日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

年会と宣教師の関係 

2017-07-13 17:00:31 | 中津教会の歴史
年会と宣教師の関係  釘宮辰生氏調査

  一 日本人の美以教会と宣教師の美以教会と云う様なる分裂を避けんため宣教
    師は年会の部会長の指揮を受けて働くなり。
  二 宣教師は悉く本国の年会に籍を置き、本国年会より送られ居る宣教師たる
    べし、即ち本国年会は毎年々会の時何某の任地日本とすべし。
     これと同時に悉く日本年会の会員たるべし、然る上は全然日本監督の使
    命の下に任地につくべし。かくせば一人にて二ケ年会の会員たる有様なれ
    ど、実例教会史上にありしとなり。
  三 宣教師は悉く番外議員たるべし、丁度組合教会及日本基督教会の如くなる
    べし、かくして日本年会は純日本人の年会たるべし。
     宣教師は宣教師会により、自己の宣教事業を任意に行うべし、従って宣
    教師の為す宣教費は日本年会に関係せず、又新伝道地を開く事、これを廃
    する事、補助者任命及び員数、其俸給を定むる事、伝道する家屋や位置の
    選定の事等は一切宣教師これを為し、日本年会の部長は干渉するを得ず。
  四 宣教師も日本人教師も同等の日本年会正員たるべし。しかして日本年会の
    監督の支配を受くべし。元来美以(メソジスト)教会は組合や日本基督教
    会の如く個々教会主義でなく、寧ろ団体主義即ち全体が一機関たる主義な
    り。宣教師は日本人と同様、日本監督の使命を負ふて任地に行くべし。
     元来日本に美以教会を創設せんために来たれる宣教師なるをもて、メソ
    ジストの精神を発揮して日本の監督権に服従して、日本の無経験の教師に
    メソジスト教師の真精神を実際に実行して示すべし。故に直接伝道の財政
    のごときも、宣教師の俸給、旅費、伝道費を除き、他は一切日本年会の権
    に渡すべし。
  五 宣教師は宣教師団体即ち宣教師会を有し、この代表者は宣教師の任地使命
    委員であって、監督の顧問である。(1907年2月9日の護教より)

中津教会史1920年~1931年

2017-07-06 16:01:21 | 中津教会の歴史
1920年 大正9年 ・中津教会主任 村岡武一牧師就任
 ・中津伝道教区主任 W.J.キャラハン師就任
 ・婦人伝道者  富田とよ師就任(教会内に住まれる)
  キャラハン師が定期的に松山から中津に通ってくる。後任宣教師まだ決まらず。
    ・松山からT型フォ-ドを持って来る。自動者伝道(宇佐 田川 行橋)


    陪餐会員65名(現住陪餐会員45名)
  ・西部年会記録には「教会は矢崎作平氏辞任後阻害し本年度は著しき発達を為し
   得ざりし、大成運動募金の為には想定額1千5百円を約束をなせり」とある。
  中津教会史Q&A「大成運動とは?」
   1919年6月宣教百年記念大成運動を起こし救霊につとめ、かつ日本メソジスト
   教会中央伝道資金の大募集を開始した。
  大成運動の宣言の要旨①福音の宣伝に力む ②社会奉仕をなす ③生活を聖別する
  ④教会の独立を完成して日本教化の基礎を造る ⑤人類同胞の精神を鼓舞し、以て
  国際共同の実を挙ぐること  1919年 日本メソジスト教会大成運動鎌倉大会


1921年 大正10年
  (豊前伝道教区主任) W.J.キャラハン師就任。
   豊前伝道教区(行橋豊津講義所 後藤寺教会 伊田講義所 添田出張所
          香春出張所)
  ・ヒュ-ズ宣教師が赴任する。ヒュ-ズ宣教師はテネシ-川にそったアユカとい
  う町で生まれました。サウスウェスタン大学(テキサス州ジョ-ジタウン)を卒
 業後結婚し、ダラスの南メソジスト大学神学部に入学して宣教師となり、日本に
  派遣される。32才という若さでスポ-ツが好きでしたから学生たちに人気があり
  ました。


1922年 大正11年 (豊前伝道教区主任)TWB デマリ-師就任
       (中津教会主任)  工藤官助牧師就任
  ・ヒュ-ズ宣教師8月山国川で水死。松本かずえさん、松本 保さんはヒュ-ズ
   師より洗礼を受ける。


