日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

ルカによる福音書2:1-12 「降誕」

2011-12-27 16:47:27 | 説教
「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」
                                ルカによる福音書2:12
 イエス様はベツレヘムというところでお生まれになられました。ベツレヘムとはパンの家という意味があります。飢えた人を養う救い主としてお生まれになったのであります。
 主イエスがお生まれになったところは、お城や御殿ではありませんでした。又王女からお生まれになったのではありません。貧しい少女マリアからお生まれになりました。
 うれしい、クリスマスの知らせを最初に聞いた人達は、羊飼いでした。彼らは、主に従った貧しい人々の先駆けとなった人達です。人々が寝静まる夜も働かなければならないのです。心が冷えるような暗い世界の中で生きていたのです。
 人々からは、汚れた存在として蔑まされていました。
 そして、多くの人々は住民登録に出かけましたが、彼らは、人として登録をされませんでした。ベツレヘムの東に位置するユダの荒れ野で、疎外されて、生きていたのです。
  当時、イスラエル社会で羊飼いは、一番軽んじられる仕事の中の一つでありました。 しかし、天使は彼らに一番先に「主がお生まれになった」ということを知らせました。
 この貧しい人々は、どんな人々でしょうか。お金がなくて貧しい人。心が沈んでいる人。苦しみと試練、挫折の状況にある人。
 しかし、一番に、神様はクリスマスの知らせを彼らに伝えます。それは、神様が彼らを愛しているからです。
 神の子イエスが、飼い葉桶にお生まれになったのは、偶然ではありません。神様のご計画だったのです。
 イエス様は飼い葉桶を目指してお生まれになったのです。飼い葉桶は貧しく、ボロボロですが、イエス様の栄光をあらわす器となりました。
 辛い日々の中で、夜明けを待ち望んでいた羊飼いの心の飼い葉桶にイエス様がお生まれになったのです。
 彼らは、権力者からは、一人前の人と認められませんでしたが、神は、彼らを天国の民として、登録されたのです。 そして、永遠の祝福をお与えになりました。 そして、神に仕える尊い働きを担う人になりました。
 神様は威張った姿ではなく、赤ちゃんの姿で、この世界に来られました。
 深い意味があります。
 家畜小屋で生まれた赤ちゃんは、みんなが近づくことが出来ます。神様は私達の罪をおゆるし下さり、受け入れて下さいます。
 それは、神様の決意表明のようです。「人間を救うために、自らを捧げる」という思いを、示されたのです。
 そして、私達人間への期待です。神のみ業のために私達を用いて下さいます。
幼子イエスに示された神様の深い愛が、貧しい羊飼いの心を支えていくのです。

クリスマス礼拝 クリスマス愛餐会

2011-12-25 21:41:35 | 出来事
本日、クリスマス礼拝を守りました。
グレース保育園の卒園児・在園児のご家族の方・地域の方々の新来会者がありました。
とても、うれしかったです。
療養されている牧師先生方々も出席され、お力を頂いたような気持ちになりました。
ありがとうございます。いつもお祈りしています。
51人の出席でした。
愛餐会は55人の出席でした。

青年会はなんと、LET IT BEを日本語で歌われました。そして、調子ノリノリの「森のクリスマス」を楽しく歌って下さいました。

 壮年会・女性会は讃美合唱です。子どもの教会も素敵なコーラスを聞かせて下さいました。
 なんだか、合唱コンコールみたいですね。みんな、金賞で、おめでとうございます。
 最後は湯元姉がユーミンのナンバーを披露。恋人はサンタクロース 
 HAPPY NEW YEARを披露。素敵な新年を迎えられそうです。
 牧師も挑発されて、来年は小田和正に挑戦しょうかなあ?
 あっという間の楽しい時間でした。 
 毎年、参加して下さるオカリナ同好会トトロの皆さん、今年も素敵な演奏ありがとうご ざいました。アレンジも素敵でした。

