「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
テサロニケの信徒への手紙I 5章16~18節
その始まりは、いつからでしょうか。今から約400年前にアメリカで始まったものです。今でもアメリカでは、11月29日になるとサンクスギビング・ディ(Thanksgiving Day)という休日になっています。
そもそもの始まりは、イギリスからメイフラワー号という船に乗って、102名の人たちが何もない土地アメリカに上陸しました。しかし、1年目の冬の厳しさの中で半分の人が死に、残った51人は助け合って、家を建て、家畜を飼い、畑を作り、小麦やトウモロコシを作りました。そして、収穫感謝の礼拝を守りました。それが始まりです。
豊かな収穫を与えられた彼らは、粗末な丸太小屋の教会に集まり収穫感謝の礼拝をささげました。
苦しかった忍耐の生活を振り返りつつ、「小さな種子の芽を育て、太陽を輝かし、雨を降らせ、成長させて豊かな実りをお与え下さった神様に感謝します」と心からの祈りをささげました。
そして、助けてくれたインディアンを招いて、パンやかぼちゃのパイを作り、七面鳥の肉を焼いて、パーティーを開きました。それが収穫感謝祭の初めだと言われています。
移住してきた彼らは大変な苦労をしました。一緒に来た仲間の半分は死んでしまったのです。そんなひどい経験をしたにも拘らず、彼らはまず神様に感謝したのです。
そうやって苦労をして、野菜を育てた彼らでした。そんな、彼らも苦労した自分を讃えることはなかったのです。
テストで100点をとりました。運動会の競争で一番になりました。発表会で素敵な演技が出来ました。みんなは、そんな時に自分が偉いと思いますか。
「自分で自分を褒めてあげたい」と思うことがありませんか。で、良く考えてみましょう。
お母さんがおいしい料理を作って、みんなからほめてもらいました。でも、そのお母さんは言いました。「こうして、料理が出来たのはお店の人のおかげです」。
お店の人は言いました。「これを売ることが出来たのはトラックの運転手さんが運んでくれたからです」
運転手さんは言いました。「私たちが運ぶことが出来たのは。お百姓さんが働いてくれたからです。お百姓さんが野菜を作ってくれなかったら、野菜もなくて、お仕事もなかったことでしょう」
お百姓さんは言いました。「野菜が育ったのは雨を降らせ 光を注いで下さった神様のおかげです」 一番に感謝をあらわす方は神様なのですよ。
収穫感謝の日とは、収獲のために労した自分の努力を誉めてあげる日ではありません。そうではなく、与えられた恵みに感謝する日ということです。
私たちの住んでいる地球が太陽系の中でいい位置にあります。地球と太陽の距離が、近すぎるとすべての水が蒸発してしまい、遠すぎると寒い星になってしまいます。わたしたちが生きているのは、神様の御業と信じて感謝することが大切です。
私たちは考えれば考えるほど、どれほどいただいたことが多いかに気づかされて、感謝するようになるのではないかと思います。