1924年 大正13年
  (中津教会主任)釘宮辰生牧師就任(豊前伝道教区主任)WO フィリップ師就任



1925年 大正14年
   (中津教会主任)    本多正一伝道師就任
  (豊前伝道教区主任)  W.J.キャラハン師就任
  西部年会記録( 1926年度) によると「松山 卯の町 宇和島 大分 別府 中津
  行橋 後藤寺の八ケ所に幼稚園事業あり」とある。
    (現住者42名) 

1926年 昭和1年 (中津教会主任)I.Lシェ-バ師就任  伝道師 平田 潔師就任
 西部年会記録によると「大貞公園出張所の働きも望みあり」とある。
 (豊前伝道教区主任)I.Lシェ-バ師就任
  豊前伝道教区(行橋教会 豊津講義所 刈田出張所 後藤寺教会 宮床出張所
  添田出張所 赤池出張所 香春出張所 伊田講義所)
    会員総数 102名(正会員 100名 現住者23名)


1927年 昭和2年
 (行橋伝道教区主任)I.Lシェ-バ師就任
 (後藤寺伝道教区主任) I.Lシェ-バ師就任
 行橋伝道教区(行橋教会 刈田出張所 豊津講義所)
   後藤寺伝道教区(後藤寺教会 伊田講義所 宮床出張所 添田出張所 川崎出張所
  香春出張所 直方出張所 赤池出張所)
  西部年会記録によると「主任アイ、エル、シェ-バ-氏、渡部満久氏5月就任し
  種々牧会上の困難に耐え内容充実ようやく堅固なるを得たり」とある。
    会員総数 103名(正会員 101名 現住者18名)

1928年 昭和3年
 (中津教会主任)福地幾一牧師就任
   福地幾一牧師-1920年関西学院大学神学部卒業後 キャラハン宣教師の強い要請
   によって佐賀関教会の開拓伝道に従事。1921年地方伝道師となり、3年後杵築教
   会に転任、その間執事となり長老となる。1928年3月キャラハン師の強い要請に
   従い、始めて中津駅に降りる。その時は、4人の婦人会員が迎えた。

  西部年会記録によると「福地幾一兄杵築より転任し熱心忠実に伝道せし為め長く不
  振の状態に在った教会教務やや順調に向ひ、昨年末より好集会を続けるに至りまし
  た。宣教師シェ-バ-兄年末再度来朝して熱心応援しつつある」とある。
    会員総数 109名(正会員 99名 現住者13名) 日曜学校生徒数 105名

1929年 昭和4年

  キャラハン師は愛媛テント伝道隊主任となる。婦人伝道者 北川はる姉就任
    会員総数 123名(正会員 44名 現住者24名) 日曜学校生徒数 125名


1930年 昭和5年
 (中津伝道教区主任)I.L.シェ-バ就任
 中津伝道教区(中津教会 飯塚出張所) 福地牧師は中津教会主任と飯塚出張所
  を担当
    会員総数 125名(正会員 45名 現住者24名) 日曜学校生徒数 170名

1931年 昭和6年
    世界には一方で戦わんとする勢力の他に一方国際平和を求めんとする運動が盛んになりつつあるのである。
    別府修養会においてある海軍大佐の方が、「私達はどうしても無力で平和は来ない。イエスの精神によら
    なければならない」と涙ながら語られたことに心打たれた。
             福地幾一牧師説教ノ-トより  1931年主題「世界平和の実現」

