小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

春香クリスティーンというタレント

2012年10月16日 | 社会戯評
春香クリスティーンというタレント
日本人は、いつ頃から、若い外人女性タレントが好きになったのだろうか?信濃毎日新聞の新聞週間の特集で、春香クリスティーンというタレントのコラムを掲載していた。確かに、スイスから単身やってきたこの二十歳のハーフの女の子は、最近、バラエティーやら、ものまね番組などで、よく、みかけるようになった。確かに、日本人の父親が、漢字検定や日本語能力検定の試験の合格を、日本行きの条件に、スイスの進学校の時に、約束として、課したらしい。しかも、上智大学の新聞学科で、学んでいる現役の大学生で、自称、「田原総一朗の追っかけ」だったそうで、過日、テレビの番組で、田原氏と共演したときの喜びようはなかったが、、、、、、。何でも新聞を読むのが好きで、しかも、国会へも時間があれば、出向く程であるそうである。何とも、今時の政治無関心や新聞嫌いの日本人の若者に比しては、だからこそといった方が良いのかも知れないが、何とも、見上げたものではないだろうか?こういう時代だからこそ、逆に、こうしたタレントが、注目されることになるのであろうか?皮肉にも、「鏡の裏・表」のようなモノではなかろうか?理由はどうであれ、日本という国は、とにもかくにも、外国や外国人の力を借りて、常に、その評価や影響を「活用」(?)するのが、得意であるようである。最近では、お馬鹿キャラで、売り出したタレント達も、みんな、結婚したり、子供が出来たりしているので、得意のフランス語やドイツ語を駆使して、日本の政治や世相を一刀両断にしてもらう役を担って貰ってはどうだろうか?海外向けの広報などにも、一役買って貰いたいくらいである。




