イエスはパリサイ人達をはなれて向こう岸、つまりカペナウム方向 へと向かわれました。 その時の話題は「パンを忘れた」ということでした。何は忘れても 弁当だけは忘れない、という人が多いのですが、弟子達はどういうわけか弁当を忘れた のです。四千人の給食から遠くない出来事でしたから、あのパンのかけらが残っていた でしょう。
食べ物の恨みは恐いということでしょうか。
小さい時は、「しまった!」という体験が大切ですが、大人になってからはゆるされないことがあります。ある意味では、弟子達も旅の支度はしっかりとしておかなければいけないと言う考え方があったのでしょう。きっちりとした人が、主に喜ばれると考えていたのでしょうか。
主イエスが4000人を奇跡によって養った直後のことです。そんな時でさえ、このような思い煩いに囚われていた事実があるとすれば、私たちも、それ以上になる可能性があります。大きな神の業を目の当たりにしながら 、パンが幾つか足らないことで大騒ぎをしなければならないということです。
主イエスはファリサイ派とサドカイ派のパン種に注意しなさいと言われました。主イエスの新しい教えが示されていながら、その新しさが思い煩いによって受け入れられない状況が発生しています。二つの違う状況で語られたことですが、同じようなパン種の影響が見られる内容となっています。
パリサイ人のパン種=律法主義。パリサイ人のパン種とは、一口で言えば律法主義です。人間は神の定めた律法を守ることによって、神に受け入れられると思っていました。又先祖達の言い伝えを厳格に、真面目に行うことによって神に受け入れられると考えていました。
人間の業を第一に考え、人々を見下す傾向を持った人たちがいました。
サドカイ人のパン種とは一言で言うと世俗主義、物質主義です。
名前のサドカイとは祭司の系譜の偉大な祖先であるサドク(ツァド ク)から来たものと言われています。彼らはモーセの五書だけを権威あるものと認め、 それに記されていない復活の教理、天使や霊の存在を認めない立場をとっていました。 現実的には、当時の政治勢力と妥協したりしていました。主イエスはこう言った教えでまちがったものをパン種と、表現されています。
パン種というのはイースト菌のことです。その酵母を一部分取って おいて次のパンの種として遣ったのが当時の習慣でした。今でもこの習慣は続いていま す。
このパン種はふっくらしたりパンに仕立てる中心的役割を果たします。しかし同時に、このパン種 の入ったパンは、小麦粉や大麦粉で出来た煎餅のような固いパンと違って、日持ちがしません。今のパン屋さんのパンは防腐剤が入っていますから多少持ちは違いますが、昔は腐りやすかったのです。つまり、パン種は影響力が大きく、しかも、腐敗を助長する 危険な思想の譬えとして使われているのです。小さなものですが、大きな影響力を及ぼすものです。
塵も積もれば山となる。火種も最初は小さいけど山火事に繋がります。タイタニック号も船と氷山は最大限10秒間ほどしか接触しておらず、船体の傷はせいぜい数インチ程度で、損傷幅を合計しても1m²程度の傷であったことが後の海底探索によって判明しています。
小さなことって大きなことに繋がるなと思います。
思い煩いも同じことです。パンを忘れたことだけに捕らわれていたら、貴重な時間が奪われてしまいます。それだけではなく、体力も気力も、そして自分らしさも奪われてしまう。
もし生涯、その一つに捕らわれてしまうならば、自分の人生がボロボロになってしまうだろう。その一つを主に完全にゆだね、その代わりに新たな一つの恵みを主から受け取っていくことが大切です。
心が小さなことに捕らえられて、頑なになりつつある時、知らず知らずに内にこの世の悪いことに捕らえられて、その影響を受けている時 思い煩いに縛られている時 無意識のうちに心が不自由になっている時 小さなものの大きな悪影響について意識していない時どうすればいいのですか。
悪しきパン種の影響を受けないようにするのにはどうすれば良いのでしょうか。
電気を消さないと星の光や月の光が見えないのなら、自分自身の栄光や傲慢さという明かりを消して、静かな心で神の光を受けとめましょう。
