日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

ヨハネによる福音書21章15節-19節「弟子への委託」

2020-05-02 16:30:07 | フォトギャラリー

家庭礼拝の参考に

 

ヨハネによる福音書21章15節ー19節「弟子への委託」

 主イエスの弟子のペトロは、主が十字架にかかられる時に、3度も主イエスのことを知らないと言いました。そんなペトロに復活の主が現れました。彼の罪を許し、また大切な責任を与えられました。本日はその場面に当たります。他の者よりも勝って、泥沼に落ちたペトロを引き上げた主イエスの愛の深さとその愛に支えられる喜びをお話したいと思います。
西暦67年にペトロはローマにいました。ときの皇帝はネロであります。「放火事件の犯人はキリスト者 」だと嘘をつき、キリスト者を迫害しました。ペトロもローマを脱出するのですが、ローマを出る門で、主イエスとすれ違うのです。「主よ何処へ」とペトロは問うのであります。「おまえが見捨てたキリスト者と共にもう一度十字架にかかるためにローマにゆくのだ」言われます。ペトロも恥じてローマに引き返し、主イエスと同じではもったいないと言い、逆さにはりつけられるのです。
あの臆病であったペトロが、これほど大きな愛の人になったのです。そのペトロの変化は何に根ざしているのでしょうか。今日の場面から考えたいと思います。
ギリシャ語の愛を表す言葉にフィロスとアガペーがあります。フィロスは友愛の感情を表しています。友情とか兄弟愛です。アガペーは主に神の愛を表すときに使いますが、報いを期待することなく惜しみなく注ぐ愛です。大いなる強い愛です。
本日の主とペトロの会話にはこの二つの言葉が出てきます。兄弟愛・友愛を現すギリシャ語はフィロスです。小さな愛です。アガペーは大いなる愛 聖なる愛で、顧みを求めずに愛する愛です。
 21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」     
   この愛はアガパオー(アガペーの動詞形)         
                                
ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
   この愛はフィレオー(フィロスの動詞形)
 
21:16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」
 この愛はアガペー
 
ペテロはイエスに言った。
「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
この愛はフィレオー

 21:17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」
 この愛はフィレオーです。
ペトロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、悲しくなった。そして言った「主よ。あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたは良く知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。・・・
    フィレオーの愛です。

二つの愛を対立的にとらえるか、フィレオーの愛とアガペーの愛を区別しないでとらえるかで、解釈が違ってきます。分けて使っていることには、何か意味があるように思いますが、この二つの愛の言葉は対立的なものでなく関わりがあるように思います。
復活の主イエスと出会って、今芽生えてきたペトロの愛は、主イエスが与えてくださった愛です。イエスへの愛の火がどんなに頼りなく弱々しく小さい火であっても
イエスの愛の火がペトロの中に燃えています。
 主イエスはペトロに裏切られた時に、孤独と痛みを感じられたでしょう。しかし、主イエスはペトロが孤独に陥るようなことがあった時に、そばにいて、孤立させないように働きかけられました。
愛とゆるしという大きな愛がペトロを包んでいます。そこで芽生えたペトロの愛は小さく、人間的なものであるかもしれません。又たまごのように自分の殻の中かもしれませんが、主の愛に包まれて、大きく育っていくのです。
小さな愛の一歩が大きな愛に成長していくのです。    
「陽が射せばチリも輝く」 
取るに足りない存在でも、愛の光が射せば、それは生まれ変わり、豊かに光り輝き、祝福に変わるということです。
主イエスを愛することは羊を飼い、世話をすることです。世話はケアであり魂への配慮です。
15節を読みます。食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われました。
愛に生きているかということを問われましたら、まず、実際に自分の周りの人を愛しているだろうかと自問することがあるかと思います。
ここでは、主イエスをかけがえのない方として大事にするということが、回りの人を大事にすることにつながっております。
イエス様がなされたことを語り、その愛を分かち合う時に、家庭・組織・世界は変化していきます。イエス様の中に私たちの愛の泉・愛の源流があるのです。
世界のすべての人が愛の人になって、助けあい、協力し、様々な困難を克服していくことを願っております。

 

家庭礼拝式順

前  奏           
招  詞         エフェソ5:14            
                    

讃美歌△                         1     
主の祈り△    
聖  書      ヨハネによる福音書21:15-25 
                                        (新約211ペ-ジ)
祈  祷                      
使徒信条△       93-4A                 

讃美歌△          483          
説  教     
祈  祷      
讃美歌△                               521           

      

後  奏 

 

 

           


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