中津における女性活動

2017-07-04 15:57:48 | 中津教会の歴史
<女性の活動の中津レポ-ト 1903>
中津における女性活動に関して、我々は二つの婦人会議を開いた。ひとつは中津で、もうひとつは行橋で開いた。行橋は中津から17マイルのところにある重要な鉄道拠点である。そこには、島田夫妻という大変力になる牧師がいる。彼らにとって、多くの立派な女性たちを集めることは幸運なことであった。かなりの女性が、キリスト教徒となり、また中には間もなくそうなって欲しいと我々が望んでいる者もいる。彼女たちは、料理を勉強することや聖書教室の手伝いをすることに大変熱心である。私は、行橋へ手助けのために、来年は一ヶ月に1回行こうと思っている。行橋では、信者たちにより日曜学校も開かれている。中津では、女性たちは月に二回会合を持っている。会合では、生島医師が毎月「伝染病について」「健康について、また病気の予防について」等の貴重な講義を行ってくださり、我々の会合に貴重な関心事をつけ加えていく。木下師は、キリストの生涯について考えてくださっている。また、料理、音楽、子どもの服の製作の勉強も行っている。我々は、これらの会合が女性たちの精神的助力となるようにできる限り努めている。なぜならば、もし彼女たちの宗教生活を高め、深めなければ、彼女たちが社交上楽しくても結局、これらの会合は取るに足りないものとなるからである。年にかなりのお金が集まってきているが、そのうちいくらかを岡山の孤児院と仙台の受難者収容所へ送り、毎月25銭を牧師の給料に当てている。婦人のためのキリスト教関係雑誌の中でベストのひとつである「トキワ」を講読しているが、今年はもう1冊か2冊良い本を取りたいと思っている。春の初め、サンシャイン・ソサエティ-を設けた。メンバーは約40名で、この集まりは14~16才までの少女を対象にして、試験的に組織されたものである。
 少女たちの中にキリスト教徒はいないけれども、数人はそうなりたいという意志を表している。御存知の通り、この集まりの唯一のモットーは「親切であれ」ということである。この集まりは、二つの委員会に分かれている。それは「貧窮者委員会」と「病人委員会」である。前者では、貧しい人々を探し出して手助けをし、後者では病人の所へ花や果物を持って訪れ、できる限りの方法で彼らの援助をしている。各メンバーは、その週にやったことを報告するようになっており、それらの報告の中には素晴らしいものばかりでなく、大変感動的なレポートも見受けられる。かなり多くの少女たちが、日曜学校と教会の礼拝に参加しているため、私は彼女たちをサンデーモーニング聖書教室として、できるだけ早く組織したいと思っている。隔週金曜日に、婦人のために聖書教室を開いているが、 この教室は、通常火曜日の夜に毎週開かれている教師会議に出席出来ない母親たちのため“S・S教師会議”へとしだいに発展してきた。
 この火曜日の夜のS・S教師会議ほど興味深く実りの多い会議はないだろうと思われる。男性の教師全員やしばしば教会の他のメンバーも出席し、教師が順番に授業を行うようにしている。この教室では二つのすばらしい成果が生まれている。ひとつは、生徒側に生じる
大きな関心、もうひとつは生徒たちへより深い意味合いをこめたメッセージを送れるように、教師側が十分な教材研究の準備をすることである。たびたび教師たちは、最善の方法で授業を行う大変な責任を感じて苦しんでいるようで、よく「主の御助けがなければ、教えることは出来ません」と言っている。木曜日の晩、私は大クラスで少年たちに英語を教えている。彼らは全員日曜学校へ出席し、また教会奉仕へもよく参加している。
 一週間のうち、女性のために聖書教室の他、編物教室を数時間設けている。私の忠実な助手であるナガマツさんは、キリスト教徒でない家々を回ったり、聖書を教えたり、小冊子を配ったり、会合に婦人たちを招いたり、病人の面倒をみたりして、本当によくやって下さっている。4月に彼女は幼稚園教育を受けるため、広島へたっていった。私は、すべてのバイブルウーマンがマコーレイ夫人といっしょに1年かそれ以上仕事をするならば、彼女らの仕事力は、すばらしく向上するだろうとかたく信じている。4月以来バイブルウーマンなしにやってきた。そのため、もしウノ(宇野)夫人とその他何人かの信者たちの協力がなければ、この仕事は大変な痛手を被ったであろうと思われる。宇野夫人は、頼まれた仕事は決して断らない。三年前まで彼女は、キリスト教徒ではなかったが、今では自分の子どもを抱いて日曜学校で教えるまでになっている。彼女は間もなく教会で職につく夫を助けるため、聖書とオルガンを学びたいと切望している。彼女の夫がいうには、彼女はお金のやりくりが上手で、月20円で8人家族の衣食をまかなっているということである。最近、彼女が私の所へやってきて、主のためお金を稼ぐ方法を知っているかどうかと質問した。彼女は、教会建設の手助けをしたいと言うのだ。そこで私はハンカチを造ることを提案してみた。彼女はさっそく縁かがりのやり方を学んだ。最初の50銭が箱の中に入っているのを見た時、とても嬉しかったそうである。これらの人々と仕事をするのは確かに大変楽しいことであるし、我々は彼らから自己犠牲と忍耐について多くの教訓を学んでいる。今年はよい年であったが、来年はもっとよい年になるよう希望する。より勤勉で、より誠実で、より完璧な書簡となれますように。我々は、今より明確な視点で我々の偉大な指導者につき従うことができるよう切に祈りたい。そうすることにより、我々が我々の姉妹たちを安全に迷うことなく神の御もとに導くことができるであろう。
 我々には、女性と子どもたちのため中津で働く独身女性が、とても必要となっている。自分の時間を大切な仕事のために当て、教えを請いたいと待っている多くの女性たちの家を訪ねていくことのできる独身女性が必要なのだ。
                                          W.J.Callahan夫人 1903.9.12 中津 


