はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。
ルカによる福音書18:17
イエスさまのもとに子どもが連れて来られました。その中に赤ちゃんが混じっていたそうです。乳飲み子と書かれています。
子どもでしたら、自分で歩けるかもしれませんが、生まれたばかりの赤ちゃんです。母親か、あるいは父親の腕に抱かれて連れて来られました。
それを見た弟子達はこれを見て、親に文句を言いました。「泣いたらどうする」「来てはだめだ」と言ってかもしれません。
イエスさまは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われまし。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。…
大人になって、自分が赤ちゃんだった頃の写真を見るでしょうか。机の引き出しの奥にしまって、埃をかぶっているのではないでしょうか。たまに見てみるのもいいですよ。
その写真は大切なことを伝えることでしょう。
大人になるにつれて、自分で生きるようになります。自分のことは自分で考え、自分で行動し、自分でなんでも出来るようになります。
歩けて、着替えが出来て、字が書けて、楽器が弾けて、早く走れるようになって・・
いろんなことが出来るようになると、自分の力に頼ってしまい。何でも一人で出来ると思うようになり、神様の助けすら必要ないと思うことがあります。
しかし、イエスさまは言われます。「幼子のようになりなさい」と
神のみ腕に委ね、神の愛の中に生きるようにと、イエス様は促していかれます。
生まれたばかりの赤ちゃんが、母親のミルクを慕い求めて、それを飲み、成長するように、私たちが飲むものは、神様が下さる乳、御言葉です。
母乳には、病気に勝つ力のもとが含まれています。神様のみことばにも心の栄養がたくさん含まれています。
神さまを前に幼子のようになるって、どうしたらよいのでしょう?それは、神さまの前で、小さな者なんだと自覚することです。
主の祈りの中に、「み名があがめられますように」とお祈りの言葉があります。「崇める」という元々の言葉メガニュー(ギリシア語)には、大きくするという意味があります。神さまを大きくするにはどうしたらよいか。自分を小さくすることです。
威張ったり、自分の力を誇ったりしないことです。
自分が小さくなる時、神さまの大きさが分かります。又いと小さき者を大切にする愛が与えられていきます。