日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

介護施設にカジノを考える

2015年11月18日 09時29分28秒 | 日々雑感
 高齢者に対する介護予防は、本人のためにも、また国の社会保障費が年毎に約1兆円ずつ増えていく国の財政のためにも、極めて重要である。

 介護予防は肉体面ばかりでなく精神面にも及ぶ。その点、歩きながら足し算や引き算を行うのがよいと推奨する人もいる。効率的なのは理解できるが、面白くなくては長続きしない。

 その点、パチンコやマ-ジャンを介護予防として利用することは精神的な面で極めて有効と思われる。その為であろうか、「アミューズメント型」「カジノ型」と呼ばれるディサービスが関東を中心に増えているそうだ。一方で、こうしたサービスが施設外でギャンブル依存症になる危険性に繋がるとの声もあり、このようなサービスを提供する施設を介護事業所として指定しない方針の自治体も出てきたとのことだ。

 確かに、上記新聞記事に同時に掲載された写真を見ると、その施設の豪華さに違和感を感ずる。まるでカジノそのものだ。そこまでやる必要があるだろうか。これは、最初質素に始めたとしても、人気が出て、人が集まるようになり、施設も儲かり、設備を豪華に出来た、ということか。

 介護にしても予防介護にしても、楽しくなければ長続きしない。賭けの無いマージャンやトランプゲームは、どのサービス施設でも日常的に行われているだろう。まさかこれまでを規制する自治体は無いであろう。

 一方では、老人福祉や介護業者の倒産が相次いでいるとのことだ。景気が良くなって企業倒産は全体的に減っているのに、介護の分野では人手が集まらず、経営に行き詰る業者が増えているそうだ。介護業界の給料は低く、しかも新3K(汚い、きつい、きりが無い)である。これでは働き手が集まる筈が無い。

 さて、日本の個人の金融資産は約1500兆円だそうだ。しかもその資産の約6割は60歳以上の高齢者が、預金・現金の形で抱えているとの話だ。国はこの資産を有効に生かすために、色々画策している。子や孫の教育資金を1500万円まで非課税で贈与できる制度もその一つであろう。デフレ脱却が進まない現在、おいそれとは、この構造は崩れないであろう。

 また、経済を活性化しようとする名目のカジノ法案が、2013年12月に超党派の「国際観光産業振興議員連盟」(カジノ議連)によってとりまとめられたが、今国会でも審議が見送りになったようである。最大の問題はカジノ依存症増大の懸念であるそうだ。今でもパチンコ等のギャンブル依存症が社会問題化しているので当然の話だ。

 しかし、資産家高齢者を対象とする、カジノ型福祉施設、あるいはカジノの建設でも考えたくなるご時勢である。ただし、ここで得た利益は福祉関係に還元する仕組みが整っているとの前提での話である。これにより介護従事者の報酬の低さを少しでも緩和できれば有難い。

 ギャンブル依存症の懸念は、若者よりはるかに少ないであろう。ギャンブル依存症になる気質の人間は若い時になっているだろうし、例え年老いてなったとしても、先行きは短く、社会的な影響は少ないと思うからである。(犬賀 大好-182)

消費者物価指数とデフレ脱却

2015年11月14日 09時30分58秒 | 日々雑感
 金融緩和によるデフレ脱却は物価上昇率2%が目標であった筈だ。過去3回の計19兆円の金融緩和でもその目標が現時点で遠く及ばないにも関わらず、一方では円安による物価高が指摘される。円安による物価高は輸入品に原因があり、バターやコーヒ等スーパーマーケットで日常購入する消耗品であるので、ついそちらの方に目が行ってしまい、デフレ脱却はとうに終わったと感ずる。

 そもそも物価上昇率を示す代表的な消費者物価指数とは,日常生活で私たち消費者が購入する商品の価格の動きを総合してみようとするもので,私たちが日常購入する食料品,衣料品,電気製品,化粧品などの 財の価格の動きのほかに,家賃,電話代,授業料,理髪料などのようなサービスの価格の動きも含まれているので、スーパで購入する日常品は極一部に過ぎないのだ。

 日銀によれば下落した品目が131品目だったのに対して、上昇した品目は339品目である。ガソリン代等、下落した品目はエネルギー関連が多いという。石油は世界的に生産過剰であり、そこに円高効果が重なり安値が続いているとの背景があるからだ。

 上昇した品目が3倍弱多いということは、全体としては物価上昇であり、デフレ脱却の動きは持続しているとの言い訳もあるが、単に品目数の比較で意味があるかと突っ込みたくなる。兎も角、最近は言い訳が多い。日銀執行部の就任会見では「目標が達成できなかった時は、あまり言い訳をしない」との趣旨の発言もあったが、すっかりお忘れのようである。経済を動かす要因は数知れないかも知れないが、専門家と自負する人にその程度のことが抜け落ちていたとはがっかりする。

