月の子の 空に投げにし かなしみを 知りてたづぬる 神のためいき
*わたしたちは、かのじょという天使をよく知っています。それはもう長い付き合いですから、どんなときにどんなことを思うかということが、手にとるようにわかる。まるでわがことのようにわかる。
かのじょは今眠っていて、ほとんど自己活動をやっていません。だがもし目覚めて活動していれば、こんなときにどう思うかと言うことはわたしたちにわかるのです。
「月の子」などと呼びかければ、かのじょは必ず恥ずかしがります。自分はそれほどのものではないからやめてくれというのです。それはもう奥ゆかしい人ですから、自分を派手に良いものにしてほしくないのです。ですからわたしたちは、「野の月」などと呼び変えてきたのですが。
どうしても「月の子」と言いたくなる時がある。かのじょがあまりに小さくなって、本当に消えてしまいそうに見えるとき、いえ、あなたはもっと立派な方なのですと言いたくなる。
男ならば遠慮せず、自分をもっと高いものにたとえればいいものを。かのじょときたらかわいいのだ。
月の子が、かつて空に投げていた悲しみを知って、たづねてきた神のためいきであることよ。
これはかのじょがトトロの挿入曲につけた詩によせてつくったものです。それはこういうものでした。
風は渡り 種をはこび
大空の陽は 野に光をまく
顔をあげて 歌を歌い
悲しみは 空に投げよう
全部は紹介しませんが、要するに何をしても誰にも理解されない日々の悲しみを、空に投げよう、という詩でした。
そのようにかのじょはいつも空を見ていた。空を見れば神がいらっしゃることがわかる。この世の身分ではどんなに孤独でも、空に神がいらっしゃれば、必ず自分のことをわかってくださる。かのじょはそういうことを頼りに生きていた。
その悲しみを受け取った神が、実際にかのじょを見にきていたのです。そう、神は時にそういうこともなさるのです。
そして深々とため息をついた。あまりにもひどいと。
人々を助けるために、神がつかわした美しい人に対して、人間たちのしていることがひどすぎると。
あなたがたもまた、ずっと神に見られていたのです。