小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

=「まんが学」の記事に想う=

2011年12月02日 | インポート

谷岡ヤスジの「鼻血ブー」に託した悪ガキの怒りは、メッタメタガキ道講座として、70年代初頭に社会現象化したことを、想い出す。当人は、99年に、惜しまれながら、早世してしまったが、当時は、赤塚不二夫先生の天才バカボンや、おそ松くんのニャロメ人気が、その一方で、ブームを席捲していた。私達の子供の頃は、今から思えば、良く、本を読み、よく勉強もし、よく空き地や、塀の上で、遊び、遊び疲れると、決まって、友達のうちで、(何故か、友達の家だったが、、、、)おやつを頬張りながら、よく漫画も読んだものだ。もっとも、貸本屋も、未だ、一産業として、立派に、残っていたが、、、、。(その貸本屋も、何年か前に、廃業してしまったのは、淋しいが、、、、、)月刊誌の「少年」連載の横山光輝による鉄人28号や、手塚治虫の鉄腕アトム、果ては、月光仮面、等、アニメ化される前の漫画本を、こどもの科学などとともに、実に、よく読んだものである。後の少年サンデーや、マガジンに、更には、今日のアニメーション文化、アキバ・オタク文化へと、広い意味で、繋がっていくのだろうか、「これでいいのだ!」や、植木等の「分かっちゃいるけど、やめられネェー!」等は、今、想い出しても、随分と「深遠な仏教哲学的な思想」が、内在しているようにも、思えてならない。あの頃、「漫画なんかを読んでいたら、頭が、悪くなる」と、良く、母親やPTAから、言われたが、果ては、悪書追放まがいの運動の目標になったことは、「ゲゲゲの女房」の中でも、触れられていたが、子供の心の成長の過程では、今にして、想えば、決して、悪いことではなく、むしろ、友達付き合いや、別に、漫画のみを読んでいた訳ではなく、「一服の清涼剤」のような、或いは、「心のオアシス」、「こどもたちの隠れ家」のようなものだったかも知れない。私の書庫には、その昔の漫画は、残っていないが、子供達の読んでいた昔の漫画は、そのまま、使い古され、傷ついたミニチュア・カーやお人形とともに、残してある。孫でも、持つようになったら、お爺さんの読んだ漫画を、是非、読ませたいものである。復刻本でも出たら、買うとしようか?


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