岡崎久彦著、「吉田茂とその時代」を読む

2012年10月15日 | 書評・絵本
岡崎久彦著、「吉田茂とその時代」を読む
外交官として、「外交官とその時代」シリーズ(陸奥宗光、小村寿太郎、幣原喜重郎、重光・東郷、吉田茂)の第五巻目の著作である。歴史は、その善悪・好悪によって、判断されるべきモノではなく、歴史観の対立、或いは、違いがあることを認識しつつ、冷静且つ客観的に、検証されるべきであり、何々史観というもので、断罪されるものであってはならないと、、、、、、。著者によれば、我々のような戦後すぐに生まれた団塊の世代、全共闘世代は、戦後の占領軍による過激なニューディーラーの行き過ぎと日教組等の教育偏向によって、影響され、生み出された世代で、未だに、日本の言論や、世論形成に、一定の悪影響を及ぼしていると、、、、、、、。その言が、的を射ているかどうかはさておき、戦後史のGHQ,占領軍による7年間に及んだ占領政策の研究は、確かに、もっと、現代史の闇の中で、日米の若い学者によって、公に、議論されても良いかも知れない。我々の世代では、正直言って、占領時代の占領政策、とりわけ、この著書の中でも、取り上げられていたような一連の課題は、あまり、学校で、当たり前のことしか、教えられなかったようであるかもしれない。その意味では、イデオロギーは、別にしても、NHKで、韓国の学者と「領土問題」について、討論していた櫻井よしこ女史のコメントも、この著者と同じような論点で、何とも、注目すべき発言であったことを想い出した。確かに、教科書・歴史認識の問題とか、南京事件、従軍慰安婦の問題は、キチンと相互に検証されなければならないのは、それなりに、正鵠を射ているかも知れない。占領軍による民主的な改革、財閥解体、農地解放、労働組合の創設、教育制度の改革、東京裁判、公職追放令、新憲法の公布、天皇制と第9条の問題、そして、後に、続く、安全保障の問題、警察予備隊、自衛権の問題、米軍駐留の問題、これらを、マッカーサーと吉田茂、或いは、近衛文麿、幣原喜重郎、芦田均、鳩山一郎、石橋湛山、或いは、その後の吉田学校の卒業生である(池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、宮沢喜一、等)の人間関係を織り交ぜながら、激変する国内の社会情勢と緊迫の度を増す敗戦後の国際情勢の急変と冷戦下での国の選択の在り方を、復興の道を検証して行っている。日本側だけでなく、占領政策に関する戦前からの米国側知日派と称する米国側の日本研究者の人脈など、極めて、興味深いモノがある。とりわけ、現地最高司令官としてのマッカーサーと本国、ワシントンの政治地図との相克、権力闘争、イデオロギーの違いなど、経済政策や、占領政策とは、随分と、生臭い人間的なドロドロした中で、決定されて行ったものであることが、改めて、認識される。対日心理作戦の責任者であるボナー・フェラーズ准将、米国の良心として、「米国の鏡・日本」を著したヘレン・ミアーズ、そして、占領政策の起草作業レベルでのブレイクスリー、ボートンから、政策形成実務レベルでのバランタイン、ドーマン、から、政策決定レベルの知日派で、元駐日大使であるグルー等の日本派布陣、サンソム卿、ジョージ・ケナンによる占領政策への批判、極東通の記者であるマーク・ゲイン、情報局のゴードン・ホイットニー、民政局のウィロビーとニューディーラー左派であるチャールズ・ケーディスとの路線対立、そして、コロンビア大学の学者であるビッソン、そして、ニューズ・ウィークの外交担当編集者のハリー・カーン、ドーマン、コンプトン・パケナム、ジェームズ・カウフマン等による親日ロビー、そして、農業政策のフィアリー、ラデジンスキー、「敗北を抱きしめて」の著者であるジョン・ダワー、ジョセフ・ドッジによるドッジ・ラインの実施、等、我々の知らないところで、日本学が、綿密に、日本人の心理も含めて、科学的に研究されていたようである。逆に、日本は、米国のことを、或いは、中国やソ連のことを心理学的、歴史的に、研究・考察している研究者が、戦時中、戦後に、何人いたのであろうか?むろん情報武官は、そういう仕事を使命としてはいたのであろうが、外交・民間レベルでは、どうだったのであろうか?そして、戦後も、今日に至るも、果たして、そういう流れがあるのであろうか?どうも、語学だけの問題ではなさそうである。
それにしても、現代の問題は、問題で、大変な課題であると実感するが、敗戦後の占領期での食糧問題、経済復興、安全保障、等の喫緊の課題に対して、占領下で、日々、決断してゆくことは、並々ならぬ努力が必要であったことは、疑いの無いところであろう。残念乍ら、戦争のことは、我が世代は、祖父母や、親の世代から、直接、色々と見聞もしたが、占領時期の、とりわけ、自分が、未だ、赤ん坊であった頃の親の世代の生活を、こうした政治・経済政策の大局的な見地の中で、見直してくることはなかったように思える。せいぜいが、朝鮮戦争時での株式相場の高騰で、母のへそくりや家計が、楽になったことくらいだろうか?それにしても、著者が言うように、占領軍による7年間の占領政策は、日本人のその後の精神構造に、多大な影響を及ぼし、反軍思想、ひいては、反安保、或いは、教育での自虐史観の形成をもたらし、今日でも、「戦後」は、そのまま、精神構造上、引きずって歩いていると、確かに、この著作を読み進むと、南京事件が、ナチスのホロコーストになぞらえられて、東京裁判の中で、不当に、誇張されて取り上げられ、結局、従軍慰安婦や、靖国合祀の問題まで、今日に至るも、全く、根本的に、歴史の客観的な検証が、国際的にも、なされていないと憤っている。確かに、連合軍によるドレスデン大空襲や、東京大空襲、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、ソ連参戦による進攻と暴虐行為、東京裁判での勝者による裁判と、天皇制という国体の護持との狭間で、ポツダム宣言を受け容れざるを得なかった当時の指導者の苦悩が、読み取れる。幣原喜重郎が、マッカーサーとの間で、交わしたといわれる「死んでも口外出来なかったこと」とは何か?吉田茂が、講和条約交渉に際して、持論の非武装から、将来の再軍備への可能性を、マッカーサーとのやり取りの中で、或いは、日米安保条約締結との見返りとしての沖縄の立場、米軍駐留の問題、「一人で、抱えて、墓場まで持って行ってしまった事柄」が、今日ほど、重く、「戦後」が、未だに、永遠と、続いていることを、改めて、感じることはない。今日からみれば、容易く、全面講和があるべきであったとか、警察予備隊の在り方を云々する議論は尽きないが、朝鮮戦争の勃発の最中、或いは、中国義勇軍の参戦という事態を前にして、独立国家として、どのような限られた選択が、果たして、占領下、マッカーサー軍政の中で、その余地があったのであろうかと推察せざるを得ない。歴史に、「もし」は、不可能であるが、ヤルタ秘密協定を、もっと、早く、知っていたのにも関わらず、無駄な時間を不作為の下で、費やしたことは、トルーマンが、ルーズベルトの引き出しから、その死後に、初めて、協定を見つけたとか、言われているが、何が、正しい選択で、何を善しとし、何が、悪かったのかを、判断議論しても、歴史の歯車は、戻らない。「失敗の本質」分析は、良いし、その研究も必要であるが、、、、、、。少なくとも、この著作の読み方は、書かれた内容に関して、善悪を判断するのではなく、事実を再確認、再検証するだけの自らの研鑽と能力を磨かなければ、吉田茂が、憲兵隊に拘束された事実を持ってして、占領軍が、公職追放から、除外したとか、駐英大使として、日独防共協定に反対したとか、広田剛毅内閣の外相に推されたときも軍部の反対で、幸運にも免れ、(後に、広田は、絞首刑台に上がることになるが、)これらが、強運で、リベラルだった鳩山一郎や石橋湛山が、公職追放令で、多くの経営者と共に、パージされたことは、単に、運がなかったとか、言う問題ではなさそうである。
私的な感想としては、必ずしも、著者の主張する全ての論旨に、賛成するモノではないが、少なくとも、外交官としての経験から、膨大な日米間の当時の著作を、英文、邦文、訳文を含めて、引用しているその検証作業は、もっと、占領軍による軍政の研究として、評価されて然るべきものである。いずれにせよ、今日も尚、連合国、戦勝国との戦後体制は、引き続いているわけで、それは、考えてみれば、朝鮮半島での休戦協定、日ソ平和条約の未締結など、今日的な歴史認識論争、帝国主義と植民地主義の悲劇、従軍慰安婦、靖国合祀の問題、集団的な自衛権の問題、沖縄の駐留基地の問題、等、どれをとっても、竹島、尖閣の問題とも、根っこは、一つであることを改めて、再認識させてくれる。未だ、「戦後」は、終了しておらず、まだまだ、100年の間、続きそうな奥深い問題である。まるで、戦後の占領を分析したこの著作は、第一次世界大戦前夜か、第二次世界大戦前夜を、改めて、考え直して見る良い機会に、なろうかと思われる。それは、又、同時に、今日的な課題を再考してみる良い機会になることは、言を俟たない。米国側からの占領政策の分析だけではなしに、ソ連側からの対日占領政策に対する文献の分析も、望まれて止まない。確かに、ソ連のスターリン粛正や、毛沢東の大躍進政策の失敗、文化大革命での人権侵害、朝鮮戦争に於ける中国共産党の影響なども、戦後史の課題として、もっと、深く、分析されて然るべきかも知れない、、、、、、、。白洲次郎ではないが、確かに、今日でも、「プリンシプルのない日本」という国は、戦後をずっと、永遠に、引きずっていった方が、良いのではないかとも、感じられるが、、、、、、。プリンシプルを持つようになるのは、いつになるのであろうか?少なくとも、国がもてないのであれば、個人個人が、しっかりと、自分のプリンシプルを作り出さないといけないのではないだろうか?それにしても、今日、「外交」が、定まらないのは、どこに、原因するものなのであろうか?真の国際的な外交官というものは、どのようにして、若いときから、作られるのであろうか?戦後すぐ生まれた団塊世代のみならず、戦後という言葉すら知らない若い人にも、是非、一度、読んでもらいたい著作である。




