私達は一人で呻いているのではないのです。孤独な中で呻いているのではありません。パウロは語ります。26節、27節の御言葉です。「同様に、霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、霊の思いが何であるかを知っておられます。霊は神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです」
聖霊は、弱い私達を助けてくれるのです。
聖霊は、よくハトに譬えられます。人間は言葉で表現する喜びと悲しみがありますが、人が発声する一番深い心の奥底を表現するのは呻きであります。
「ハトは鳴くことを知りません」と言われています。その声はうめくようです。
聖霊は人間の呻きに共感して、弱い私たちのために、うめくように神様にとりなし、私たちを助けてくれます。
地上におけるうめきは尽きないことでしょう。呻き声とは言葉にもできないような苦しみです。これ以上苦しんだら、もうそれ以上の苦しみはない世界を神は示されます。
26節の、「助けてくださる」、という言葉は、聖書の他の箇所には、ほとんど出てこない、珍しい言葉です。小さな三つの言葉が、組み合わされて、造られた言葉です。
三つの言葉の最初は、「共に」という言葉です。二番目は、「代わって」という言葉。三番目は、「受け取る」という意味の言葉です。この三つの言葉の、合成語なのです。
26節には、続いて、「聖霊」が、「言葉にあらわせないうめき」をもって、「執り成してくださる」、と語られています。
聖霊が助けてくださる、というのは、聖霊が、私たちと「共にうめき」、私たちに「代わってうめき」、そして、私たちの苦しみを、受け取ってくださった、ということなのです。
祈ることさえできない、私たちと「共に」、私たちに「代って」、私たちの苦しみを、「受け取ってくださる」。それが、御霊の助けなのです。
私達は苦しみと栄光を切り離して考えてしまいがちですが、それはつながりのあるものなのです。