<中津における女性と子どもの活動レポート>マーサー  1901.1.10 中津      

2016-12-16 12:59:30 | 中津教会の歴史
<中津における女性と子どもの活動レポート>
 中津における女性と子どもの活動は、今までになかったほど良好である。10月の第2週に到着し、我々自身の家で日曜学校を開いた。その時には、キリスト教徒も、日本人の助力者もいなかったが、最初の日曜日に20人の子どもたちがやってきて我々は喜ばしく思った。その次の日曜日には、40人また次の日曜日には100人の子どもたちがやってきた。彼らは家から庭にまであふれでた。しかし、その時点までに、主は我々に、敬虔なキリスト教徒である宇野さんを送ってくださった。この人は、それ以来我々にとって頼りになる人となっている。年間平均して日曜学校には、70人近くの生徒がくる。我々が求めるものは、関心と宗規のみである。現在5人の熱心な教師が彼らの仕事にエネルギーと祈りを注いでおり、日曜学校の勉強のため、週1回会合を持っている。この会合は、教師にとってのみならず、生徒の増加している関心の点でも最大の利益となってきている。以前は、取るに足らない話もなされていたが、今ではわり当てられた時間内で重要な真理を全部取り入れるのがやっとのようである。
 十二月までバイブルウーマンがいなかったため、通常の女性会活動を、この後すこししてから開くことができた。ゲインズさん(女性)は多くの犠牲を払って、我々にとって最高の援助者となるセッキさんを紹介してくれた。彼女は幼稚園の熟練教師で、我々と四ヵ月間いっしょにいた。彼女にとっては、直接的福音伝道活動は、今回が初めてであったが、彼女の如才なさと献身によって、すぐに人々の心をつかんでいった。そのため、初めて女性会議を開いた時、二十五人程集まり、それ以来大勢の女性たちが出席している。女性たちにとって最善と思われるこれらの会合は、三週間に一度行われている。簡単な西洋料理や病人の看護、子どもの世話についての話のみならず、キリストの生涯についても教えてきている。
聖書の勉強会の中では、一年を通じて編物教室も開いている。約百人が教会を訪れており、週に四~五クラスで聖書教室を開いている。神の導きにより、全く耳が聞こえず目もほとんど見えないひとりの少女がきているが、今彼女は自分の母親を光の中へ熱心に導こうとしている。彼女の母親が言うには以前の彼女は自分の不幸な身の上でとてもつらかったが、今ではやさしく、忍耐強いよい子になったということである。またもうひとり別の婦人は、神経症を患っていたが、キリスト教を教えてほしいとやってきた。彼女は、自分が心の中に平和を受け止めることができるならば、病気を克復することができるだろうと信じている。
 彼女は、現在聖書の勉強をしており、我々は彼女が、そこに彼女の探しているものを見い出すであろうと信じている。我々の心と手が、これほどまでに満たされていたことは今までにはない。年間を通じての数々の成功は、キリスト教徒たちの小さなきずなに負っている。彼らは、キリストに対しての直接的奉仕として、あらゆることをできるかぎり手助けしてくれた。無知と無関心の中、ここで何年も働いてきたが、我々は今輝かしい日へのかすかな光りを見ることができるようになっている。そして我々は、この都市の女性と子どもたちが、暗やみの中から神のすばらしい光りの中へ連れ出されるであろうと確信している。
                                              1901.1.10 中津  

