日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

浩基兄 守田智美姉結婚式

2012-09-18 19:08:35 | 出来事

  
9月17日(日)浩基兄 守田智美姉の
結婚式が琵琶湖汽船ビアンカで行われました。

この船がビアンカです。お天気も良く、船もあまり揺れませんでした




小さい時から、智美さんは中津教会に御両親と一緒に通っておられました。
教会員の皆様にとっても、この日は大きな喜びですから、ブログに載せました。




琵琶湖大橋まで、船が近づいたら、お二人の幸せを祈って、風船を飛ばしました。



お幸せに。

ヨハネによる福音書8:37-47  「神に属する者」

2012-09-11 15:45:09 | 説教
「神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していない
 からである」
              ヨハネによる福音書8:47


 長崎純心大学学長の片岡千寿子先生のお話を聞いたことがあります。「島原・雲仙のキリシタンと殉教者」-命をかけて「いのち」を生きた人々-という主題でした。
家光が将軍に就任した時に、領主の松倉重正にキリシタン弾圧を行わせる。捕らえられキリシタンの内の16人の手の指を切って、海に沈めて殺した。パウロ内堀作右衛門(うちぼりさくえもん)は、ひもでくくられた自分の息子3人が、何度も海に沈められて、最後に重いおもりをくくられて、海に沈められました。
 捕らわれたクリスチャンで、処刑されなかった20人は、額に焼き印を押され、村に帰された。彼らに何も食べ物を与えてはならないと命令が下されたのであるが、潜伏していたキリシタンは彼らに食物を分け、信仰を深めていったのです。
 そこで、20人は捕らえられ雲仙の熱湯地獄で殺されるのです。1627年に島原のキリスト者が酷い殺され方をしたのです。
 彼らは、そんな拷問にあっても、信仰を捨てずに、迫害する者のためにも祈ったのであります。み言葉に留まり続けることの大切さを、命をかけて証しされました。

悪魔に属する者と神に属する者について考えされられたのであります。
 アメリカを訪れた若き日の福沢諭吉は、アメリカ建国のワシントンの子孫が普通の市井の人ひとりとして生活しているのを驚いたのです。
 アブラハムの子孫だから、すなわち、親の七光り的発想で、神の民と自慢して良いのでしょうか。しかも、そういう人が、神の子イエスを殺そうとしています。
 アブラハム信仰 学歴信仰 数の信仰と私達はいろいろなものに捕らえられますね。
そのために日本では多額の教育費がかかります。もっと、ゆとりをもたらす社会であっていいのではないかと思います。
 本当に人間を自由にするのは神様です。「神に属する者」なのです。「神に属する者」は自分を神とせず、イエス様の語られた言葉を聞き、その言葉に突き動かされて歩むことが求められています。
 8:47 神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。
聞くということは、必ずしも音波を耳に受けるだけではないのです。み言葉を聞いて、承諾するのみならず、それが心の中で育ち、活動を開始することです。
そのことによって、み言葉が生活化されていくのです。
神に属する者となるためには、み言葉を聞き続けることが大切です。救いとは、イエスの言葉にとどまることであり、主キリストにとどまることであります。
 石井十次の岡山孤児院十二則にある主義の一つに秘密主義がある。子を叱る時も、褒める時も密室で行われました。人前で褒められた子は、みんなの前で行うとその人は偽善に陥りやすく、また他人が嫉妬を起こすことがあります。逆に不善のあった児童をみんなの前で叱ればかえって反抗心を助成すると。
 み言葉をこころに留める時、それはその人の内面の密室に働きかけ、内側から、その人を生まれ変わらせるのです。

       

「おもしろいな おもしろいね」

2012-09-11 14:51:06 | キリスト教保育
月主題「おもしろいな おもしろいね」  
9月聖句
フィリポは、「来て見なさい」と言った。
              ヨハネによる福音書1:46


 イエス様に愛されて受け入れられたフィリポは、ナタナエルという人に関わりを持ちはじめます。
そして、主イエスを紹介しようとした時に「ナザレから何のよいものが出ようか」と言われました。
しかし、フィリポはナタナエルに「来たりて見よ」と言います。拒絶を超えてかかわりを拡げてい
く人の姿を見ることが出来ます。
 9月の主題は、子ども同士が共感し合って遊んでいるイメージを浮かべます。フィリポのように
私が大切にされているからこそ、他の友達に気持ちが向かいます。
 1歳半から3歳ころにかけて自我が芽生えます。この子どもの気持ちを受け止める、切り返すこ
とにより、自我(自己主張・主体性)から第二の自我(社会的知性・協同性)が育ってきます。
 切り返しとはどうすることでしょう。それは、子どもとの対話です
ニンジン食べない子に、「そう、ニンジン嫌いなの。食べたくないのね」。子どもの気持ちを受け
止めた後は、「でも、ニンジン食べると元気が出てくるのよ ちょっとだけ食べてみようか」と切り
返します
 子どもの気持ちに寄り添い、子ども自身が納得するように働きかけること子ども自身で考えられる
ように促すことが切り返しです。
 「人間の本来の姿は、他の人と共に楽しく生きてゆこうとする欲求をもっている」(「うれしき朝
よ」幼児教育随想より)と南信子先生は言われます。
 この欲求を大切に受け止めていくため対話が大切です。
 先日、出張先でおもちゃに詳しい方とお話しする機会がありました。テレビゲームについてどう思
いますかとお聞きしたら。「最近の大人は大人の文化を子どもに出しすぎている」「テレビゲームで
遊ぶ子は、より大きな刺激を求めるようになる」「砂・水・泥、秋になると落ち葉 これに勝る
遊び道具はありません」と語られました。
 私自身は、テレビゲームで大切な対話の時間を奪われことは、良いと思えません。
 対話する中で、皆と共に幸せになる力を子どもは身につけていきます。子どものお話をゆっくり聴
く時間を大切にしてほしいと願っています。
 その大切な一時を、時間泥棒に奪われないようにしたいですね。


