今回の熊本県の郵便局訪問の前に見たかった通潤橋に行きました。次いで、熊本市内の水前寺成趣園に行ってみました。
入口では、くまモンがお出迎えしてくれます。
400円を払い、中に入ると、木々に囲まれた池が有りました。
水前寺成趣園は、肥後初代藩主の細川忠利公がお茶屋を気づいたのが最初だそうです。そして、三代細川綱利公の時代に作庭され、1671年(寛文11年)に完成したそうです。桃山式庭園の代表だそうです。
東海道を模した庭造りが行われたそうです。
出水神社を過ぎると、トップの写真になります。正面の山はどう見ても富士山です。ということは、今、上っている坂は箱根峠でしょうか。
箱根峠を過ぎると、水辺になります。
伊豆の海でしょうか?
道を外れると、この庭園の元を創った細川忠利公とその祖父、細川藤孝(幽斎)公の銅像が有りました。
そして、銅像跡というのが有りました。
ここには、最後の藩主、細川護久公の次男の長岡護全公の銅像があったそうです。長岡護全公は、陸軍喜平少尉でしたが、1904年(明治37年)の日露戦争に際し、華族で初めて戦士されたそうです。その武勲を称え、銅像が建立されたそうです。しかし、昭和18年の太平洋戦争の金属供出で無くなったそうです。このことを、写真の解説版では、「再度出征されました」と表現しています。
松と富士山、この風景は、三保の松原でしょうか?
そして、平く広がるのは、濃尾平野でしょうか?
また坂道になり、山に囲まれています。亀山から甲賀の辺りのイメージでしょうか?
その先の水の有る所は、琵琶湖ということでしょうか?
最終的には、能楽堂に着きます。
ここが京都ということでしょうか?
湧水を利用した池だからでしょうか、水は澄んでおり、鯉も鮮やかに見えます。
せっかくの庭園の風景も奥に見える建物が邪魔です。
古今伝授之間という建物が有りました。
庭から建物の中も覗いて見ました。
「古今伝授之間」は、後陽成天皇の弟宮、智仁親王に、さきほどの銅像になった細川藤孝(幽斎)が、古今和歌集の読み方、解釈を伝授した場所だそうです。元々は、京都の御所の中にありましたが、後に、ゆかりの細川家に下賜されたそうです。1912年(大正11年)に現在の場所に移築されたそうです。
書院兼茶室の建物です。なので、茶室の入口は極めて狭いです。
手を清めるためのつくばいも有りました。
水前寺成趣園は、なかなか楽しかったです。なによりも、私の気持ちをゆったりとしてくれました。
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