子どもクリスマス

2011-12-25 21:24:30 | 出来事

子どもクリスマスを24日 グレース保育園で開催。
 礼拝で、矢内原忠雄先生が紹介したイギリスのお話を紹介しました。
 クリスマスの夜 ある家の玄関のところに一人の子どもがいた。その子は兄弟もお父さん、お母さんもいない。一人ぼっち。ねぐらを探していた。
 その子は、玄関から、楽しそうなお家の様子を見て、両親のことを思いだした。
 両親から、イエス様にお祈りすることを教えてもらったことを思いだした。
 一人だけれども、お祈りしたら楽しくなった。
 その子はマッチを3本もっていた。
 一本すると、昔のことを思い出した。マッチの明かりの中に、質素な家だけれど、両親とクリスマスをお祝いしているところが見えてきた。
 2本目をすると、イエス様が見えてきた。そこは、イエス様のお家のクリスマス。子ども達がイエス様のお話を聞いている。歌を歌ってお祝いしている。
 3本目をすると、電灯のあるお部屋より明るくなって、天の使いが降りてきて、その子を抱き上げて天に上っていった。
 そのうちの人が、朝起きて玄関の戸を開けたら、その子が、天の使いのような顔して、死んでいた。
 家の人が、子どもを呼んで言った。「この子は、神様を信じて、かわいがられた子どもに違いない」「自分だけ喜ぶ、自分だけご馳走を食べて、楽しんだりしてはいけません。こういう子どもかわいがって、弱い気の毒な人を大切にし、それで、威張らないいい子になりなさい」。
  「矢内原先生の聖書ものがたり上」より引用。

 礼拝の後はかわいいペープサートを見ました。「サンタさんも、いろいろな人のことを考えてプレゼントを配るので、ご苦労されているのだなあ」「ありがとう」と思いました。
そして、○×クイズ 勝ち抜いたお友達には、素敵なハグのプレゼント。
最後はみんなでマルモリダンス。小学生のお友達、踊りが上手でした。
 

クリスマスのご挨拶

2011-12-23 21:33:20 | 出来事

MERRY CHRISTMAS
&A HAPPY NEW YEAR


暖かいお交わりに心から感謝します。
素敵なクリスマスをお過ごし下さい。
2000年前への巡礼の旅は現在に至り、そして未来へと!
平和の訪れを心から願います。



2011年12月24日
日本基督教団中津教会

ヨハネによる福音書1:19-28 神の言

2011-12-23 00:20:36 | 説教
 彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。
                  ヨハネによる福音書1:20
 イエスの道備えをしたバプテスマのヨハネという人がおります。イエスこそ神がお遣わしになったメシアだと証をした人物です。
 人々がこのヨハネのことを尊敬して、「あなたはメシアですか」と尋ねると、ヨハネは「わたしはメシアではない。イエスこそ本当のメシアである。そのかたの前では、わたしなどはそのくつのひもを解く値打ちのないものだ」といって、自分は「主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる声だ」というのです。
  彼が首を切られて処刑された後、焼かれた彼の遺体の人差し指だけが残ってという伝説があります。
キリストの光に照らされて、わたし達も死と罪と戦うことも大切でありますが、キリストの光を指し示す道しるべになることも大切です。
 立野泰博(たてのやすひろ )牧師が、「神様のおべんとう箱」という本の中で、一つのエピソードを語っておられます。神学生だったころ、園児が、師のところへやってきて、「先生は自分の話を自分で聞いて面白い?」。その時に気がつかれました、今まで聖書を「教えよう」と一生懸命になっていたということ。そこで先生は言われます。「イエスさまの言葉に、共に感動し、驚き、発見することが大切」と。
 主イエスの言葉には力があります。主イエスに感動する時に、私達は新しくされますし、回りの人々にも、み光を指し示す指となれます。
 教会はキリストではありません。私はメシアであると、直接に言わなくても、人間は傲慢になり、み恵に支えられていることを忘れてしまうことがあります。
 子どもの教会で相田みつをさんの詩が紹介されました。その詩がとても印象的でした。

    根

花を支える枝
枝を支える幹
幹を支える根
根は見えねんだ
なあー

クリスマスは華やかに、町でもお祝いされます。ロマンに満ちています。もしも、そこのところが、自分が楽しむだけで終わってしまったら、本当のクリスマスを知らないことになります。
 根のところを支えて下さるイエス様の恵を証しすることが大切です。

  イエスさまの言葉に、共に感動し、驚き、発見する時に、私達は新しくされていきます。そして、今の私達を支えて下さっているのが、イエス様です。
自分達の幸せ・喜びは、自分で作りあげたものではなく、必ず、そのために準備し、苦労して下さっている人がいます。見えないところを見て、感謝することが出来る人は、人として大きく成長していくのです。
 「イエス様のくつのひもを解く値打ちのない」私達をも愛し、救おうとされている主のみ業を受け止めつつ、感謝することこそが、クリスマスの日にふさわしいことであります。 私はメシアではありません、メシアが私達を支えて下さるから、今の私があり、これからの私があります。