タリバン運動批判の少女銃撃に想う

2012年10月14日 | 社会戯評
タリバン運動批判の少女銃撃に想う
先頃、イスラム教を冒涜したとされる映像を、一部ではあるが、ネットで、確認して、成る程、これでは、イスラム原理主義者でなくても、抗議するのは、当たり前だと同情をしたところであるが、流石に、バスを待ち伏せして、パキスタンの14歳の少女を銃撃するというニュースには、全く、驚愕としか言えないであろう。同じイスラム諸国でも、トルコなどは、近代化に、成功しているのに対して、タリバンなどは、どのように、女性への教育の機会均等もなくして、国作りを進めるのであろうか?、只、単に、教条主義的解釈のみで、幼気な少女に対しても、銃撃にまで及ぶとは、どのような主義・主張の原理的な解釈が、あるのであろうか?考えてみれば、日本でも、女性参政権が認められたのは、戦後のことであり、祖母や母の若い時代には、選挙権や、勉学の機会する十分に与えられていなかったという歴史的事実があるが、、、、、、。明治期の大山捨松や津田梅子なら、いざしらず、女性の教育への情熱は、女子大や看護婦学校の設立を挙げるまでもなく、社会との謂われのない差別、男性支配との戦いの歴史でもあった。非難がましくステートメントを読み上げる女性である米国のクリントン国務長官は、イスラム女性に対して、いかほどの近代的な教育援助を施してきたのであろうか?只単に、過激派の暴挙をあげつらうだけでなく、或いは、イスラム原理主義を非難するだけでなく、真のイスラム圏の女性に対する教育の機会均等を、積極的に、推し進めるべきではないだろうか?亡き母は、結局、家庭の経済的事情で、戦前、大学に行けなかったので、看護婦免許と助産婦の資格を取得して、70歳過ぎまでも、病院に勤務して、生涯を閉じたが、唯一、大学に、入学したその長兄は、将校として、フィリピンで、戦死してしまい、母は、生前、その両親に向かって、姉と一緒に、「私達姉妹にも、教育を受けさせてくれていれば、こんなことには、ならなかったのに、、、、、、、」と、よく、酒の席で、愚痴をこぼしていたものである。その時の祖父母の顔が、忘れられない。ふと、そんなことを、想い出した。



キノコが、ニョキニョキ、、、、、と

2012年10月13日 | 自然・植物・昆虫
キノコが、ニョキニョキ、、、、、と
食物アレルギーというのは、甚だ、厄介なモノで、自分の舌が、大好きでも、体質の方が、どういう訳か、拒絶して、私の場合は、残念乍ら、キノコが、そのうちの一つに挙げられる。何せ、その食感と味は、とても、良くても、後から、全身に、痒みが生じてくるのである。もっとも、季節毎の旬を愉しむのが、食道楽であり、又、折角、この日本という四季に恵まれた風土に、生まれてきた以上は、秋のマツタケなどは、むろん、抗ヒスタミン剤の薬をいつもの倍程度飲んだ上で、一切れ、二切れ程度は、毎年、戴くことにしているが、、、、、。残念乍ら、今年は、夏の旱と暑さの為なのか、産直売り場にも、地元産のものは、殆ど、見かけないのは、残念であるが、、、、、。それにしても、地元の人は、自分の秘密のキノコの採取場所を覚えていて、親子でも、なかなか、その秘伝の場所を教えないそうであるとか、、、、。キノコ鍋など、思う存分、食べてみたいと思うが、せいぜいが、ブナしめじのホイル・バター炒め程度だろうか?それも少々、、、、、。赤松の林に、囲まれているから、マツタケの1本くらい、間違って、出てきても良さそうであるが、家を建てて、四半世紀近く経つも、これまで、一度も、残念乍ら、お目にかかったことがない。せいぜいが、箒茸程度である。或いは、以前に購入したキノコ図鑑で調べても、食用なのか、どうなのか、不明なキノコ類(何々もどき類)が、多い。もっとも、はなから、食物アレルギーだから、採って食べるつもりは、さらさら、ないけれども、、、、、、。せめて、食用かどうかくらいは、知っておきたいところである。何ともせこくて、情けないが、、、、、、。それにしても、様々な種類のキノコが、多いのに驚く。もっとも、どういう訳か、翌朝には、誰かが、虫なのであろうか、なめくじなのだろうか、何者かが、まん丸く真ん中をかじっていたり、端の部分を、見事に、かじっているのである。もっとも、マツタケなどの採集の時は、わざと、廻りに、農薬を播いておいて、かじられないようにするとか、しないとか、そんな噂を聞いたことがあるが、、、、、定かではない。キノコ狩りに行き、自分の手で、おいしいキノコを採ってきて、料理して食べたら、どんなにか、美味しいだろうになぁと舌なめずりしてしまう。タケノコ狩り、山菜採り、野草採り、キノコ狩り、等、里山は、存外、実に豊かであることを実感する。もう、稲刈りも随分と、進んできたが、蕎麦の実の収穫も、始まりだしたようである。





