日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

マタイによる福音書1:18ー23 「告知」

2012-12-24 22:52:26 | 説教
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。   マタイによる福音書1:21

  マタイ福音書で、天使はヨセフに受胎告知を告げます。
ヨセフはマリアが身ごもった理由を知りませんでした。ですからヨセフは、律法を守る「正しい人」でもあったので、マリアのことを表沙汰にするのを望まず、マリアを密かに離縁しようとします。
 その時代、浮気をした人は厳しい罰がありました。石打の刑とは死罪にあたることを意味します。申命記24:1
 しかし、ヨセフにはその律法の定めがふさわしくないと考えました。公に離縁するとマリアが姦淫の罪に問われて石打ちの刑で殺されてしまう危険もあったのですが、ヨセフはそれを望みませんでした。ヨセフは密かに縁を切ろうとすることで、マリアを憐れみ、彼女を守ろうとしたのです。
 掟を超えていこうとする願いがヨセフの中にあったのです。
 そのような愛と憐れみの中で、人をゆるし、育てていく世界を求めていたかとも思われます。
 天使は告げます。「マリアは神様の力によってみごもったのだ」と。そうです、マリアには罪はなかったのです。そして、ヨセフは、マリアと幼子イエスを守り育てるという大きな使命を担うのです。
 小さな命を狙うヘロデ王の魔の手からも守り抜きました。その役割を担うことが出来たのは、神様が共にいて下さったからです。
 大きな力を持った神様が、私達のところに来て下さいました。それが、まさしくクリスマスです。
 名前は体を表すと言いますが、生まれてくる救い主の名前を命名したのは、ヨセフとマリアではなく、神様ですから、その名前に、クリスマスの深い意味が示されています。
み使いは神様の思いを伝えます。「その名はイエス」と名付けなさいと。「イエス」という名は、ギリシャ語では「イエスース」と書かれますが、当時のユダヤ人においてはごくごく当たり前の、ありふれた名前であったようです。それはヘブル語では「ヨシュア」という名前で、「ヤーウェは救い」という意味です。モーセの後継者で約束の地に民を導いて入っていったのがヨシュアです。主イエスは罪から私達を救い出し、約束のみ国に導かれる方であり。
 山室軍平先生がこう言うお話をされていました。

 ある時一人の男が水に落ちて助けを求めていると
 ある人は「やれかわいそう それは前世の因果 あきらめなさい」と言い。
次に来た人は「これはお前が足下を忘れ、うかうかと歩いた報い。きっと今後を戒めよ」と言いました。
イエス様は、すぐに身をおどらせて水に飛び込み危険をおかしてその男をすくい上げたのち、種々の将来の注意を与え、また彼の手をひいてともに道を進まれる方です。罪から救う救い主はありがたい方です。

 インマヌエルとも呼ばれると続けて、み使いは言います。
 その意味するところは、神様が共におられるという意味です。
 恋人達がデートしている時、アベックと言いますが、仲の良いふたりがデイトするとか手をつないで歩くことを意味するのではありません。もともと別のもの、一体になりえないものが、共にいますという出来事になりました。
 神様が人間の手の届かない天から私達のもとに来たりて、一人の人間イエスとなって私達のところに来られたのです。神様はインマヌエルの神であり、われらと共にある神様です。
 私達の悲しみ・苦しみをそのまま経験し、どんな時も共にいて下さり、その重荷を、共に追って下さる神様が共にいて下さっています。そして、その神様が私達と共にいて下さっているのです
          

