チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

ブログ「チェインブレーカー及び関連領域の郵便史」の開設 1

2007年09月15日 19時15分25秒 | 歴史・社会的状況
スロヴェニア独立戦争(10日戦争)中のカバー
スロヴェニア独立戦争4日目の1991年6月29日に、MARIBOR(マリボール)市の南約5kmに位置する町HOČE(ホチェ)からマリボール市宛ての書留・速達便。スロヴェニア独立記念切手とユーゴスラヴィア普通切手の混貼り。
マリボール市に到着したのは7月1日(裏に到着印)です。たった5kmの距離しかなく、しかも速達便であるにも関わらず2日間もかかっています。これは、6月27日にユーゴスラヴィア連邦軍の戦車部隊がマリボール市内に突入して占拠していたためです。

1.序
私がユーゴスラヴィア(意味は「南スラヴ」)の郵便史研究のための調査を始めた1991年3月から約3カ月経過した6月末のある日(6月28日頃だったと記憶しています)、NHKの夜7時のニュースの冒頭で、ユーゴスラヴィアのスロヴェニア共和国の高速道路に止められた数台のバスのバリケードを砲撃するユーゴ連邦軍の戦車の映像が映し出され、ユーゴ内戦が始まりました(スロヴェニア独立戦争(10日戦争とも呼ばれる))。

その後あっという間に戦火がユーゴ全体に広がり、クロアチア内戦(東スラヴォニアと南西部のクライナ地方)、ボスニア内戦、マケドニア独立、コソボ紛争、ユーゴ空爆と戦乱が続き、終には2006年にセルビアとモンテネグロが分裂してユーゴスラヴィアは完全に消滅しました。
この様子は、このブログをご覧の皆様もマスコミ報道でご覧になったはずです。
このようなユーゴスラヴィアの崩壊を見ながら、それと同時並行でその国の建国当時の郵便史の収集と研究を進めるという、何とも言えない皮肉なことになったことは予想外でした。

現在、世界中で多発している民族と宗教が原因となった紛争や戦争のことは、皆さん良くご存知のことと思います。ユーゴスラヴィアは多民族・多宗教国家であり、ここで起きたことは「世界の縮図」です。
このブログをご覧になる方々が、ユーゴスラヴィアの事例をご覧なって、民族と宗教の違いによる争いが如何に無益で悲惨かをご理解いただければ幸いです。
世界の人々が多様性を互いに尊重し、人類という一つの家族の価値を認める時代がやってくれば、ユーゴスラヴィアで起きたような悲劇は避けられることでしょう。

余談ですが、宮崎駿監督のアニメ映画「紅の豚」の舞台設定として使用されたのは、1929年の世界大恐慌の後の時代のユーゴスラヴィアのアドリア海沿岸地域のダルマチアからリエカ(フィウメ)(当時はイタリア王国領)にかけての一帯です。
その中でも中心となったのは、世界遺産のドゥブロヴニク(ラグーザ)からザダル(ザーラ)(当時はイタリア王国領)にかけての地域のはずです。ただし実際には「空賊」は存在しませんし海賊がいたという記録も私は見たことはありません。