一寸気になるCFの中のある男優

2012年10月12日 | 映画・テレビ批評
一寸気になるCFの中のある男優
別に、我々の世代は、ガンダム世代でも、ソーシアル・カードの愛好家でもない。もっとも、アメトークなどで、「ガンダム大好き芸人」等を見聞きしている内に、何とはなしにではあるが、最低限の知識くらいは、持ち合わせるようになるから、不思議である。ソーシアル・ゲーム・カードである「ガンダム・カード」の宣伝で、最近、タクシー運転手役で、年の頃、40代半ばくらいの顎髭を生やして、チョッキを着た俳優が、おぎやはぎのやはぎの方(?)から、「お子さんのお名前は?」と尋ねられ、一寸、躊躇いを見せながら、逡巡しつつ、微妙な一呼吸の間を置きながら、且つ、相手の反応を予期する気配を醸しながらも、「アムロと言います。」と応える。すると、画面の右端にいる瑛太とおぼしき俳優が、スマート・フォーンをいじくっている手をハタと止めて、すかさず、「やっぱり、そうだ、、、、、。」というこれだけの間の短いCFである。何故、タクシー運転手なのか、何故、こういう情景描写なのか、その設定は、よく、理解しかねるものの、何とも、この左端の佐賀県出身の運転手(別のCFで、出身地が、分かる)の俳優の何とも、逡巡する間の取り方と、台詞の言い回し方が、興味深く感じられる。CFの評論をよく、天野祐二氏が、しているが、この掛け合いの間合いについて、一度、論評をお願いしたいが、、、、、。どういう経歴の俳優で、どういう監督が、制作に、参加しているのであろうか?一寸、やみつきになるCFである。
もっとも、だからといって、カードを購入するターゲット層ではないのが、、、、、、、。残念でした!



いよいよ、里山にも、秋が深まってきました!

2012年10月11日 | 自然・植物・昆虫
いよいよ、里山にも、秋が深まってきました!
さすがに、室温が、20度を切り始め、外気温も、15度近くになってくると、薄手の長袖シャツも、やや、肌寒く感じるようになる。未だ、セーターでは、時として、日中は暑いし、温泉に入りにゆくと、後から、汗が、じわりと滲んできて、下手をすると、風邪でも引き兼ねない。厚手の長袖のシャツや、秋物のジャンパー等が、必要になってくる。窓の外では、紅葉の枝先が、赤くなり始めたかと思ったら、徐々にではあるが、赤味の色合いが、枝先から、全体に、回り始めてきた。赤一色も悪くはないが、緑色の葉と赤味を増してて行くその色合いのせめぎ合いが、何とも、趣があるように感じられる。移ろいゆく秋の気配が、何とはなしに、感じられてゆく過程こそが、大変、情緒があって宜しいではないだろうか?絶頂期の美というモノを愛でるのも良いが、その美の成長を、ゆっくり、徐々にではあるが、愉しむのも、これも又、宜しいのではないだろうか?やがて、あっという間に、木々全体が、深紅に萌えだして、そして、枯れ葉が落ちてしまい、晩秋から、初冬を迎えることになるが、、、、、、、、。しばしの移ろいの過程を愉しもうとおもう。




バター・トーストに想う

2012年10月10日 | 社会戯評
バター・トーストに想う
私の子供の頃は、ミルクが未だ、流通する以前には、バターも、高級品であった。むろん、まだ、価格が安かった当時の魚の脂や植物油脂中心のマーガリンが、主役であり、バターは、ずっと、後の時代のことになる。しかしながら、どういう訳か、というよりも、食生活の変化の必然なのであるが、、、、、振り返ってみれば、ジャムやバターを子供の頃は、当たり前のように、文化的な欧米的な食事として、摂取してきたものである。やはり、高脂血症や糖尿病予備軍に、知らぬ間に、編入されてしまうのも無理からぬことである。随分前のことになるが、システム手帳に、「食べてはいけないもの」を列記して、きっちりと、遵守すべきであると、何かの雑誌で、読んで、「アレルギー食品(海老、蟹、ロブスター、キノコ類)、チョコレート、バター、」等と書き込み、結構、長い間、実際に実行したものである。そんなことで、結婚してからも、考えてみれば、随分と長い間、バター等は、ほとんど、口にすることはなかったものである。先日、山の神が、バターを買ってきてくれたので、料理の隠し味に、使用してみたが、その時、カットしたものがあったので、今朝は、朝食に、バター・トーストと洒落込んでみた。実に、バターの香りと味が、程よく、美味しいものであることが、再確認された。当分は、又、食べられないだろうから、十分に、その味を舌先に、覚えさせておかなければならない。注意していても、何故、コレステロール値は、上がるのであろうか?困ったものである。体重が減り、血圧も下がっているのに、、、、、、動脈硬化も、気になるところであるが、、、、、、、。