 すなわち、物価というものは、コスト要因と需給要因に支配されるそうだ。コスト要因とは原油価格等の材料費の変動などで、国内の景気や経済情勢とは直接関係なく変動するそうだ。そこでエネルギー関連以外の品目で価格上昇した品目が多いということは、国内の需給要因がある程度大きくなっていることを示しているが、全体ではコスト要因が強く影響していると小難しく言い訳しているのだ。そんな表現より、デフレ脱却は原油価格が上がれば一気に達成できると言ってくれた方が分かり易い。

 兎も角、国内的にコントロールできる需給要因に関してはやるべきことをやり、目標を達成しつつあるが、後は外国次第であり、なす術は無いと言いたいのだろう。
そうであるならば、負の遺産となる追加緩和をする必要はない。しかし、経済界からは追加緩和の希望が多いらしい。成長戦略等の経済活性化政策が軌道に乗っておらず、株高を維持するためには追加緩和しか無いのだ。

 追加緩和はカンフル剤として有効であろう。しかし、いずれは返さなくてならない借金と言う副産物を抱え込むことになる。日銀執行部はこのこともちゃんと考えているのだろうが、後を引き継ぐ将来の執行部の仕事だとでも思っているのではないだろうか。就任時の自信満々の態度と現在の経済状況を比べると極めて心配になる。(犬賀 大好-181) 

原子力発電の存在意義を考える

2015年11月11日 09時09分24秒 | 日々雑感
 九州電力川内原発2号機が再稼動した(10月15日)。同1号機に続き、新規制基準で全国2番目の再稼動である。これで余程のことが無ければ、九州電力は経済的に安泰だ。着実にたまる核燃料のゴミは国が何とかしてくれる。適当に政治献金しておけば、当分我が世の春を謳歌できる。

 原発の使用済み核燃料を再利用する「核燃料サイクル」の中核である再処理事業について、経済産業省は、今の株式会社から新たに創設する認可法人に移し、国の監督下に置く案を有識者会議に示し、大筋で了承された。来春の電力自由化後も電力会社の原発からの撤退を防ぐ苦肉の策だが、難航する核燃料サイクルの先行きは見通せないままだ。しかし、この道を閉ざしたら、使用済み核燃料は行き場所を失うことになる。

 日本は、現在英仏に再処理を委託するなどして何とか対処しているが、それでも再処理で得たプルトニウムを昨年末時点で国内外に計47.7トン保有しているそうだ。現在の保有量は原爆約6千発分に相当するのだそうだ。日本は原発に関し高い技術を持っている。その気になれば、原爆等の核兵器の開発など朝飯前だろう。

 中国は、10月20日、国連総会の第1委員会で日本のプルトニウム保有を批判した。日本は、国際原子力機関(IAEA)の監視下にあって、プルトニウムを兵器に転用することはあり得ない等の反論をしたそうであるが、日本は閣議決定により憲法解釈でも簡単に変更する国だと再反論されたそうだ。ここにも先の安保関連法案の影響が及んでいる。

 さて原子力発電と核兵器は表裏一体であることは国際常識なのだそうだ。国が原発に固執する理由の一つは、この常識に従っているためと思われる。すなわち、原発の隠れた目的の一つは抑止力なのだ。

 しかし、前月21日の英中首脳会談で、中国が独自開発した原子炉技術を英国の原子力発電所で導入する計画に両首脳が合意したとのことだ。また、仏の原子力大手アレバ社は、中国との間で提携を強化する覚書を結んだとのことである(2日報道)。原発の技術は核開発に直結するため、これまでは国家が厳重に管理するものというイメージが強かったが、他の技術と同様、原子力についても一般化が進んでおり、もはや、特定の先進国のみの技術では無いのだ。

 核燃料サイクルは見通しが立たず、ゴミとして埋める場所でも目途は立たず、日本はお先真っ暗であるが、中国との軋轢が多い現在、核兵器を有さない日本がせめて原発を存続させて、抑止力を密かに誇示せんがための原発なのか。

 福島第1原発事故の後始末で出費の多い東京電力でも今年の中間決済での経常利益は黒字だそうだ。火力発電用の燃料費が安かった背景もあるようだが、会社全体から見れば原発事故は大したことではないとつい思いたくなる。各電力会社が原発再稼動に執着するのは、このような思惑もあるのではないかと勘繰ってしまう。(犬賀 大好-180)

東京オリンピックの開催目的

2015年11月07日 09時31分49秒 | 日々雑感
 2020年のオリンピック開催は、最終的には、東京、スペインのバルセロナ、トルコのイスタンブールの3都市で争った。国際オリンピック委員会(IOC)のワーキンググループによる申請都市の評価項目は財政や治安等幅広く及び、いずれの点でも東京は高い評価を受けたとのことである。しかし、唯一東京の弱点として指摘されていたことは、都民と国民の五輪招致への支持が低いことであった。2012年の段階で、支持率は50%を切っていたが、翌年には70%を超えるまでになった。開催の是非を問うアンケートにおいて、・賛成、・どちらでもよい、・反対 を選択させると ・どちらでもよい、の意見が一番多かったのを ・賛成、意見に振り向けさせる努力の結果であるようだ。しかし、国民の大多数の本心は、積極的賛成よりどちらでもよい派ではなかろうか。
 
