ゐてならぬ きよきくはしめ をればこそ 人は憂き世を 荒し果てつれ
*「くはしめ(美し女)」は文字通り美しい女性のことですね。忘れ去られていた言葉でしたが、わたしたちが発掘して使い始めてから、結構使っている人もいるようです。「美人」というより響きがいいのでしょう。
このように古語辞典は宝の山です。面白い言葉やきれいな言葉がたくさんある。こんな分厚い古語辞典があるのはうれしいことだ。いつでも飛び込んでいろいろなものをさがしてみましょう。
ところで、表題の歌は、ある人の本音を知って詠んだ歌です。今年は喪中でしたが、夫の方針で数少ない身内以外にはそれを知らさなかったので、かなりの年賀状が届きました。そのうちの一枚から、こんな声が聴こえたのです。
美人でいい子のひとなんて、いたらみんなが困るのに、いるのよ。
ふしぎでもなんでもないですね。あなたがたにももうわかる。こんなものにも人の思いがこもり、感覚を注げば、その思いをこめた人の感情も読めるのです。
その年賀状をくれた人を、生前のかのじょはかなり愛していたのだが。その人はこういうことを考えていたわけです。未熟な人だ。きれいなのにまじめでいい人がいたら困るのはみんなではない、自分なのです。自分はそれほどいい子ではないのに、美人ではないからです。
かのじょと自分を比べて、いやな思いをすることもあったらしい。年賀状からはそんな恨みも見えていました。人間というのは嫌らしい。どんなにかひどいことをしてやろう、という気持ちも見えるのです。
なぜ自分が美しくないのか、それはひとえに、自分が何もしてこなかったからなのだが。そんなことを思うのは嫌なのだ。とにかく、なんでもきれいな女のせいにしたいのだ。あんなものがいるから、みなが苦しむのだということにしたいのだ。あんなのがいるのが悪いのだ。それで、なんとかして馬鹿にして、いやなものにしようと、あらゆることをして、結局殺してしまった。
苦いのは、結局きれいな女性たちは何も悪いことをせず、それほど不幸にならずに死んだということだ。
いやなことになって、いやなものになって、世界中に笑われて死ねばいいのに、そうはならなかった。むしろ、自分の方が、きれいな女に嫉妬して、馬鹿なことをしつくした馬鹿として、世界中に笑われ、嫌われている。
哀れなどというものではない。きれいな女性に嫉妬する、きれいではない女性の地獄とはいつもこうなるのです。結局は、自分が一層汚くてみじめなものになるだけなのだ。
そしてまた、きれいな人に嫉妬して、馬鹿なことをする。
もうこの構造がわかったら、その果てしない馬鹿のスパイラルから出てくる努力をしましょう。
悪いのはくはしめではない。しこめのほうなのです。