悪意の第三者によるPC遠隔操作なりすましの危険

2012年10月09日 | 社会戯評
悪意の第三者によるPC遠隔操作なりすましの危険
以前、イスラエルによるとみられるイランの核施設へのマル・ウェアー・ウィルス攻撃という記事を論じたことがあるが、何とも、本邦でも、奇妙な事件が起きたものである。しかも、逮捕され、起訴までされた挙げ句に、証拠のソフト・ファイルも、いつの間にか、消し去られていたと、、、、、、。殺人予告とか、爆破予告とか、思いもよらぬ事件に、突然、自分のPCが、関与していると、警察に、嫌疑をかけられたとしたら、自分は、どのように、弁解するのであろうか?無料のソフトをダウンロードした時に、感染させられたらしいと、言われているが、、、、、、。それにしても、通常のアンチ・ウィルスのソフトでは、検出されることがないとは、、、、、、!どのように、自己防衛したら良いのであろうか?自衛隊にも、先頃、サイバー攻撃に対する部隊が、遅ればせながら、創設されたようであるし、警察にも、同様の組織があるようであるが、知らぬ間に、犯人に仕立てられ、逮捕、拘留の上、起訴まで、されたのでは、堪ったモノではない。ホワイト・ナイトならいざ知らず、悪意では、どういう動機なのであろうか?もっとも、最近では、ハッカーをホワイト・ナイトとして、公然とリクルートしているらしいが、、、、、、、、。善意を前提に、発展してきたネットの世界も、うかうかしていると、被害者が、加害者に知らないうちに、転化してしまうのが、どうやら、現実の世界であるらしい。「盾と矛」ではないが、素人の私には、危険なファイルやメールは、開かないで、消去する以外に、当面は、良い手立てはなさそうであるのが、残念ではあるが、、、、、、、、。不審なメールや、大容量のメールが、来るときは、まずは、疑ってみることにするか?それにしても、不審の連鎖、疑うことが、こんなにも、日常化してしまうと、人間の社会はどうなるのであろうか?里山で、すれ違った人にも、挨拶もろくに出来なくなったしまう。そんな中で、山中教授のノーベル賞受賞のニュースが、飛び込んできた。





熊との共生、長野市に熊出現

2012年10月08日 | 自然・植物・昆虫
熊との共生、長野市に熊出現
前代未聞、予想外という言葉を又しても、聞くことになった。何でも、これまでにも、既に、山からは、年々、中腹から、麓へと、熊の目撃が、確認されてきており、併せて、ドングリの木の実が、不作であるとか、山の餌が、乏しくなっているとか、毎年、報道されていた。それにしても、駅や、県庁の付近とか、熊の後ろを何も知らずに、逆方向へ、自転車で、走って行く人も映像には、写しだされていた。80キロもあるオスの熊が射殺されたそうであるが、何とも、共生は、難しいのであろうか?小諸の里山には、せいぜいが、日本鹿や、ニホンカモシカくらいで、流石に、熊は、確認されていないらしいが、、、、、、、。以前、テレビの番組で、飼い犬と一緒に、散歩中に、熊が出現したら、飼い犬は、主人を護って闘ってくれるだろうかということを検証していたが、一頭も、残念乍ら、護ってくれなかったことを覚えている。我が老犬は、もはや、餌食になって、喰われてしまうのが、関の山だろうか?それにしても、熊との、或いは、野生の動物との共生は、何とかならないのであろうか?誠に、悩ましい問題であることは、事実である。鹿、猪の害、そして、熊では、たまらない。散歩する際に、せいぜいが、鈴を携帯し、鳴らしながら、歩くのが、唯一の自己防衛策なのであろうか?良い共存策の手立ては、ないものだろうか?災害並の対策が、必要なのだろうか?



茶房、読書の森イベント、「わにわに朗読ライブ2012」

2012年10月07日 | 社会戯評
茶房、読書の森イベント、「わにわに朗読ライブ2012」
絵本で、子供人気がある「わにわに」シリーズの絵を担当している山口マオさんが、目の前で、絵を描いてくれ、「詩のボクシング」で、全国準優勝した実績を有するGOKUさんの朗読、バック音楽を、オギタカさんが、盛り上げるという趣向で、子供達や親御さん達が、「読書の森」の青空の下で、一緒に、イベントを愉しんだ。林の中で、キャンバスに、絵を描いたり、民族楽器の太鼓や木琴をならしたり、或いは、シリーズ絵本の朗読でも、繰り返しや、イントネーションを変えたり、身振り手振り、ジェスチャーも交えて、ワニのお面を被って、絵本を野外で、読むことは、室内で、遊んだり、本を読み聞かせたり、或いは、読んでもらうのとは、又、一寸、「別の感動」というものがあることを、改めて、知ることになった。屋外でのお昼の食事も、薪で焚いた釜土の古代米のご飯や、自然な食材の食事は、確かに、室内で、食べるのとは、これ又、趣が異なるものである。お母さんだけでなく、お父さん達も、たまには、子供達と一緒に、仕事を忘れて、屋外で、自ら、太鼓を叩いて、クレヨンで、絵でも一緒に描いて、本を読み聞かせてみたら、面白いのではないだろうか?子供というのは、存外、楽器をおもちゃのように、親しむことがわかる。子供達は、一緒に、唄ったり、踊ったり、言葉を繰り返したり、時間を忘れて、この異次元の朗読という空間を愉しんでいるようであった。自分で読む読書と、朗読は、確かに、感動が、違っていた。




