日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

東京五輪の開催目的のスポーツの力とは

2021年06月12日 14時26分18秒 | 日々雑感
 東京五輪・パラリンピック担当の丸川大臣は新型コロナ対策分科会の尾身会長から東京大会を何のために開催するのか明らかになっていないとの指摘に対し、”我々はスポーツの力を信じて今までやってきた。別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらい”と語ったそうだが、これでは会長にも、国民にも通じない。

 恐らく、スポーツの力とはアスリートが全力を出し切って、観衆を感動させる力を言っているのであろうが、それが分かっても質問に対する答えになってなっていない。

 ”アスリートが全力を出して競技している姿を見て感動し、子どもたちが将来に対する明るい希望を持てれば、コロナ感染で多少の犠牲が出たところで、将来の日本にとって遥かに大きな財産となる”、とでも説明すれば、誰にでも分かる説明となり、政治家としても満点であろう。

 政治家の答弁では「ご飯論法」や「やぎさん答弁」がはやり、質問にまともに答えないことが、まかり通っているが、これでも世間で通用すると思うと、学校教育上極めてよろしくない。

 さて、確かにスポーツの人に感動を与える力は極めて大きい。先の東京オリンピックにおける、女子バレーボールで優勝したの東洋の魔女の活躍は今でも記憶に残っており、自分も頑張ろうと言う気になる。最近でも、米国野球における大谷翔平選手の活躍や全米女子オープンを制した笹生優花さんの活躍は、人々を魅了し、多くの子ども達に夢を与える。

 しかし、スポーツの力に便乗したIOCの商業主義が鼻につく。オリンピックの競技種目のほとんどは、毎年のように種目毎に世界大会が開かれており、実力世界1を誇示できるのはオリンピックだけではない。多数の種目が短期間に行われる為、世間の注目度が高く、選手も一段と頑張ることは間違いないだろうが、クーベルタン男爵の理念を思い出してもらいたい。

 クーベルタン男爵がオリンピックの理念として提唱したアマチュアリズムの思想がある。オリンピック出場者はスポーツによる金銭報酬を受けるべきでない、としてオリンピック憲章にアマチュア規定が厳格に明記されていたが、1974年にその憲章からアマチュアという言葉そのものが取り除かれ、プロ選手の参加が認められるようになってしまった。以来、IOCの商業主義は酷くなった。

 それでも、オリンピックの開催意義にはスポーツを介しての世界の平和実現の理念は残っている筈だが、IOCは自分たちの特権を享受するため、選手は有名になるため、日本の開催関係者はスポーツの力のためと、開催に向けて一目散である。

 スポーツの力を信ずれば世界平和が訪れるのか、国を挙げてスポーツを振興し国家発揚に利用する国もあることを思い出して欲しいものだ。2021.06.12(犬賀 大好ー710)


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