 1964年に開催された最初の東京オリンピックは、「スポーツの発展を通じて、世界平和に寄与すること」の高い理念の下、戦後の復興を世界にアピールする目的で開催され、国民大多数の積極的な賛成が得られていたであろう。

 兎も角、2年前、2020年のオリンピックは東京で開催に決定した。オリンピック招致運動で招致の目的として、当初、東日本大震災からの復興、東京らしいコンパクトさ、日本らしいおもてなしをアピールしたようであるが、前の2つはどこかに消えてしまい、今なお無事なのは最後の“おもてなし”くらいである。“おもてなし”はある理念や目的を達成するための手段である。

 今なお、なぜ東京オリンピックなのか、高尚な理念あるいは目的が曖昧なままである。支持率が低迷していた原因のひとつはこの辺りにある。エンブレム再公募においても何らかの選考基準の条件でも付けないと、選択に再度混乱をきたすであろう。

 個人的には、東京よりイスタンブールを応援していた。何しろ、東洋と西欧の文明の接点の地であり、しかも初めての開催である。しかし、世界の変化の流れは速い。トルコは隣国のシリアやイラクの不安定化の影響を諸に受けて、現段階ではオリンピック開催どころではない。スペインはEUの中にあって相変わらず財政難であろう。2020年のオリンピック開催は現時点では東京でしか行えないと考えざるを得ない。IOCの判断は先見の明があったと言えようか。

 最近のオリンピック開催には金がかかり過ぎるため、立候補する都市が限られると言う。オリンピックの開催は、「参加することに意義がある」のクーベルタン男爵の思いはどこかに忘れ去られ、どんちゃん騒ぎして盛り上がり、経済が活性化すればよしとする風潮である。

 さて、東京オリンピックの開催目的に「エコ」とか「サステイナブル(持続可能な)」の高尚な言葉は当てはまらない。観光日本を売り出すための“おもてなし”しかないのか。(犬賀 大好-179)

杭打ちデータの改竄を考える

2015年11月04日 08時37分15秒 | 日々雑感
 横浜市都筑区の大型マンションが傾いたことから杭の施工データが偽装されていたのが発覚し、杭打ちを担当した旭化成建材は袋叩き状態である。データの偽装が杭打ち作業の不完全さを意味するのか、単なるデータのみの偽装かとなると、作業員の証言しかなく、客観的な証明は極めて困難と思われる。その証言を信用する限り大きな事故に繋がらないであろう。

 3040件の工事で、実際に建物の傾きが発生したのは今のところ1件のみである。まして、倒壊の話は一件も無い。物の設計には必ず安全率が加味される。建設分野では安全率は3程度らしいが、そうであれば100本近い杭の内数本が不完全でも全体に問題が生ずることが無い筈だ。都筑区のマンションでの傾き発生は、大きな設計ミスか施工ミスであろう。

 40~50年前の学生時代に、“建設現場における現場監督の腕の見せ所は、建設資材を如何に節約し、飲み代に当てることだ”との冗談めいた話を聞いたことがある。これは随分昔の話であるが、最近中国の建設において、コンクリートで充填するべき箇所に木片などのガラクタが詰まっていたなどの話を聞くと、建設現場は国が違っても、時代が違っても同じ特質を持つと感ずる。
 
 すなわち、大勢の労働者をとりまとめる現場監督は、部下に黙々と働いてもらうためには、己の能力を誇示すると共に、たまには酒を飲ませなくてはならず何かと出費が嵩む。また、長年の経験から、“どこを、どうすれば、どうなるか“を感覚的に身に付けているため、細かな設計書は余計なお世話と無視し、自分の感で作業を進める。そうしても余程のことが生じない限り、安全性等の点で問題とならず、かつ外観上も分からない。このような背景の下、多少設計書を無視したところで、実際何ら問題が生じないのだ。

 今回の事件に関し、某テレビ局の朝のワイドショウで1級建築士の人が、“杭打ち作業とデータの取得は別作業である“とコメントしていた。しかし、別のコメンテータはこの発言に特に注目しなかった。ここでの指摘は、杭打ち作業する人にとって、データを採ることは余計な仕事であるということだ。作業現場においては杭打ちが確実になされたかどうかは、科学的な計測ではなく、己の耳や目であるとの自信があるのだ。机上で仕事する人はこの職人気質をなかなか理解できないのに違いない。職人にとってデータ採りは、己の腕を信用しない上部機関に対するご機嫌取りでしかなく、己の腕を信ずる者にとって余計な仕事なのだ。
 
 しかし、客観的なデータを残すことは重要である。問題が生じた場合の原因の追究のためにも、また職人が少なくなる時代に未熟者の教育の為にも必要となるからだ。

 連日、偽装データの発見が報道されるが、職人の特質を信じ、ほとんど単なるデータの偽装と思いたい。偽装データの建物の住民の不安を低減するためには、建物の傾きをリアルタイムに検出出来る測定器等の設置であろう。これは建設責任者の最低限の義務であろう。

 今回の事件での教訓は、現場作業者にとって、本来の仕事の妨げにならないようなデータの採取法をあるいは杭打ち作業とデータ採取者の分離等の仕組みを講ずることであろう。(犬賀 大好-178)