俳優、大滝秀治を悼む

2012年10月06日 | 映画・テレビ批評
俳優、大滝秀治を悼む
ついこの間、映画、「あなたへ」の中で、高倉健に、「自分も負けないように、頑張ってああいう演技がしたい」と言わしめた老漁師役の演技が、未だ、記憶に新しい。「久しぶりに、きれいな海ば見た。」という当たり前の短い台詞も、この老優にかかると、何か、哲学的な深遠な意味合いが、その台詞の奧に、感じられてしまうのは、どういう訳であろうか?水性キンチョールのコマーシャルにも、何とも、味のある台詞で、短い限られた時間と空間を、まるで、自分独自の世界観にして、その中に、視聴者を取り込んでしまう魔法は、役者の力量を余すところなく発揮しているように、感じられてならない。俳優とは、そういうものなのであろうか?高倉健にしても、もう80歳であり、仲代達矢にしても、79歳、山﨑努も、似たような歳である。役者というのは、幾ら歳をとっても、老人役で、その役を演じられて、仕事を続けられる良い職業であるが、、、、、、。志村 喬とか、宇野重吉とか、既に、人々の記憶の片隅に、消え去られようとしているが、映画やDVDを見るたびに、その往年の演技に、直接、改めて、時間を超えて、体感できることは、有難いことである。永遠に生きられる命がない以上、致し方の無いことではあるが、残された限りある時間の中で、一寸気になる老男優達は、今後、どういう演技を、大滝秀治に負けないで、見せてくれるのであろうか?それにしても、その死は、残念なことである。若い俳優の中にも、彼らの後を継ぐような俳優がいるならば、是非、早く、出てきてもらいたいものである。こちらも、同じように、歳を重ねるので、、、、、、、、。



落合恵子、講演「共に歩く、共に生きる」を聴く

2012年10月05日 | 社会戯評
落合恵子、講演「共に歩く、共に生きる」を聴く
第五十回小諸市社会福祉大会の記念講演である。たまたま、あぐりの湯で、ポスターを観ていたら、偶然この講演を知ったものである。我々の世代は、若い頃に、同女史がセイヤングのパーソナリティー時代に、やっていた深夜番組に、随分、お世話になりながら、勉強をしていた世代である。その後、子供の絵本専門店のクレヨンハウスや女性問題等、作家としての活躍をし、現在では、反原発運動などのオピニオン・リーダーとしても、活躍している。自分の年齢を詐称するものがいるのに、女史は、歳をとること、年寄りになることを、むしろ誇らしげに、1945年終戦の年に、生まれたこと、しかも、自分の出生について、シングルマザーの母との関係を、15歳の多感な少女時代に、その理由を尋ねることになったことが、又、その母の答が、その後の同女史のライフワークに、多大な影響を及ぼしたそうである。3.11の大災害を、Hug & Readのコンセプトの下に、上からの官製「絆」への大いなる疑念、マス・メディアや報道の在り方への疑問、弱者である老人や子供をも、我慢させてしまう心的症候群、そこから、弱いものとしての「子供と老人、そして、女性」へと、感情を押し殺して、忍耐を強いられ、休めなくさせてしまう雰囲気と状況、「元気な老人と、元気になりたくても、なれないそういう老人達の存在」、差別する側と差別される側、それは、丁度、ベッドに横たわる人(母)を上から目線で眺めてしまう自分との対比、そういう社会的な風潮へのアンチ・テーゼとしての「命よりも尊いものがあるのですか?」へと、導かれて行く。原発問題への倫理的な考え方の導入も確かに、そういう点では、必要なのかも知れない。言葉とは、何だったのか?言葉が、凶器になる。偉そうな言葉で、国による不作為を何食わぬ顔で行い、善良な市民ボランティアという美しい行為に、福祉や介護が、委ねられることは、実は、本末転倒であると。何とも、社会福祉大会での記念講演の主旨としては、皮肉であるが、実に、同女史の舌鋒は、鋭く、的を射ている。ほとんどの聴衆が、実は、そう思っていたのではないだろうか?とりわけ、同世代の女性参加者には、、、、、、。確かに、「いじめ」の問題も、「子供と老人」という「合わせ鏡」で考えてみれば、又、別の側面から、新しい視点が、見つけられよう。「空より高く」という東北の幼稚園児による歌声も、同女史の関わる曲目であり、その園児達によるエールの応援歌は、確かに、改めて、3.11を想起して、心打つものがあった。それにしても、最近の政治の様相は、同女史の言ならずとも、怒髪天を突くように、無念であると、(同女史の髪型は、詩人の新川和江女史曰く、ライオンのたてがみのように、白髪が怒髪天を突くようであると、、、、、。この髪型も、実は、落合女史の母親の介護の中から、自ら選択したそうである。)福島の原発事故により、未だに、そして、これからも、避難を余儀なくされる人々、とりわけ、災害弱者である「子供と老人」へ、改めて、我々は、考え直さなければならないであろうし、決して、忘れてはならないであろう。言葉としての響きは、美しいが、それは、本当に、「美しい日本」に、匹敵するだけの護るべき文化的な風土が、この国には、あるのであろうか、、、、、、、と、我々は、又、再び、言いたいことも言えないような自己規制とそれを強いるような状況に立ち至らないと、本当に、言えようか?そうならないように、何をなすべきなのか、この講演を通じて、考えさせられるものがあったと思う。福祉と介護を通じて、本当は、今の日本の状況への警鐘を鳴らしているのではないだろうか?そして、一人一人の視点とは、、、、、、、?



