日本基督教団中津教会

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ハアベの墓碑について

2022-03-24 17:38:35 | 中津教会の歴史

 

 ハアベの墓碑について

 1891年 
      キャラハン宣教師はYMCAの指示で英語教師として来日。
    
    1893年
      宣教師の資格をとるために神戸の神学校で学んでいる時
      キャラハン宣教師は、長崎で出会ったマ-サ-宣教師と結婚。
      
   1894年
      キャラハン宣教師は中津へ遣わされ、国東までの大分県北地域
      と福岡の行橋・田川地区までを布教の範囲とした。
      
     1896年
  長男ハアベ肺炎で召天。
      ハアベは前年の11月に生まれたばかりで、わずか2カ月の生涯
      だった。だが嘆き悲しむ夫妻を町の人たちの心が救う。それまで
      親しくなかった人々が会葬に訪れ、近くの寺院に手厚く葬られた。
      ハアベの死を機会に地域の人々とのつながりが深まり伝道は発展
  していく。
  ハアベは中津伝道の一粒の麦(ヨハネによる福音書12:24)と
  なった。
  ハアベの墓石は第二次大戦の前後日本キリスト教団中津教会の敷地内
  に移される。
       
       墓石に記されている聖句 
      
   「彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである」
                     マタイによる福音書18:10