日頃の思い煩いは棚に置いて、日曜日の礼拝で、神さまから良いパン種を頂きましょう。
その影響力は無限の可能性を秘めています。
食べ物の恨みは恐いということでしょうか。
小さい時は、「しまった!」という体験が大切ですが、大人になってからはゆるされないことがあります。ある意味では、弟子達も旅の支度はしっかりとしておかなければいけないと言う考え方があったのでしょう。きっちりとした人が、主に喜ばれると考えていたのでしょうか。
主イエスが4000人を奇跡によって養った直後のことです。そんな時でさえ、このような思い煩いに囚われていた事実があるとすれば、私たちも、それ以上になる可能性があります。大きな神の業を目の当たりにしながら 、パンが幾つか足らないことで大騒ぎをしなければならないということです。
主イエスはファリサイ派とサドカイ派のパン種に注意しなさいと言われました。主イエスの新しい教えが示されていながら、その新しさが思い煩いによって受け入れられない状況が発生しています。二つの違う状況で語られたことですが、同じようなパン種の影響が見られる内容となっています。
パリサイ人のパン種=律法主義。パリサイ人のパン種とは、一口で言えば律法主義です。人間は神の定めた律法を守ることによって、神に受け入れられると思っていました。又先祖達の言い伝えを厳格に、真面目に行うことによって神に受け入れられると考えていました。
人間の業を第一に考え、人々を見下す傾向を持った人たちがいました。
サドカイ人のパン種とは一言で言うと世俗主義、物質主義です。
名前のサドカイとは祭司の系譜の偉大な祖先であるサドク(ツァド ク)から来たものと言われています。彼らはモーセの五書だけを権威あるものと認め、 それに記されていない復活の教理、天使や霊の存在を認めない立場をとっていました。 現実的には、当時の政治勢力と妥協したりしていました。主イエスはこう言った教えでまちがったものをパン種と、表現されています。
パン種というのはイースト菌のことです。その酵母を一部分取って おいて次のパンの種として遣ったのが当時の習慣でした。今でもこの習慣は続いていま す。
このパン種はふっくらしたりパンに仕立てる中心的役割を果たします。しかし同時に、このパン種 の入ったパンは、小麦粉や大麦粉で出来た煎餅のような固いパンと違って、日持ちがしません。今のパン屋さんのパンは防腐剤が入っていますから多少持ちは違いますが、昔は腐りやすかったのです。つまり、パン種は影響力が大きく、しかも、腐敗を助長する 危険な思想の譬えとして使われているのです。小さなものですが、大きな影響力を及ぼすものです。
塵も積もれば山となる。火種も最初は小さいけど山火事に繋がります。タイタニック号も船と氷山は最大限10秒間ほどしか接触しておらず、船体の傷はせいぜい数インチ程度で、損傷幅を合計しても1m²程度の傷であったことが後の海底探索によって判明しています。
小さなことって大きなことに繋がるなと思います。
思い煩いも同じことです。パンを忘れたことだけに捕らわれていたら、貴重な時間が奪われてしまいます。それだけではなく、体力も気力も、そして自分らしさも奪われてしまう。
もし生涯、その一つに捕らわれてしまうならば、自分の人生がボロボロになってしまうだろう。その一つを主に完全にゆだね、その代わりに新たな一つの恵みを主から受け取っていくことが大切です。
心が小さなことに捕らえられて、頑なになりつつある時、知らず知らずに内にこの世の悪いことに捕らえられて、その影響を受けている時 思い煩いに縛られている時 無意識のうちに心が不自由になっている時 小さなものの大きな悪影響について意識していない時どうすればいいのですか。
悪しきパン種の影響を受けないようにするのにはどうすれば良いのでしょうか。
電気を消さないと星の光や月の光が見えないのなら、自分自身の栄光や傲慢さという明かりを消して、静かな心で神の光を受けとめましょう。
日頃の思い煩いは棚に置いて、日曜日の礼拝で、神さまから良いパン種を頂きましょう。
その影響力は無限の可能性を秘めています。