上田都史著、「山頭火の秀句」を読む

2012年10月04日 | 俳句・漢詩
上田都史著、「山頭火の秀句」を読む
小諸の山浦にある茶房、「読書の森」に、久しぶりに、伺ったところ、たまたま、書架の中に、この本を見つけたので、しばし、拝借して、読むことにした。元々、山頭火の俳句は、気になっていたが、体系立てて、その作品を読む機会に恵まれなかった。最近観た映画の「あなたへ」の中で、北野たけしが、演じる偽元教師の車上荒らしが、高倉健に、旅の途中で、「山頭火の句集」を手渡す場面があった。又、「旅」と「漂泊」の違いを、説明するところがあり、一寸、心のどこかに、引っかかるものがあったのも、事実である。373句の選ばれた句を、一つ一つ、解説したものである。
山頭火の俳句は、同じ17文字でも、自由律俳句で、必ずしも、5 ・7・ 5とは、限らない。何故か、「当たり前」のような情景を、当たり前に、何事もなきが如く、さらっと、表現しているように、字面だけ読むと、そうとしか思えないが、山頭火は、「私は、自然を通じて私をうたう」という。彼の胸の痛みとして考え感じなければほとんど理解できないと、「現代の俳句は生活感情、社会感情を表現しなければならないことは勿論だが、それは、意識的に作為的に成し遂げ得るべきものではない。俳句は、現象を通じて、“思想”なり“観念”なりを描き映さなければならない。刹那的に摂取した感動が俳句的な律動として表現されなければならない」と、荻原井泉水の門人で在り、実家が父の放蕩が原因で、家が破産し、母が自殺、弟も自死し、自らも、離婚し、関東大震災で被災し、漂泊しつつ、行乞し、俳句を発句して歩いた山頭火である。幕末から明治期にかけて、伊那谷を中心に、放浪、漂泊した俳人、井上井月が、思い出されるが、途中で、墓参もしている。膨大な句の中から、自分が、気に入った句を幾つか、勝手に、選びながら、解説を引用しながら、辿ってみたい。特に、自分勝手に気に入った句には、赤字で、表記してみたが、、、、、、、。

鉄鉢(てっぱつ)の中へも霰(あられ):
この句を詠んだ年の8年前、漂泊流転の内に、自分らしさを見出し、関東大震災に遭い、8年後には、亡くなっている。漂泊の辛さから、安穏・定住の中で、全身全心を、迷妄から覚醒された句とされている、終焉の地に碑が建っているものである。

ふるさとはみかんのはなのにほふとき:

松はみな枝垂れて南無観世音 :
この句は、単なる自然諷詠の写生句ではないと、厳しい精神の軌跡を背景としている。「私は瓦礫だ。それも他から砕かれたモノではなくて自ら砕いてしまったのだ。・・・・既に砕けた瓦は粉々に砕かれなければならない。木っ端微塵に砕き尽くされなければならない。」、「一度行った土地へは二度と生きたくない」というのは身を瓦礫と砕いても、忌まわしいものと断絶したい願いの激しさにほかならないと。

分け入っても分け入っても青い山 :
山頭火の漂泊の旅には、到着する目的地はないことが多い。漂泊とは、帰るべき地がなく、往く宛もない、目的地がないものである。歩くことは、自己の存在を確認することであり、漂泊の旅という時間を持つことは、それを明日に持続することであると。「雲のゆく如く、流れるようでなければならない。一寸でも滞ったら、すぐ乱れてしまう」だから、歩くことが、刻々到着していることなのである:歩歩到着、戦い抜いてきた無言の自負の表れであろう。

この旅果てもない旅のつくつくほうし 
終わりなき漂泊の旅は、現在の時とこれからの果てることもない精神の行脚とを、その確認の軸において、心身両面のこれからの旅をせわしくなく蝉と共に、人生を続けてゆくことに他ならないのであろうか?。

へうへうとして水を味ふ :飄々として
「作者の生涯を知らないでは、優れた俳句は、十分に味わえない。前書きのない句というモノはない、その前書きとは、作者の生活である。生活という前書きのない俳句はありえない」「奥の細道も野ざらし紀行も前書きである」、読む方に、その句の創作された状況の把握を求めるか、俳句の中に、その状況を創作するのでなければ、状況からの作品の信の自立はないのではないか、という常識的な俳句の作り方の方法論をラディカルに、超出していると、もっとも、芭蕉の句での宇宙観とも、違いがあると思われるが、、、、、、。

まっすぐな道でさみしい :
「人生とは、矛盾を生きることである。矛盾と闘うことによって本来の自己を失いたくない。」ここにこそ、真っ直ぐな道がある。その道は、さみしいのであると、

しぐるるや道は一すじ :「真っ直ぐな道」は、燃焼を志向する象徴で、漂泊への促しであり、定住への惰性からの自己の自立を意味すると、自己の内なる矛盾を投げ捨ててしまうことをしなかった。

またみることもない山が遠ざかる 
別れの感傷ではない。昨日を捨てたいと真面目に思う、日々を捨てていこうとする願いが旅立たせる、捨て身懸命であると、もう二度とみることもないと思ったことがあるが、命があって、縁があって又、通るのである。そんな句である。

捨てきれない荷物のおもさまへうしろ:
捨てきれない程の荷物の重さとは、? 改めて、考えさせられる。

すべってころんで山がひっそり :

ふとめざめたらなみだこぼれてゐた :
行乞の手記を日々書いてきたが、昨日をみる、昨日を再び今日に引き戻すことになるから、せめて、焼いてしまおうとする。その形を消し去らなければならない。焼いても焼いたことにはならない。捨てても捨てきれるものではない。憂愁は更に耐えがたいまでに募ってくる。何故か、こちらも、涙が、溢れてきそうな句ではないだろうか?何か、深遠な精神性、思想性を感じざるを得ない。

てふてふひらひらいらかをこえた :
永平寺の甍を超えていったのは、単なる蝶蝶ではない。己を蔑視しなければならなかった山頭火の心であると

山のしずかさへしづかなる雨 :
水音のたえずして御仏とあり :
分け入れば水音 :

ふりかへらない道をいそぐ :
山頭火の道は、道があって行くのではない。行くことによって道が作られるのであると、現在を充実したものとして、生きることは、昨日を捨てることに他ならないと、

いただいて足りて一人の箸をおく 
いただきますとごちそうさまという習慣的な感謝の言葉はあっても、ことさらに、しみじみと有難いと思うことはそう度々あるものではない。一人の箸をおくという言葉が、何とも言えない孤独感が滲み出ているが、、、、。

