小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

市場型金融民主主義の危うさと強権的徳政令

2011年12月05日 | 社会戯評
金融工学の専門家ではないから、リスク分散をちりばめたデリバティブ等の数学的金融商品のことは、詳しくは、分からない。もっとも、そのリスクは、為替だけでも、随分と、先物為替デリバティブで、否応なしに、実地に、銀行から、融資とともに、苦労勉強させて貰った。プライム・ローン問題をきっかけに生じたリーマン・ショックの金融危機以降、その危機を脱したかにみえた世界経済も、今又、相も変わらず、自らが作り出した「市場型金融民主主義」という怪物に、飲み込まれようとしている。Credit Default Swap のような無関係の第三者によって、売買されるマネーゲームであることに、本質的には変わりはない。保険料なども、一種の金融商品と見なされるような商品が、ただ、単に、「あなたにとって利益となる」と吹き込まれ、浸透してゆくことは、年金制度の破綻にみられるような国家的な詐欺まがいの犯罪に等しいのではないか?お金には、色がついていないから、分からないうちに、グローバリズムの一層の進展の中で、今や、「市場型金融民主主義」は、行き着くところへ、行ってしまうのか、それとも、ある程度の倫理的な規制や歯止めが、掛けられるのか、こどもの頃、歴史の教科書で習った強権的な「徳政令」という言葉が、現代でも、忘れた頃に、想い起こされるのは、偶然だろうか?徳政令とは、鎌倉や室町時代の歴史上の単なる言葉ではなくして、如何にも市場型金融民主主義的な危うさを持った今日的な現実味を帯びた言葉に、今や、なろうとしている。中谷巌は、自己懺悔だけで、済むのであろうか?それとも、竹中平蔵は、相変わらず、持論を主張するのだろうか?とんと、聞こえてこないのが、気懸かりである。誰か、金融工学の天才が、今日の世界的な経済の苦境を、見事に、数式で解き明かし、これだという解答を提示してもらえないものだろうか?



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