故多田一三先生追悼

2012-09-11 14:04:36 | 出来事


涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいな
がら帰ってくる。

詩編126:5-6


2012年9月5日(水)午後3時17分 地上での76年の旅を終えられて、多田一三先生は、天に召されました。丁度、去年の今頃、関西学院大学大分支部の同窓会があり、多田先生と堤先生とご一緒に、大分市に出かける車中の中で、先生はご自分の病気のことをおっしゃいました。 あれから、ちょうど一年です。治療に専念されるために社会福祉法人九州キリスト教社会福祉事業団の理事長も辞任され、療養生活にはいられました。
 重い病状を知っておられながら、面会に来た人には、いつもの多田先生のように親しげにお話し下さいました。そのお姿は、これからの私の心の励ましになると思います。
 最後は愛する家族の皆様、又いずみの園の職員の皆様の献身的な愛に支えられて、安らかなお顔で天に召されました。
 「愛する家族があるから、この病気の現実を受け入れていくことが出来た」とおっしゃっていました。ご家族の皆様の深い愛に感謝されていました。又親しい皆様が来会されたり、祈られたことが、先生にとって、とてもお支えになっていたと思います。
 大きな存在として、私達のそばにいた多田先生でした。召されたということが、夢のように思えてなりません。
 いろいろとご苦労の多い多田先生であられましたが、地上の勤めを終えて、み国にて、豊かな神様の祝福をお受けになっていると信じています。
 記載されている聖書は、多田先生の愛唱聖句であります。喪主の多田玲子姉にうかがうと、「まさしく、自分の生涯がこの聖句だった」と多田先生がおっしゃっていたそうです。
 紀元前587年にバビロニアはエルサレムを占領し、破壊します、そして、多くの者がバビロニアに捕虜として連行されます。民族死という悲しい経験をするのです。
 しかし、起こりえないことが起こりました、バビロニアがペルシャ王クロスの奇襲攻撃によって陥れられ、捕らわれの民は、帰国がゆるされるのです。
 こんなことは起こりえないことでした。「神様が大いなる業をなされた」とイスラエルの民は受け止めました。
 そして聖書はこう語ります。 
126:5 涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。
  昔から大いに神様に用いられた方は涙の多い人です。
 帰国したイスラエルの民が直面したのは、苦しみです。再建の業は決して甘いものではありません。なけなしの種を蒔く 食料としてとっておいた種を蒔く、半年後の収穫を祈る悲しい日々。しかし、大いなるみ業をあらわして下さった神様は必ず喜びへと導いて下さると信じたのです。
 最初の事業の立ち上げは大変なことです。行政との折衝・敷地の取得・補助金の要望と決定など筆紙に尽くしがたい苦労の連続です。
 そんな先生の相談相手になられた方が、吉村静枝先生です。キリスト教社会事業の先覚者で、保育事業に献身的に奉仕された高名な事業家です。
 先生は時々、香川県坂出のご自宅に相談に行かれたそうです。
 グレース保育園が完成した折、「これから先の社会は高齢者が増える、次は老人ホームを作らなあかん」と強く言われたそうです。
 種を蒔くことによって、実が結ばれ、大きなビジョンに向かって、さらに種を蒔き続けられたのです。そして、多くの実を結んでいきました。
 聖書に証しされている神様のみ業が、先生のお心の支えとなっていました。
  多田先生が地上に残された業績は大きいものでした。先生が最後のビスガの山の頂から見たのは、地上での神の国の完成に向かって歩む皆様であり、先生が招き入れられた素晴らしい天国だと思います。先生を支え導かれた主が残された皆様を導かれているのです。私達も、助け合いつつ、神の導きに従っていきたいと思います。


 故多田一三牧師告別式は、いずみの園のいずみ館を会場に、7日(金)13時から  日本基督教団中津教会葬(司式 廣安愼太郎牧師)で執り行われました。