春の夜の はかなき花の 香をたのみ 難き憂き世を ゆきにけらしも
*「~にけらし」は完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」に、過去の助動詞「けり」の連体形「ける」、そして推量の助動詞「らし」がついた「にけるらし」が縮まった形です。「~してしまったようだ」とか「~たらしい」とか訳されます。細かいことだが、いちいち抑えておくと、古語の使い方が柔らかくなる。「も」は詠嘆を表す終助詞ですね。
春の夜のはかない花の香の美しさをたのみ、この難しい憂き世を生きていったらしいことだ。
こういうと、直接はかのじょのことを知らない人々が、のちにその話を聞いて感動し、こう言ったことになります。推量の助動詞ですから、かのじょがどう生きていたかを直接知っている人だったらこうは詠みませんね。
あれから何年か経ち、状況はどんどん深まって来る。かのじょのことがより広く世間に知れ渡ったのです。死んでからかのじょのことを知った人は、何もしていませんから、馬鹿にならずにすむ。それなりに正しい評価をしてくれる。
生きているうちにかのじょを知っていたら、嫉妬に狂っていたかもしれない人も、もう死んでいない人にはそういうことはしない。冷静に見てくれる。
時の経過というものはありがたいものだ。だんだんと嘘は剥がれ落ちてゆき、真実があらわになってくるのです。
陰でかのじょをそしっていた人々が、かのじょを汚そうと言い重ね、塗り重ねていった嘘も、どんどん洗い流されて来る。馬鹿がどんなにいやらしいことをしていたかが、明らかになって世間にさらされる。
人間たちは知らなかった。人類の感覚が伸びれば、だれにでも嘘がみぬけるようになることを。そして快い真実だけを求めるようになることを。
もう心の中を隠すことはだれにもできなくなった。人の考えていることが誰にでもわかるようになった。嫌なことを考えていると、何も言わないのに、周りの人間たちが一斉に逃げていくのです。こんな世界になってしまえば、馬鹿はもう生きていけなくなる。
馬鹿というものは、人を馬鹿にすることができなければ、何もできないからです。
どんなに巧みに言い装っても、本心を軽々と見破られる。誰も近寄って来なくなる。
嘘を脱ぎ捨て、全てを最初からやり直す気にならなければ、馬鹿はもうこの世界で生きていけません。彼らはもう別の世界にいかねばならない。
このようにして、この世界は、だんだんと真実の世界になっていくのです。そしてその世界で、あの人の真実はきっと、美しく伝えられていくでしょう。
嘘ばかりの真っ暗闇の世界を、一筋のまことで生き抜いた人が、どういうことになったかを。