こころつかれて山が海がうつくしすぎる :

さくらさくらさくさくらちるさくら :3/3/2/3/2/3音で、サ行の繰り返しで、寂しい心が奏でられていると、

あるひは乞うことをやめ山を観てゐる :

おもいではかなしい熟柿が落ちてつぶれた 
落ちて潰れたものには、死の無惨があり、母の自死、弟の自裁、祖母の死、父の死、そして、自らの死をも語っているようであると、
同じ柿の句に、次のようなものがある。
さみしさのやりどころない柿の落ちる :

枯れゆく草のうつくしさにすわる 
良寛和尚の言を引用して、死ぬるときには死ぬるがよろしく候と、「死ぬるまで死なないでいる。生きられるだけ生きたい、生も死も忘却して、是非を超越した心境にまで、磨き上げなければならないと思う」と、又、死を待つ心、それはまことに、落ち着いた、澄んで湛へた、しづかな、しんみりとした心であると、「草のうつくしさ」と言う言葉が、何とも良いではないだろうか?

蝉もわたしも時がながれゆく風 :
時が流れるとは、どういうことなのであろうか?記憶と現実と期待に秩序づけられれば、それは、過去・現在・未来で、決して、時間は等質に流れ去ったものではないはずであると、蝉という対象をおくことで、自己の現存を時間の中で、捉え、風には、無常が感じられると、

けふのよろこびは山また山の芽ぶく色 :
自殺未遂後、4ヶ月の発句である

水をわたる誰にともなくさやうなら :
「九官鳥になれ、くつわ虫になれ、そこに安住せよ」と己を問い詰めてきて、流れる水の行方に目をやりながら、誰にともなく、さようならと呟く。何とも、澄んだ精神性の深い句であろう。

こちら向いてひらいて白い花匂ふ :
只、読んだだけでは、全く、当たり前の句であるが、その生涯を振り返れば、自ずと、趣が異なる句である。元旦に一輪の水仙の花を活け、言祝ぐ習慣、この年、十月には、生涯を閉じることになる

寝ころべば信濃の空のふかいかな 
以前、果たせなかった井上井月の墓がある伊那で、墓参を果たした時の峠道での句、今日只今、生かされていることに目頭が熱くなる思いがする。自分も、ごろんと信濃の空の下に、思わず、寝転がって空を眺めてみたい気になるが、、、、、、、。何か、深遠な精神性を、感じられずにはいられない句ではないだろうか?




山紅葉も、そろそろ、秋の準備か?

2012年10月03日 | 自然・植物・昆虫
山紅葉も、そろそろ、秋の準備か?
台風が過ぎ、ベランダに、折れて飛ばされてきた散乱している松の小枝や、ドングリの実を片付けながら、ふと、山紅葉の枝葉の先端に、目をやると、一昨日観たときとは、違って、枝先の葉が、緑色から、やや薄黄色から、薄赤味がかって、いよいよ、紅葉の準備を始めたようであることに気付く。今年の夏は、猛暑で、雨が少なかったから、きっと、寒さが、やってくると、急激に、赤味が増すものと期待される。同じ山紅葉でも、毎年、どういう訳か、紅葉を開始する「順番」が決まっていて、今年も又、恐らく、その順番通りに、進むのであろうか?まだ、他の山紅葉は、緑色のままである。きっと、数週間以内には、そして、一ヶ月の間には、見事なまでの萌え出づるような深紅の色に、衣替えをすることであろう。一枚一枚、その年の天候や陽の射す方向とその日光の量や強さによって、「同じ色がない」ことを、何年か前に、初めて知った。又、葉と葉が、偶然、雨や風で重なり、くっついていたりすると、そこだけが、緑色に、残り、他のところが、赤くなり、何とも、「そのグラデーション」ときたら、絵にも言われぬ自然の美を醸し出していることを知ることにもなる。毎年、その時期が異なり、そのグラデーションの内容も異なり、実に、飽きさせてくれない。その自然の織りなす美を、今年は、どんな風に、愉しませてくれるのであろうか、実に、ワクワクするところである。良い年に恵まれると新聞紙で、押し葉を作って、額に飾ったりするが、最近では、ラミネート・フィルムに、真空パックもするようになった。紅葉狩りの季節も間近である。



沢ガニ見つけました!

2012年10月02日 | 自然・植物・昆虫
沢ガニ見つけました!
台風一過、我が老犬と朝の散歩をしていたところ、U字溝の蓋の上を、体長3-4cm程度の沢ガニが、ヒョコヒョコと歩いているではないか!以前、別の場所で、よく、松林の近くで、見かけたが、近くの沢からでも、歩いてきたのであろうか?それとも、台風の雨によって、排水溝の中から、流されてきたものだろうか?いずれにせよ、何年ぶりだろうか?本当に、久しぶりの沢ガニとの再会である。元々、ここ、小諸の里山の松林の中でも、生息していることは知っていたが、、、、頑張って、生きているらしい、何を主食にして、生き抜いてきているのであろうか?鳥などに、喰われてしまわないだろうかと、心配にもなるが、、、、、、、、。或いは、蛙ではないが、道を横切るときに、車に、轢かれてはしまいかとも、、、、、、、。無事に、森の中の沢で、営々と生き延びてもらいたいものである。又、いつの日か、再び、お目にかかれる日を楽しみに、、、、、、どうか、無事に、生き延びて下さい!祈って止まない。我が老犬は、鼻先で、一寸、嗅いだ程度で、もう、歳のせいなのか、余り関心を示すことなく、トボトボと、過ぎ去ろうとしている。