ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

おほひるめ

2017-06-09 04:21:12 | その他





戸にこもり 明日は出でむと おほひるめ    夢詩香






*「おほひるめ」は天照大神のことです。「あまてらす」でもよかったのですが、こちらのほうが俳句として詠みやすいと思ったので、「おほひるめ」にしました。

太陽神が女性である神話は、かなり珍しいもののようですね。ギリシャ神話ではアポロンもヘリオスも男性です。メソポタミアの太陽神はシャマシュと言ってこれも男性です。インドの神話ではスーリヤと言ってこれもまた男性です。エジプトの太陽神ラーは性別をことさらに語っていないようだが、男性としか考えられません。太陽というものはどうしても、男性のイメージがある。強い光を発し、世界中のあらゆる真実を照らし出す。あらゆる秩序を支配する。自己存在の意思の表明を力強く表す。

男性というものはいつも、自分というものを強く押し出すものですから、どうしても太陽の方に近いと感じる。

だがなぜか、日本神話では、太陽神が女性であり、月神は男性なのです。それはおそらく、縄文時代の社会体制に基を発しているでしょう。あの頃には結婚制度などありませんでしたから、家族というものは母親を中心に営まれていました。男は結婚などせず、生涯母親の家で暮らし、時々よその女のところに行っては、子供をこしらえるというような、遊分子的な存在でした。

父親という概念はありましたが、そういう存在は、自分のためにほとんど何もしてくれなかった。愛してくれて、何かと世話をしてくれるのは、母親だったのです。そういう存在のイメージが、太陽神に進化したのが、日本神話におけるアマテラスというものでしょう。

元始女性は太陽であったと、平塚らいてうは言ったが、それは誤りではありません。女性というものが、昔は、みなを何とかしていたのです。男はただセックスをするだけで、ほとんど何もしてなかったという時代では、女性が主だって、社会を運営していたのです。愛というものがなければ、皆のためにやるなどという気持ちも生まれてきません。母親が子のためにやるという基本の基本の愛でしか、社会を営めなかったという時代も、確かにあったのです。

男が、愛に目覚め、社会の秩序を背負うようになったのは、その後の時代です。アポロンもスーリヤも、ある意味ではアマテラスの子供なのです。

表題の句は、岩戸にこもったアマテラスが、明日には出ようと思っているという意味です。なぜアマテラスがこもったのか。それは、男が自分を馬鹿にしたからです。男というものが、自分を主張しだして、アマテラスの太陽神としての資格を奪おうとしたのです。力ではかなうわけはありませんから、アマテラスは岩戸に逃げてこもったのです。そして何にもしてやらなかった。そうなればみんなが困るだろう。困って反省した時を見計らって出てやろう、とアマテラスは考えていたのです。そうすればまた、皆の世話をすることができる。

まあ神話では、アマテラスが隠れたことに困った神々が、いろいろと策を弄して引きずり出したことになっていますが、そういうことはたぶん、古い時代にたくさんあったでしょう。母親を馬鹿にしたばかりに、母親に逃げられて、あわててみんなが迎えにいくなどという人間模様は、たくさんあったでしょう。今でもそんなことはよくありますね。

アマテラスを馬鹿にしたスサノヲは、高天原を追われるが、実際の世界では、スサノヲは暴虐を果たしました。アマテラスを追い落とし、自分が太陽神になったのです。そして時代は弥生に移行する。男が暴虐をやりすぎないようにするために、段階の高い秩序を神がこの世界にもたらしたのです。男性の太陽神はつまり、農耕の始まりとともに現れたのです。

女性は光を弱め、月のようになり、男性の下になって働き始めた。男を主とした家庭が営まれ、社会は新たな太陽神の元に進化していったのです。

だがそれは、馬鹿な男の暴虐にも大きな活動を許すことにもなった。秩序を実行しようとする進化した男が何とか抑えようとしてきたが、それを破壊してでも原始の性欲を実行しようとする馬鹿男の前に、たびたび倒された。その馬鹿男の暴虐が、女性を虐げて苦しめ続ける。恐ろしい馬鹿をやり続け、とうとう馬鹿男は、月の岩戸に女神を追いやるのです。

天の岩戸なら出て来られるが、月の岩戸ならもう出てこない。阿呆は知らない。女性というものはまだやわらかいということを。月が、太陽よりは火が弱く、大事にしなければ消えてしまうものだということを。




世に逆へ 鵺の嘘音を 語れども 月の岩戸の 鍵は開かじ     夢詩香




「逆ふ」は「さかふ」、さからうという意味です。元歌は清少納言の歌ですね。知っていると思うのでここでは紹介しません。

アマテラスはまだ、馬鹿にされても明日には出てあげようと思っていたが。月の岩戸にこもったなよ竹の姫は、もう帰っては来ないのです。

馬鹿男の暴虐が、消してしまったからです。







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