カンボジア日記  ゆめきの日々

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サムレンシーの帰国問題 最終章(とりあえず)

2019-11-15 07:36:12 | 頼んだ税
サムレンシーの帰国問題 最終章

カンボジアのサムレンシー帰国問題が大騒動ですが、最初から丁寧に説明しないと意味不明の方がいるはずですので、簡便な説明をしますので委細を知りたい方は過去のブログをご精読願います。
斜め読みと新幹線読みは遺憾象。


まず、サム・レンシー氏の人物像

カンボジアに生まれ、政治家の父の影響でカンボジアの野党第一政党の指導者になりました。
対するCPP(cambodia pepoe,s party)は政党組織が以前からありまして、此処の支配者はカンボジアの多数派を容易に形成できやすい環境があるので、政治家は当該組織入党を目指しますが、政治の世界は金と票なのでどちらも必要です。

サムレンシー氏のの父親は、フランスの後援を受けていた政治家であり、父が殺害されたのでフランス政府の後援によりフランスに渡りまして教育を受けましたから、強いフランスの思想を保持する人物で、選択は多くの場合自己本位主義です。

サムレンシー氏は、以前から自己の政党を率いていましたけれど、勢力が少数派なのでアメリカ人官僚の助言を受け入れやはり少数派のケィムソッカ氏が率いる政党の二つが合併しましたので、強い一つの政党組織に変化しました。
この時に奔走したアメリカ人は、官僚の立場でありながらカンボジア事情に詳しい人物で名前は【ウィリアム・i was forget middle name・ヘイト氏】で、後にカンボジア大使を務めた人物でした。
現在、行方知れずですが(笑)、カンボジアでは有名人なので時々新聞に顔写真が今でも掲載されます。


サムレンシー氏の率いる政党とケィムソッカ氏の率いる政党が合意し調印が行われたのが、フィリピンのマニラでしたから【マニラ合意】と呼称されるのですが、この契機で政党は拡大し野党第一党になりました。
何度か、政敵潰し似合い国を出てましたけれど、2013年の2月にアメリカの後援でカンボジア帰国をして選挙を戦いましたけれど、暫定発表が段取り良く発表された筋書きでしたから、選挙では負けたことになっています。

カンボジアの選挙制度とタイの選挙制度は酷似していますが、日本の報道されている両国の選挙制度て正しく報道しているのは一つもないのですから、常にデタラメ報道でした。
2013年の暫定報道が決定報道の如く世界に報道されたのにはびっくりしましたけれど、私は以前の日記に書いてある通りで選挙投票確認があるはずとの判定でしたけれど、根回し欲【トンチキ報道】が世界を駆け巡りましたのでどうなっとんの?

ただし、タイの前回の選挙では確認作業が事前に日本国内にも段取りが報道されたので、皆様わかんなかったと思うよ。
選挙当選者決定には、長い検討というかアーダコーダの話し合い期間があるし、選挙に対する不正の提起で認知の部分をどうするのかという独自の日時が1ヶ月程度はあるし、そもそも話し合い決定日時が2-3ヶ月程度も事前に公表されてあるのですが、決定期間の検討日時を勝手に省略した自己中心的報道が日本のトンチキ物語カンボジア報道内容でしたね。

★クメール言語のワカンネーのが、どうやって報道作文造ったんだ?
平たく言うと、トンチキ報道なのでクメール言語が和漢ねー脳タリンが報道できる国が日本だから、英語の報道では対応の単語が取引になるしガイドラインの心得は厳密なガイドラインの適用? だから、いい加減に万回トンチキ邦訳物語だね。

