ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

人の世

2017-08-04 04:20:11 | 短歌





人の世を 憂きと難きと 思へども 捨て果てかねつ 鬼にしあらねば





*今日は本歌取りをあげましょう。知っていると思いますが、元歌は万葉集のこの歌です。




世の中を 厭しと恥しと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば    山上憶良




山上憶良は、特筆すべき歌人ですね。素晴らしい歌人だからというよりも、凡庸な歌人という意味においてです。実にこのような歌は、かなり誰でも呼んでいるからです。世の中がいやだと言って捨てるわけにもいかない。鳥ではないのだからと。こういう思いは、普通の人間ならだれでも持っているのです。

ほかにも、子供のことを思った歌などが有名ですが、あれもなんだか、子供をだしに役人仕事から逃げるための言い訳の歌のように聞こえないこともない。かわいい妻子がわたしを待っているので帰らせてくれと。なぜ帰りたかったのでしょうね。嫌な仕事をさせられていたのかもしれません。人に頭を下げねばならないような、我慢ばかり強いられるような仕事を命じられていたのかもしれません。

山上憶良という歌人は、それなりの表現力はあったが、心はそれほど成長していなかったようです。それでもこのような歌が残って、有名になっているところが面白い。人の心に響くところがあったからでしょう。ですが、紀貫之のこの歌などと比べると、情趣が浅いのは明らかだ。




かきくもり あやめもしらぬ 大空に ありとほしをば 思ふべしやは    紀貫之




一面に雲がたちこめている大空に、星があるなどと思えるだろうか、できはしない。

よく鑑賞して感じてみてください。憶良の歌は自分の身から離れていないが、貫之の歌は魂が飛んで空に吸い込まれているという感じがするでしょう。その分、貫之のほうが歌人として優れているのです。彼も役人としてつまらないことはせねばならない身分だ。だがそれをかけても、この世界で何かをせねばならない高い思いを抱いている。その思いが、星の世界のように高いことを、どこかで感じている。

だが暗い雲に覆われているこの世界からは、空の星など見えはしないのだ。

感性の高いものならば、時に感じざるを得ない人生への絶望を、これは歌っているのです。

しかしかといって、憶良の歌の価値が低いわけではない。意趣は凡庸だが、技術はかなりこなれている。凡庸な心をいい感じで詠ってくれた歌というのは、かなり使えます。

おもしろい本歌取りもできる。

人の世を、悲しいとか難しいとか思うことがあるが、馬鹿だと言って捨てきることもできない。わたしは鬼ではないので。

冒頭の歌はこういう意味です。わたしたちの心もこもっています。凡庸な人間ではいかんともしがたい世の中を、なんとかするために、鳥のようにこの世界に降りてくる存在もいるということです。






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