小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

現役学生とのオンライン会議に参加して:コロナ氷河期世代?との対話

2021年10月23日 | 社会戯評

現役学生とのオンライン会議に参加して:コロナ氷河期世代?

 

IT ディバイドと言う言葉を聞き始めてから、一体、年齢的に、どの年代を境に、パソコンやITを使いこなせるのかと考えてきましたが、(勿論、職業やキャリアによって、個人差は否めませんが)、自分の経験からすれば、社会に出たときは、まだ、PCフロッピーも下敷きのようなもので、未だ、ワープロも、普及しておらず、LAで、現地のキャノンが2000ドルで販売していた、テロップの液晶が、10cm程の長さで、しかも、都度印刷しないと、記憶容量がなくて、電話などが掛かってきて、一度中断すると、とんでもない、痛い目に遭った覚えが懐かしく想い出されます。海外とのやりとりも又、テレックスの紙テープに、さん孔機を利用して、事前に、文章を打ち込み、これを即時コールと対時コール(繋がるまで、延々と待ち続ける、残業代稼ぎの若手の仕事だったし、これが縁で担当の女子社員と結局、社内結婚に発展したケースが多かったような気もするが、、、、)で、電話回線をKDD経由でお世話になったものである。のんびりとした、新入社員の残業代稼ぎが出来たゆる~い、余裕のある時代だったのかもしれない。従って、これらを勘案すると、技術の進歩にもよるが、恐らく、現在、75歳位の年代を境に、ITディバイドなるものが、存在するような気がしてならない。

 そんな最中、コロナ禍の以前からも、オンラインとオフラインとの会議の在り方について、試行錯誤を繰り返してきたものの結局、デジタル・フォーメーションと言う方向に舵を切らざるをえない状況に、とりわけ、ここ2年間の間に、コロナ禍のなかで、ハイブリッド方式も含めて、ケース・バイ・ケースで対応せざるをえない切羽詰まった状況になってきたのも否めない。そんな背景の下で、限られた人数ではあるものの、文化祭のオンライン開催に際して、その実行委員会の中で、オンライン・チャット・部屋を開設して、そこに入室して、オンライン会議を開催し、現役生・OBも含めて、18歳から75歳までの意見交換会に参加した次第である。

 それにしても、この2年間のキャンパス・ライフは、薄々、風聞してはいたものの、想像以上に、学校での授業・友達作り・サークル活動・就職活動などへの影響が、<コロナ氷河期世代>とも、(現役生曰く)揶揄される当事者達は、後年、社会に出てから、こんな呼ばれ方や、レッテルを貼られるのであろうか?丁度、自分たち、50年前の怒れる若者が、若い頃に、やれ、<団塊の世代>とか、<全共闘世代>とか、呼ばれたように、同じ、Z世代でも、格別に、区別されてしまうのであろうか?必ずしも、否定的な側面だけではなくて、肯定的な側面からも、大変興味深いものがある事は事実であろう。

 ストライキや社会運動で授業が物理的に出来ないのとは異なり、そもそもの<他者との距離間のあるコミュニケーション>それ自体が、<会話をすることで、飛沫が飛びかねない>と言う理由で、キャンパス閉鎖やロックアウトになること自体が、過去に、全く経験したことのない自体そのものである。      オンライン会議などは、そもそも、自分の経験から言えば、海外とのやりとりは、Skype等で、当たり前と言えば、当たり前に、何の抵抗もなしに行われていたものである。それが、音声から、技術革新に伴い、テレビ電話になったもので、その昔には、東京と大阪の事務所を結ぶテレビ会議システムなるものに、100万円以上もの投資を会社はやっていたものである。全く技術革新に伴い、当時は、よくもまぁ、こんな多額の投資をやっていたものであると、昔の余裕には呆れ果てたものである。

 学業が出来なければ出来ないで、勉強が出来ないことも、勉強だと思えば、或いは、ノンポリも、Activistも、それぞれ、今思えば、それなりに、人生勉強になっていたものであることに気がつけば、全て、前向きに、80分の2年くらいに、或いは、100分の2くらいに、前向きに考えてみるのも、良いのかも知れない。それにしても、距離のある一定程度のcommunicationというものは、人間関係に、どういった影響を及ぼすことになるのかは、将来検証されることになるのかも知れないが、その時には、こちとらは、もうこの世にはいないだろうから、ある意味で、興味深いことであろうか?

どんな社会的な影響が出るのか?超新人類のような別個の固有種が発生するのであろうか?一体、どういう肯定的な影響が、或いは、否定的な影響が出てくる可能性があるのであろうか?

 ただ単に、Global Supply Chainの一つの歯車が狂っただけで、様々な影響が出てくる以上、所謂、人間関係の相対的な育成課程でのギクシャクとした問題は、恐らく、若者への未知のインパクトが、人生観にも出てくるのではないかとも想像されよう。それが、将来、吉と出ることになるのか、それとも、凶として具現化してくるのか、或いは、個人レベルで済まされるのか、それとも、それ自身がその世代特有な共通的な人生観、Life Styleにも、直接的に、影響を及ぼすことになるのか?50年前の怒れる若者には、今の若者達が、50年後に、あの時を振り返ってみたときに、どう振り返るのか、大変興味深いものがあります。それは、それぞれ、戦争というものを経験したり、戦後の混乱期での就職困難期を経験したとか、或いは、高度成長期に、或いは、失われた20年の中で、就職氷河期に遭遇して、派遣社員にならざるを得なかった世代とか、生まれてきたときが悪かったのか、産んだ親を恨むのか、それにしても、海外からの会員のアクセスも含めて、なかなか、時代のリアルタイムでの問題に触れる機会が最近は、少なくなってきている中で、改めて、若い世代の或いは、現役の働く世代の人達の立ち位置が、理解されて、オンライン会議も、大変、充実した印象を受けましたし、おそらく、オフライン・オンラインも含めて、ケース・バイ・ケースで、ハイブリット方式も含めて、時代はそういう方向に移行しつつあるのであることが、再認識されました。それにしても、肩組み合って、歌を歌ったり、メガホン片手に、声援を、或いは、相手へのエールを送れる日常が、早く戻ることを期待してやみませんね。当たり前な日常が、こんなにも、あっけなく、マスクと共に、消えてしまうとは、経済的な損失はさておき、改めて、人類の経験したことない未知のかけがいのない経験を、若い人達は、ここ数年で、経験している最中であることは、間違いなさそうである。

 そんな印象を受けた次第です。



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