ここ数日足がだるいので、改善したいと考える。
ストレッチやフォームローラーの導入で、下半身に気をつかっている時間は増えたはずなのに、と思うと、それらのおかげで逆にだるいと感じられるようになったらしい。あと、お盆と先日いった箱根神社の影響もある気がする。低い領域のエーテル体に変化があったような。
下肢のだるさの改善をするのに、何をどうとりくんだら良いかとF10くらいの意識で聞いてみると「かけっこ」とでてくる。小学校のときから、とにかく短距離走、徒競走が苦手で、学年で一番遅かった。体育の成績はひどかった。そのあたりの意識や感情、肉体の囚われを解放する時期になったらしい。
体育が苦手、とは言ったけど、苦手だったのは陸上競技的な種目。短距離走、走り幅跳び、ボール投げなど。団体競技は別に普通にできたし、長距離走も遅くはなかった。
でも短距離走の苦手感覚はひどくて、運動会のリレーや徒競走がとても憂鬱だった。大勢が見ている中、みんなから大きく離れて最後にゴールするのはとっても恥ずかしくて惨めで晒され居た堪れないあのかんじ。
そこを上書きするために、短い距離を「早く走る、効率よくうまく走る」上書きをしようと思う。学生の時、そもそもうまく走るコツを自分が掴めていないのはわかっていたが、当時はそういう情報を得られなかった。今はインターネットで、検索能力が高ければどんな情報もでてくる。
それで探すと、こんな記事を見つける。
https://fungoal.com/blogs/seicho-recipe/how-to-run-fast
https://www.toyo.ac.jp/link-toyo/sport/howtorunfast/
当時の私は、ここに書かれているのとは反対のやり方をしていた。体に力をいれて、懸命に地面を蹴る。上半身を前傾させる。地面からえる力(反発力)をいかしてない。むしろ走っている時の地面は「敵」みたいなもので、憎しみみたいな感情すらある。
で、他のサイトも読んでいたら、たぶんスキップをするのが良いのかなと思った。スキップは好きだった。なんとなく高揚するし楽しいし、解放感がある。スキップをするときは、地面は「敵」でなくなる。下肢のバネを生かして高く飛ぶことも、長く飛ぶことも、気分次第。
下肢というのは、生命の樹でいえばマルクト、もしくはマルクトとイエソドの複合体部分にあたるだろう。
走るということが、自分との相対性、関係性であり、自分の後脚のバネをどういかし、地面(地球)とどういう関係を築くかというのは、ひとつの現実世界の付き合い方、その様相のように思える。
試しに軽くスキップすると、全然できない。できなくはないが、下半身がダルダルっと重い。うまく筋肉をつかえていない、余分な脂肪や、なにかしら余分なエネルギーみたいなものがくっついている感覚がある。
これに、手の振り方ももっといろいろ試してもいいかもしれない。ケセド、ゲブラーの位置なので。
---
荘子が「真人の息は踵を以てす」とあるように、足と地面との関係は呼吸や、その人の存在感、声、喉、創造性にも関わるのかもしれない。