日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

「やってみようかな」 6月月主題

2012-05-31 23:05:13 | キリスト教保育
月主題「やってみようかな」
月聖句「わたしに従いなさい」と言われた。
                    マルコによる福音書2章14節
2ヶ月が過ぎて、子ども達は好きな玩具や安心出来る場を見つけながら、少しずつ活動範囲を広げています。今月の主題は、5月と同じ「やってみようかな」です。
 人々から軽視されていたアルファイの子レビという人に、イエス様は声をかけるだけでなく、食事を共にされます。自分を一人の人間として認めてくださる、わかってくださる方にレビは出会います。そのことによってレビは、良き働きをする人に変えられていきました。
幼児期の自律性は、子どもが「やってみたい」と思って遊び込む中でこそ身につきます。大人が強く教え込んで身につけされるものではありません。
 子どもは小さいながらも、自分の思い(心)を持った主体として生きています。
 遊びは子どもが主体であるところから生まれてくるもの、内部から自発してくるものです。今の「自分」が周囲の大人に肯定的に受け止めてもらえないままに、ひたすら大人の指示に従わされたり、自分の存在を無視されたりすれば、内発的なものは育っていきません。愛され、大切にされた時に自己肯定感が生まれ、自ら育つ意欲が生まれていきます。
無理をさせたり、出来ないことをさせるのではなく、あるがままを受け入れて、支援していく時、「ある」を受け止めてもらえた喜びから、生きる意欲が生まれ、それが「なる」に自ら向かう、原動力に転化します。
 「遊び」とは、幼児の心を育てるために、とても重要です。そこから生まれる子ども同士や保育者との関わり合いの中でこそ、子どもは自律性を身につけていくのです。


あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。
          詩編8:4

 太平村ふれあいの家で、うちゅう組のキャンプが行われました。月・星・宇宙を神様はご自身の指で創造されました。
 森の先生が、森の中でサイレントウォークを指導して下さいました。何もしゃべらずに歩くのですが、指を使って合図します。そして、森の先生が指で示して下さったのは、道の真ん中にはえていためずらしいたけの子でした。
 雨の降る森を、みんなで歩きました。妖精が出てきそうな不思議な雰囲気でした。
森の中での素敵な出会いを指で合図し合いました。
 夕食で、くるくるパンを焼いて食べました。小さなやさしい指は、焼いたパンをちぎってお友達や先生に分けていました。
 夜は、星が少ししか見えませんでしたが、素敵な三日月が出ていました。そして、みんなで、ホタルを見に行きました。夜空の星が、降りてきたような素敵な輝きでした。
 みんなで、ホタルの光りを指しました。
天地を創造した神様が、地上に来られました。イエス様の指は、沢山の人の飢えを満たし、病気を治されました。
 そして、女の人が、石を投げて殺されそうになった時に、イエス様は。かかんで、愛という文字を書かれたそうです。大切なことを確認し、人々に示すために。
 イエス様の指は思いやりと愛に満ちています。その指の指す方向に向かっていきたいと思います。
 森の先生が、「森を歩くと一人増える」と言われていました。一人の子どもは真剣にそのことを受け止めていました。そうです。イエス様が一緒に歩いて下さったのかもしれません。きっと、イエス様の指は子ども達に大切なことを示して下さると信じています。


ヨハネによる福音書21:15-25 「弟子への委託」

2012-05-08 00:34:52 | 説教
イエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
                        ヨハネによる福音書21:16

 「私を愛するか」という主イエスの問いかけは、何か怖い試験管が立って、検査をしているのではありません。検査官が、犯人を尋問する場合のように問うているのではありません。
 主イエスと教会は、花婿と花嫁に譬えられます。花婿が花嫁に「あなたは私を愛するか」と尋ねているようなものだと言われています。
 本当の愛を知ることによって、本当の愛し方を知るようになります。
 又ペトロの愛も主イエスと交わることによって、大きく育っていきます。
主イエスはペトロのところまで降りて来ていると言えるでしょうか。このように考えると、この対話は罪の重荷に苦しむペトロにとって、イエスの愛とゆるしを受け取る大きな体験だったと言えます。

「ヨハネの子シモン、この人たち以上に私を愛しているか」という21:15節の言葉が印象的です。この言葉は、他の弟子以上にイエス様のことを愛するという意味にも、又他の弟子をあいするよりもイエス様のことを愛すると受け取れます。
 ローマーのサンピエトロ大聖堂には天上のたかいところに、ぐるっと一周、金文字で今日の聖書箇所がラテン語とギリシャ語で書いてあいります。主イエスをかけがえのない方として大事にする。それこそが羊を育てる役割をさせるのです。
 イエスを大切にする人は、いと小さき者を大切にする人です。
 イエス様からお預かりしている子どもたちとして、イエス様をだいじに思うように、子どもも大切にすることが必要です。

ジョンバニエが「目の前にいる人を大事に思うと目も手も『あなたは大事な人です』ってお話しするんだよ」って言いました。