キャンドルライトサービス

2012-12-24 22:22:42 | 出来事

寒い冬の夜でした。中津教会ではクリスマスイブの燭火礼拝が守られました。
ローソクの炎は、暖かくて、見ていると心がやさしくなります。
ローソクとイエス様とはどこか似ているところがあります。
自分の身を燃やして、光を輝かせたイエス様 その命を捧げてまで私達を愛して下さったイエス様。イエス様はまことの光です。頼りになる光なのです。
なぜかと言うと愛に満ちているお方だからです。
燃え尽きて、溶けてなくなりそうなローソクと新しいローソクを比べてみましょう。
火を灯すという使命が与えられているローソク。その使命を果たしているのは
なくなりそうな方です。新しいローソクは生きているようで、その観点から見れば
死んでいるかもしれません。
命を捧げて、一粒の麦となったイエス様の命は生き続け、私達の心に火を灯して下さい
ました。
私達もその光を心から伝えていきましょう。
愛の炎は隣人の姿を映し出し、絆を深めさせるように働きます。



ささやかですが礼拝後、イエス様のお誕生会をしました。
イエス様 素敵な夜をありがとうございました。

クリスマス愛餐会

2012-12-24 21:44:20 | 出来事
12月23日クリスマス礼拝と愛餐会が行われました
愛餐会のご報告をします。

おいしいお昼ご飯を食べた後、それぞれの出し物です。

青年会の手話讃美です。かいばおけにすやすやとを歌いました。



グレース保育園ページェントのDVDの上映が行われました。
小さな俳優さん達に感動の拍手がいっぱいです。



中津のきさらぎ会(音訳の会)有志の朗読です。
愛餐会に地域のボランティア団体の方がご参加下さいました。
素敵なお声の朗読は、よだかの星です。
又参加してくださいね。じゅんちゃんも大きくなったら朗読の会にはいるのかなあ?



子どもの教会の出し物はブラックシアターです。


よく光っています。上演したのは「もう一人の博士」です。


オカリナ同好会トトロの演奏です。
17日の同団体のクリスマス会に牧師は招待され、
今度はこちらの会にお招きして、素敵な演奏をきかせて下さいました。
素敵なお交わりをこれからも重ねていきましょう。


壮年会・女性会の讃美歌合唱です。讃美歌21の255番 260番の讃美はとても
暖かな声でした。



湯元姉のピアノの弾き語りです。さやかに星はきらめき 
ユーミンの軽快なナンバーの曲の演奏でした。



牧師からのクリスマスプレゼントは歌のプレゼントです。
ピアノの上手な湯元さんの伴奏です歌ったのは小田和正さんのナンバーです。
みんなが素敵にキラキラ輝くように、キラキラと私の願いを歌いました。
もちろん小田さんのキーで歌いました。
楽しいクリスマス会でした。








申命記26:1-11 収穫感謝

2012-12-12 23:04:47 | 説教
「あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい」  申命記26:11 

