日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

使徒言行録2:1-11「聖霊の賜物」

2013-05-23 15:49:36 | 説教
「 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」。
                          使徒言行録2:3


 ペンテコステとは「50」を意味するギリシャ語から来ています。イエスの復活から数えて、50日目に見えない神の力がイエスの弟子達に注がれた日であります。
 過ぎこしの祭りから数えて50日目に渡る、ペンテコステに日に多くの国から外国人がやってきて、モーセが十戒を与えられたことを記念したり、小麦の刈り入れをお祝いしてました。
 ペンテコステの日、主イエスに従った一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてきました。聖霊が弟子達に注がれたのであります。聖霊とは、神の見えない力であります。聖霊という言葉は原語では神の息 風という二つの意味があります。
 聖書では神からくる風はノアの洪水を終わらせ、海を二つに分け、イスラエルにそこを渡らせました。又 荒れ野ではその風はうずらを運んで、イスラエルの飢えをいやしました。夢を解いたりする知恵、預言する力、ライオンを引き裂く力などが、その風を受けると与えられました。 神の見えない力である風は、自然や人間を作り変える息吹、人間に様々な能力を与える力である。又神がその計画を推し進めていく力であります。
 弟子たちがキリストの証人となるため聖霊の力としての多様な言葉を与えられたことは、弟子達が聖霊を受けてキリストの証人となるために多様な手段を与えられたことを意味します。
 聖霊の力により周囲の人々が弟子たちの言葉を理解するようになるのではなく、弟子達が周囲の様々な人々の言葉を理解するようになったということです。
 周囲の様々な人々に歩みより、相手を理解し、心を通わせるために豊かな、励ましを神様からペンテコステの日に与えられたのです。
「「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(3節)という。「舌」は明らかに言葉と関係があります。続いて起こった「言葉の奇跡」を暗示している。「一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」(4節)とあります。
創世記に書かれている「バベルの塔」の物語があります。大昔、人々は「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」(創世記11章4節)と言って、壮大な計画を立てて、建築にあたります。欲に駆られて、傲慢になります。その時、神は、「彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」(7節)と言われました。
 彼らの計画は中止に追い込まれました。言葉の混乱。これは、互いの思いが全く通じなくなるという意味での、最も深刻な混乱でありました。
 相手の立場に立って話さないと伝わらなかったり、こちらが、ワンマン主義になりすぎてもだめです。「話す」「聞く」関係が、信頼関係と相手への思いやりに満ちていないと言葉が伝わらなくなったり、相手の言っていることが理解出来なくなったりします。
ペンテコステの日、使徒たちは「聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。つまり、エルサレムに集まっていた、世界各地から来た人々が、「だれもかれも自分の故郷の言葉が話されているのを聞いた」(6節)というのです。
この時生まれた初代教会は、神様が実現してくださった、違いを超えて結びつく新しい人類共同体の初穂のようなものです。初穂が色づき、その畑全体が、次々と色づいていくのです。

神様の愛を伝えようという力が、ペンテコステの日に与えられました。この場面において、愛は他者の立場を理解し、仕えていこうとする姿勢がひな形として現れています。
 多様性を認め合いつつ、一つになる。心が通じ合う世界が訪れるのです。