    

W.J.Callahanレポート

2016-10-06 17:13:06 | 中津教会の歴史
<中津の伝道拠点>

 まもなく閉じようとしている今年は、中津の事業において、聖霊のすばらしい成果と驚きで一杯であった。というのは、都合により
当分の間中津の東と西にあたる国東、田川地区での活動には手をつけずに、我々の活動が中津の都市部にほとんど限られていたからである。
  他の会議被任命者が活動を行わなかったため、最初の公務は10月13日の日曜日に催された。我々は、6日の土曜日に着いたが翌日の調整を行うにはあまりに遅く、その時村上師は、彼の新しい開拓地の多度津に行っており、教会は8月15日よりずっと閉じていた。最初から、我々には熱心なひとりの平信徒の援助のみしかなかったが、彼をクラスリーダーに任命し、その時以来彼には訓戒する許可を下した。
 1月から3ヵ月間、個人教授の藤井師の助けを受けていたが、彼は関西学院へ行かなければならなくなり、説教の援助に関する限り我々は実際上その年の間中、とり残されてしまった。その上、村上師が集めたすべての探求者たちを失ってしまった。彼らは、教会の長い閉鎖の間にばらばらに散ってしまい、中津にはだれもいなくなったのだ。ひとりの左官と以前堕落したRRの従業員を除いて、ひとりの伝道者のみならずひとりのキリスト教徒もいなくなった。
 去年の第4回毎季会議で選ばれた幹事は小倉に住んでいた。そのため、1月末の第2回毎季会議で初めて後継者が選出されたのだ。それ故に、我々の会計報告は6ヵ月をカバーしているが、我々の伝道は8ヵ月と半月のみであった。通常の伝道事業と信者会議への出席状況は良好である。

 中津は、今までにないほど目ざめている。というのは、聖霊が人々の間に活動しており、あらゆる階級の男女-裁判官、弁護士、教師、学生、商人、農夫、新聞配達人、職人が聖書を学びたいと願い集まってきているのだ。しかし、我々はそれ以上の事が出来ないので、彼らはそっぽを向かねばならない。最も希望のもてる呼び物は、家から家へと家庭を訪問することである。ところが我々が訪問することができる以上に,聖書を教えてもらうことを喜んで受け入れる家庭が多いということである。 
 婦人伝道者は、家での聖書教室や聖書を教えてくれるようたのまれた家庭女性のために精一杯活動している。中津の女性たちのみを助け、その他の地域で救いを求めている者たちへの手助けができないのであろうか。そのようなことは決して許されない。 
女性及び子どもの活動レポートは、私の妻の手にゆだねる。通常の説教、英語及び聖書教育、家庭訪問、小冊子配布の他に、我々はある特別な仕事を持っているからである。
 5月の地区会議の後ただちに、W・C・T・Uの巡回福音伝道者であるKミヤマ師が3日間程我々といっしょに滞在していた。毎晩我々は教会において節制の講義や説教を行い、昼間はより高貴で清い生活を導いていくことに関心を持っている者たちとの話し合いで満ちていた。その上さらに講義もおこなった。ミヤマ師は、節制について、中学校や高等小学校で講義をしたり、刑務所では、全囚人、警察官出席の下、初めて説教をした。わかりやすくすばらしいミヤマ師の説教は悔い改めより高貴な生活へ向けて出席者の心を動かした。
 次の週は、伝道(促進活動)に関連して特別な努力を払う時機となった。
 これは日本中で推し進められている。説教の力は弱く、メンバー不足のため日々の辻説教をすることができないが、場所によっては大変効果的であり、集会も上々で、訴えにも熱がこもっており、多くの者たちが救い主が大いに必要だという感じに目覚めていた。
 我々は主が中津のために大切なことをまだ貯えていて、主が我々に準備したものを過去に前もってほんの少し味わせただけであると信じている。
 “収穫の主が、ぶどう畑にもっと多くの労働者たちを
  送り出すように汝らよ祈れ”
 教会は今広く眠りからさめ、彼らの時と手段を自由に与えている。年間の受け入れメンバーは八名である。