日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

「きもちいいな」「夏を感じて」

2013-06-19 12:49:03 | キリスト教保育
「あなたがたは神に愛されている子供です」
             エフェソの信徒への手紙5章1節 
 
今年も夏がやってきました。間もなく、気持ちいい水遊びも始まります。急な暑さや湿度の高さなど不快と思われる時期ですが、上手に乗り切って、夏を沢山楽しみたいと、願っています。
そして、心地よく、楽しいクラスにしたいと願っています。
神に愛されている子供は、感謝の心が大切です。
笑顔が多く、「ありがとう」などのにこやかな言葉が多いところは、とても雰囲気がいいと思います。
「ありがとう」という言葉をかけられた子どもは、その時の心地よさが心に刻まれ、自尊心が満たされます。そして、自分から「ありがとう」と言うことが出来るようになります。
「ありがとう」は人の心を温め、自己肯定感を育みます。
 そして、私達の保育園では、何よりも「神様、ありがとう」と言える感謝の心が育まれることを祈り求めたいのです。
聖書の中では、「人のために」と言うと、For  Others(他者のために)と英語で表現されます。イエス様は家族だけでなく、他者のためにその命を捧げられました。その愛に感謝することを子どもたちに伝えたいと思います。
神様への感謝の心は溢れ出て、隣人の間に広がります。神様が私達に親切にして下さったよう、私達も愛し合うことを願っています。
「ありがとう」の花が、グレースガーデンにいっぱい咲くことを願って、この主題を掲げます。
メディアを遠ざけ、親子で自然の中で、沢山笑う経験をしてください。言葉を交わす、仕草を観察する、五感を働かせる、触れ合いの中で、本当の笑いが起こります。そして、自然を創って下さった神様への感謝も、心にわき上がるでしょう。きっと、そこに感謝に包まれた、心の原風景が生まれます。  

   グレース保育園のブログを更新しました。 
   グレース保育園の窓 

マタイによる福音書5:21-37  「生涯の捧げもの」

2013-06-18 16:42:16 | 説教
あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。
               マタイによる福音書5:25


「ばか」(モーレ)というのは、存在そのものを軽蔑する言葉です。「愚か者」(ラカ)というのは、軽蔑の音声から来ています。知的愚かさをいいます。
 腹を立てた時に、これこれの言葉が出てくるのは、怒りの感情と結びついています。
 怒りの感情はどこから来ているのでしょうか。
 自分自身の心のコントロールが大切です。親が子どもを叱る時、急いでいる時に限ってぐずったり、いたずらをします。叱るというよりも、自分の余裕のなさから、感情が爆発します。怒りの感情は親の心の中に生まれたものです。
 「ばか」「愚かなもの」と言ったら、親子であれ、絆にはひびがはいっていきます。
 和解の癒しが必要なのです。子どもが成長していくためにも。
 子どもにきつくあたってしまった時には、謝って、抱きしめましょう。一緒に泣きましょう。怒りの反対側に立つ愛が、和解と仲直りを迫ります。
 人は誤解と曲解のために互いに対立することがあります。
 大人同士の関係においても、自分が上に立つことで、争い・不和が起こり、怒りが爆発していきます。自分の怒りが神の前でたえられるものかと吟味していくことが必要です。
 ユダヤの礼拝で、捧げものをする前に、和解の勧めがなされています。となると午前中に始まる礼拝は午後開始になったかもしれません。
 大切なことは、あちらからではなく、こちらから和解へと働きかけることです。
 二つの鐘の音が、対立するかのように、お互いに争い合っていたら、周りの人々も深いです。しかし、その鐘が和解して、ハーモニーを奏でたら、平和が訪れます。
 神様も喜ばれるでしょう。
 礼拝に出て、捧げ物をすることは、贖罪・賠償。和解などの目的がありますが、神との関係の修復が、その目的にありました。他者との関係が修復されないままそれを行っても、何かが足りません。
 主イエスは、積極的に私達に関わられて、神様との架け橋になってくださいました。それと同じように、私達も、他者と和解することが求められています。
 イエス様の愛に押し出されて、和解への歩みは私達から始まるのです。
 神が愛の神であるように、人は愛の人にならねばなりません。
 そのために、主イエスはその生涯を捧げものとしました。
神様との関係を正しく保つために、兄弟との和解が必要だと言っているのです。そのように、人との和解はただ人との関係をよくすることではなくて、神様との関係を整えることでもあるのです。
主イエスは、そのような和解を私たちに教え、求めておられるのです


フィリピの信徒への手紙2:12-18 「世の光」

2013-06-18 16:05:33 | 説教
「世にあって星のように輝き」フィリピの信徒への手紙2:15

今日は花の日合同礼拝を守ります。
今朝、読んだ聖書は、「世にあって星のように輝きなさい」と勧められています。星は英語でスターと言います。人気のある歌手・俳優をスターと呼び、活躍するスポーツ選手をスター選手と呼びます。デビューと同時に活躍をする新人のことを「彗星のように現れた」などと表現しますね。
スターとはそのような人の象徴であり、ピッカピカに輝いていることを認める人のことだけを指していると思っていました。
明るい光の中では、自分の光にも気がつかないかもしれませんね。
 金子みすずさんの詩を紹介しましょう。
      
 星とたんぽぽ


青いお空の底ふかく、
海の小石のそのやうに、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

散つてすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまつて、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼に見えぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

人間的な明るさの中では、光は見えないかもしれません。でもお昼でも、星があるのです。見えないけれど、大切な光が存在します。
空の星にはいろいろな輝きがあります。又大きさや光の色もいろいろですね。
全世界を照らす "太陽の光であれ!" と無理なことを言ってないのですよ。星の光のごとくなれ と求められています。
 生まれつき羽が歪んでしまったために、空を飛べなくなってしまったホタルがいました。
 飛べる兄弟たちをうらやましく見上げ、仲間に入れない自分を悲しく思う、とべないホタル。その時、ホタルがりをしていた人間の子どもたちがやってきました。逃げ遅れたとべないホタル。
 その時に飛べないホタルの身代わりになって、人間の手に降りて、じっとして動かないホテルがいました。
 跳べないホタルは自分のことをこんなに思ってくれる友がいたことに感動して、跳べないことが気にしなくなったそうです。
この物語は小沢正己校長先生が、作ったお話しです。いじめが問題になった時に学校でこの話をしたら、いじめがなくなったそうです。
このお話は、こども達の心に届き、いじめを憎み、それをなくそうとする心を育んだのです。暗い、学校がお話しの光で明るくなりました。
 イエス様は、みんなを星のように輝かせるために、命を捧げられました。そのイエス様は、今も、みんなと交わり、支え、励まして下さっています。イエス様がみんなに光を下さいます。又みんなは、イエス様を伝えることによって、お友だちにも光を届けることが出来ます。
 周囲の人びとが、私たちがそばに居ることで慰められ、 ホットし、前向きになれるならば、十分 "世の光" であるわけです。
 そして大切にしたいのは、星の光の根気強さです。何億光年の旅で私達に光を届けるお星様は、黙って、偉そうにしません。
 あきらめないで、命を輝かせる人になって下さい。
みんなは人のかたちをした星の光です。見えないけれどもあるのです。