ダスカロスに関連した本「クジラと泳ぐ」を読んだ。松村潔とも関連する。ダスカロスは愛称・通称で本名はスティリアノス・アテシュリス(Stylianos Atteshlis)。
この本で印象的なのが、ダスカロスはチャネリングに反対していたと言うこと。チャネリングは自分自身を明け渡さないといけないからで、そのリスクを懸念したからだと思う。かわりに提案しているのがアチューンメントやアトワンメント(At-one-ment)。
アチューンメントが同調で、アトワンメントが一体化で、アチューメント自体は人間がもつ元々の潜在的な素養。それを拡大させたのがアトワンメント。
これはたとえば、蝋燭にともした二つの炎があわさってひとつに見える感じ。蝋燭ははなせば、ふたたび別に・・・二つになる。それは、人間の存在に害しない範囲で、智慧など好ましいものが一体化する手法に思える。
で、これを読んでいたら、くじら座の探索を本気でやろうかなと思い始めた。自分はキロンがくじら座にあるので何となく引け目というか腰が重かった。が、これを機にというか、ミラから既に誘いを受けているし、自分が海獣 κῆτοςとしての自覚・記憶を求められているというか自立というか・・・まあ、20審判のあとにでてくる物事いうのは「自分が、自立して、自覚して、物事や世間に影響を与えている」ということを、、、しつこいほど嫌気がさすほどにPUSHさせられていることの自覚・・・でもそれは、「無意識」の範囲内で済まされられる厄介・・・というひとつの事例の紹介になるのかもしれない。