銀鈴を 鳴らしつつゆく 巡礼の 幻を見る たそかれの雪
*幻想的な歌ですね。これは東京方面に雪が降った日の翌日に詠んだ歌です。
日ごろ雪の降らない東京に、積もるほど雪が降って、都会の人は結構大変だったらしい。ニュースやツイッターなどでその話題が多く取り上げられていました。
雪にもいろいろあって、降ってうれしい雪と、なんだか降られて困ることになる雪がありますね。
降られて苦しいと感じる雪は、大方人間世界の業の浄化のために振るのです。天候にもいろいろなわけがある。このときの東京に降った雪は、まさにこれでした。あなたがたにも見ればわかるでしょう。
人間は雪の中で大変な思いをしながら、浄めねばならない罪を浄めていたのです。
その人々の群れを、なんとなく銀鈴を鳴らしながらゆく巡礼、などと詠ってみたのですが。巡礼の目指すところは何なのか。それはおそらく、遠い過去になしたまま放ってある痛い記憶によびさまされることなのだ。
忘れているが、心の奥に常にうずいている何か。約束のように、人は自然にそっちに向かって歩いていく。そして運命の流れをつくっていく。
たそかれ時に降る雪は一層つめたかろう。みな雪をわけて、大変な思いをしながらかえっていく。しかしその家は、本当は自分の家ではない。だれかから盗んだ家なのだ。
家というのも、人から盗んでくることができるのですよ。この世にある現象はみな、見えない世界にある何かに根差さねば、起こらないのです。見えない世界に何も持っていなければ、この世で何も持つことはできない。家を持つことができない人は、だれかからその何かを盗んで、この世界に無理矢理自分の家をつくることがあるのです。
今の時代の人間は、すごくたくさんの人が、そういう盗みをして生きている。そうして神が与えてくださった人生を、自分で勝手に改変して生きているのです。
そうして手に入れた家も、いずれは雪のように解けていくのだが、人々はそれを知らずに帰っていく。
それがまるで、何かの運命に向かって並んで歩いていく巡礼のようだ。だが、彼らには何もわかりはすまい。
雪は静かに降っている。何も言いはしない。