約束の地カナンに入った時に、救いの恵みをいい表し、産物の初物を捧げるようにと命じられています。
  神様への感謝を教えています。約束の地カナンに入った時、初めての収穫物を刈り入れるのです。それまでは、イスラエルの民は、天から降る神のマナによって養われてきました。しかし、マナは降り止み、彼らは自分たちで種を蒔いて、育てた麦・野菜・果物で生きていくようになります。
 しかし、そのことによって神が、養い、お導きくださっていることを忘れ、自分たちの力で生きていくと、勘違いしてしまう危険がありました。神が私たちをお導きくださっていることを覚え、感謝を捧げていくことが大切ですね。
 太陽や土や雨は神様が下さったものですから、今日はいろいろな食べ物を並べて礼拝を守りました。そして、育てて下さる神様に、「ありがとうございます」と感謝を表しましょう。
今日は収穫感謝の礼拝をささげています。しかしこの収穫感謝も、ただ、野菜や果物をちょこっと持ってきて、「神様感謝です」と言うだけで良いのでしょうか。申命記16章によると、収穫を感謝する時は子も奴隷も、町にいるレビ人も、寄留者、孤児、寡婦も、一緒に喜び祝うことが大切でした。
フランクルという人が、「夜と霧」という書物の中で、アウシュビッツの収容所の様子を書いています。
収容所の囚人にとって食べ物は夢の対象となります。収容所の食事は無いに等しいものです。日に一度の水のようなスープとこぶし大のパン一つ。それに、時おり、わずかなマーガリンかチーズのひとかけら。外では恐ろしい重労働が待っています。それゆえに、ガリガリになります。
 そのような状況で、人は天使にもなり、悪魔にもなりえました。自分も空腹に死にそうなのに、弱っている人にパンを差し出す人。我先にと本能をむきだしにした人もいました。
戦乱と貧困の中でたくましく生きる子どもが撮影されている東ティモールの子どもたちの写真展を開催した藤原紀香さんが、こう語ります。「日本の子どもたちは物質的にすごく豊かで、何でも望めば手に入る。学校があるのが当り前、おいしい水も蛇口をひねれば出てくるのが当り前。私は日本に帰ってきて、納豆とご飯、みそ汁を食べただけで涙が出たんですよ。それは、感謝すべきこと」。
 東ティモールは、下痢 マラリヤ 栄養失調で多くのこども命を落としている状況です。 東ティモールの子どもたちと共に過ごした藤原紀香さんは、スマートです。子どもたちから痩せているからと貴重な食事を勧められた。貧しくても、分かち合いの心を持っていました。
聖地イスラエルのカラスは一風変わった姿をしています。彼らはグレーのチョッキを着ているのです。首から胸にかけてグレイの羽で覆われています。
 エリアという預言者が飢えで苦しんでいる時に、カラスが、一日に二度、パンと肉を彼のもとに運んだと聖書に記されています。その食料はカラスにとって、魅力的だったかもしれない。でも、エリアに届けたのです。
 ご褒美に、神様からグレイのチョキを頂いたのかもしれません。神様に選ばれ、その慈しみに触れてカラスは、孤独と飢えと空腹に苦しむ人を慰めるものとして用いられました。

ヨハネによる福音書1章9節  「まことの光」

2012-12-12 22:48:14 | 説教
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
              ヨハネによる福音書1:9

 ヨセフとマリアは、ナザレからベツレヘムに旅をしなければなりませんでした。マリアさんのお腹の中には、赤ちゃんがいたので、長旅は大変でした。
 ベツレヘムに到着した時、宿屋はいっぱいで泊まるところがありませんでした。
 そこで、ようやく泊まることがゆるされたのは、馬小屋でした。
 そこで、かわいい赤ちゃんがお生まれになります。
 ヨセフとマリアはとても大変だったと思います
 この世界には、いろんな色があります。お部屋も色合いによって、随分と雰囲気が変わるものです。又色は人の心の様子をあらわしたり、季節をあらわしたりすることがあります。
 明るい雰囲気の色は、楽しい感情をあらわします。暗い色、特に、黒はおしゃれな色ですが、悲しみを表す色です。すべての色を混ぜ合わせると、黒になります。
 心の中にもいろいろな色があり、つらいこと、悲しいことがあるとまざりあって真っ黒になる時があります。しかし、その黒の中には、明るい色が秘められているのです。人間の力でそれをどれだけ引き出せるでしょうか。 
クリスマスの礼拝では、ろうそくの火が用いられます。ろうそくの火はイエス様が一緒にいて下さるしるしです。
 ヨセフとマリアは、泊まる宿がないという苦難に直面しました。その時の二人の心は真っ黒になったでしょう。馬小屋での出産となりましたが、天使の歌声、羊飼い、博士達の訪問と援助を受けることが出来、祝福されました。
 黒い背景に、赤や青や他の色を持って
きてもあまり映えません。まるで、色の発色を吸収しているみたいですね。
 自分を燃やして、火を灯すロウソクはイエス様のお姿を現しているようです。
白いローソクに黄色の炎をつけた切り絵を、黒い紙の上に置くと、すごく映えます。
燃えながら、どんどんどんどん低くなる姿は、イエス様です。
 つらく苦しい時 この火は輝きが増し加わり、私達の心を暖めてくれ たり、慰めてくれます。又やさしい気持ちにしてくれます。
寂しい馬小屋が光り輝いたのが、クリスマスの出来事でした。 
人間の闇を照らし、希望の光を灯す真の光であるイエス様を、クリスマスの日に心に迎えましょう。