前回の選挙では、選挙苦情提起期間が3ヶ月程度設定されてましたので同期間内に文句は言えますが、この期間内でも政権側は勝手に物事を進めるのが当たり前なのであたり前の事柄は停滞せずに進めます。
ですから、段取りは少しずつ進みますけれど、両勢力がキッコウ関係になった2013年の選挙では正式発表までは相当紆余曲折のある日時と解釈していたのですが、世界の英語報道はBBC初と日本語報道の段取りで拡散されましたから、拡散をした手法の段取りをつけた人物の手柄です(笑)
同思考は、他人のことなど構っちゃいないという人種内的な判断が優先するので、同一人種では異なる判断であり映画【bad boys】では
黒人二人組の警察官ですけれど、以前は白人警官と黒人警官の関係しか描かれなかった事を人種問題と解釈して欲しいのです。

簡単に言うと、私には常識的内容でもクメール語のワカンネー脳タリンにはワカンネー物語だけど、発信力が無いので発信できないだけだからカンボジアに投資しても皆様銭を失うという物語なので、日本人は投資しても阿寒湖よ。

在日関係は特別の事情があるので、投資して損をしても【永遠の貸し】が相手の郎党に残るのだから判断基準が異なるので無関与。


えーと、脱線だ
オチは?
サムレンシー氏の物語?

今回の旅では、サムレンシー氏がタイのプラヨット氏に対して手紙を送付していまして、此処ではタイに入り陸路でアランヤプラテートを経由してカンボジアのポイペトからプノンペンを目指す段取りでしたが、タイの入国を拒絶されマレーシィアに行き入国は許可されました。

従いまして、ポイペトで騒ぎというか逮捕者が相当出たのはサムレンシー氏の事前予定が報道されていたからであり、タイのプラヨット総理による裁可は後からでしたから、段取りができていないのに勝手に行動していたからでした。
なお、サムレンシー氏の昔の雇用人だった人々も逮捕されているので、保証の部分が発生するのではという考えがありますけれど、末端では逮捕を顧みず集合するのでサムレンシー氏の言動は無責任という扇動です(笑)

ケィムソッカ氏は、一方の政党代表でして現在は解党されたCNRP政党の元代表ですから、サムレンシー氏の後を引き継いで党首に就任した人物ですけれど、元来英語圏の勝手な報道とは別な解釈がカンボジアには有りまして、両人は共に代表者であり共に副代表でもあるのです。
この部分は、人種的な問題とカンボジアの慣習に文化が入り込んでいるので説明は難しいのですが、カンボジアに住みクマエ言語を勉強しますと意味合いが判ると思いますので、どうしても知りたい方はそのようにしてください(笑)


今回は、ケィムソッカの処遇が少し緩和されましたけれど、公訴提起は継続していますので法的処遇は宙ぶらりんですから、2年間刑務所に拘束されていた理由の発表も無いのですけれど、ともかく少し行動制限は緩和されました。

この期間に、アメリカ現大使がケィムソッカの自宅を訪問し会談しまして、フランス大使も階段をしましたし、他の大使も多数会談していまして、日本の大使も会談したのですが委細の発表はされていませんけれど、フランス・アメリカ・日本の3ヶ国大使が会談したという事実に意味がありまして、勿論オーストラリア大使と欧州大使もケィムソッカと会談していますから、少しずつサムレンシー氏との距離が発生しつつあり、いつも判断がじりじりとさせイライラさせる方向からケィムソッカの後援に代わりつつあるようで、過渡期を見ているようなのでまるで分んない(笑)


個人的には、カンボジアにぶっ飛んでいき新聞を毎日購入して【国内周遊】で変化を見てみたいし、川の水の確認で大まかな水位の上下と共に溜池の数とか蟻塚の内容と共に祠の数も見てみたいと思っているので貧乏人には無理だぁぁ~。
バンコクにも行きたいし、どうせ行くなら知り合いの所も行きたいけれど、今年の宝くじは【ロト7】なので夢がでっかすぎて無理だな。

此処で一句
果報は寝て待て
外国では、【神は自ら+来る者を助ける】
正反対の表現だけれど、思想というのはいろんなものの思考があるもんだ税(笑)
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