないと愛してもらえないから、聞き従うのではありません。
 そういう育て方をされたならば、心からの悔い改めはありません。
親の愛がわかるから、聞き従うのです。親が命令を下すのは私たちを試すためでも、支配するためでもありません。私たちのことを大切にしてくれる。だからこそ、言われるとわかるから聞き従うのです
 イエス様の真理は、怖い検査のようなものではありません。
  神様は親以上の存在です。そして、私たちを滅びから救おうとされているのです。それゆえに、言葉を下さるのです。神様の愛を感じると共に、私たちを大事にして下さる神様のみ言葉は、ライフラインすなわち私たちにとって命綱であります。
キリスト教徒を迫害していたパウロは、伝道者に生まれ変わりました。主の愛が彼に真理を示したのです。
神の愛と真理が私たちを捕らえてくださる。共にいて下さり、真理に従えるように、力を与え下さいます。

ヨハネによる福音書2:13-25 「新しい神殿」

2012-02-08 16:37:08 | 説教
弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。
                  ヨハネによる福音書2:17



 過ちを犯さないで大人になる人はいません。重要なことはいかに過ちを悟らせ、その事を理解させ、正しい方向に導くかです。「カーッ」となる前に、深呼吸して、何に対して怒っているのかを、頭を冷やしてあやして、考えることも必要です。
 主イエスが怒られた時に、弟子達はその理由を理解しました。
「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす。」という詩編69:10の言葉を弟子達は、思い出したのです。真の礼拝を回復するために主は熱心であられた、それゆえに受難の道を歩まれると理解したのです。
これは、詩編69:10の言葉です。
 
 主イエスも、父なる神を慕うあまりに、「まことの礼拝」をささげていない神殿とユダヤ人に対して怒りを覚えます。それゆえに苦難を受けるのです。
 激しい愛をもってかかわろうとする神の愛の表現がここに示されています。
 父の家への主の情熱は、私達の救いのためです。私達が神の慈しみに触れるためです。

 怒りは、古いものを批判し廃棄します。しかし、批判のエネルギーには愛がなければいけません。批判のエネルギーは、それが愛によって生かされた時に、真の新しいものの建設の力として働きます。主はエルサレムを中心として神殿の礼拝ではなく、全世界で神をたたえることの出来る教会の礎を築きました。