ちはやぶる 神のまなこに あらはれて 人はまことの おのれをぞ知る
*「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞ですね。定番ですが一応抑えておきましょう。学びとは繰り返しの中で深まってくるものだ。さて。
大火がツイッターで繰り返し言ってくれているように、今この世界には偽物の自分があふれかえっています。
人の顔を盗み、人の人生を盗み、自分をいいように書き換えている。そういうものが今大繁栄しているのです。
人間は自分がつらくてたまらないのです。美しくはないのに、馬鹿だからです。何もいいことはしていないからです。そんな自分が嫌でたまらなくて、見栄えだけでもよくしようとして、人からの盗みで、見栄えのいい容姿や人生を手に入れ、それを生きている。
その化けようもうまいものだ。本当の人格者や美人を微に入り細に入り観察して、本物そっくりに化けている。いかにも美しい人が言いそうなことを言い、立派な人がやりそうなこともやっている。
しかし、どんなにうまく化けようとも、神の目をごまかすことはできません。なぜならそれは愛ではないからです。ただ自分を守るためだけにやっている、嘘だからです。馬鹿はそういう正体を見抜かれ、あばかれていく。そして本当の自分に帰っていく。
本当の自分はそれほど美しくはない。何もしていないから、何もない。人からの盗みで自分をよくしていた嫌なやつだ。そういう自分の真実を、馬鹿は教えられるのです。
人間はもう、嘘で作った自分を脱ぎ捨て、みな本当の自分に帰っていくのです。そして本当の自分の人生を生きていく。それがどんなに貧しく、試練に満ちていようと、真っ正直に生きていくしかない。
そうしなければ、人間を落ち、永遠を失うからです。人間は神に、選択をせまられている。見栄えだけのいい偽物の自分を生きていくか、真っ正直な本当の自分を生きていくかと。
その神の問いに、正しく答えることができねば、人間はもう人間ではなくなるのです。