日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

サウジアラビアの民主化は必要か

2017年03月25日 09時42分50秒 | 日々雑感
 アラブ諸国で最大の経済規模を誇るサウジアラビアのサルマン国王が3月12日、特別機で国賓として来日した。サウジ国王の来日は46年ぶりで、最大約1500人の大訪団が同行したそうだ。宿泊する高級ホテルは客室稼働率が上がり、移動用のハイヤーでも思わぬ ”サウジ特需” が生まれたそうだ。都内の百貨店や高級ブランドも大訪団の消費に期待を寄せていたとのことであるが、結果はどうであったろうか。

 イスラム諸国は概して政情不安定というのに、国王以下要職の面々が大挙して国外に出ても国内の治安は大丈夫かと、テレビでの黒塗り高級ハイヤの長い列を見ながら感じた。世界最大級の原油輸出国サウジアラビアは、政府歳入の7割を賄う原油産出があり、豊富な資金のお蔭で、国王以下大挙して海外に出ても国民は平穏に生活する余裕があるものと見える。

 サウジの統計局が発表した2010年の人口統計は約2700万人であるが、サウジアラビア国籍が約1900万人、外国人労働者が約800万人であり、総人口の約30%が外国人のようだ。この数値から底辺の労働は外国人により支えられていると思われる。サウジアラビア人の大半は豪勢な暮らしをしているいるに違いないが、1900万人全員がそうではないだろう。

 サウジアラビア国民はイスラム教徒が100%であると公表されているが、これは他の宗派や宗教の存在を公式に認めていないという建前によるものだそうだ。広大なアラビア半島には古来から無数の部族が生活しており、定住民だけでなく今なお遊牧民もいるそうだ。また、サウジアラビアは、イスラム教を国教としており、スンニ派が85~90%占めているようであるが、各地に点在する部族には、色々な宗派があるようだ。

 1962年のイギリス映画に ”アラビアのロレンス” という映画があった。オスマントルコからの解放を勝ち取るため、イギリス人のロレンスが各地の部族を集め勝利を得るが、結局各部族の離散により、失意の下に帰国する話であった。今もって、アラビア半島のあちらこちらには、少数部族が生活しており、王族であるサウド家による長年の中央集権化政策・部族解体政策にも関わらずサウジアラビア人という統一民族意識の形成には至っていないそうだ。

 さて、サウジアラビアはサウード家を国王に戴く絶対君主制国家であり、前近代的なイスラム法に基づく法制度や人権侵害に対しては欧米諸国だけでなく、他のイスラム諸国からも抗議が尽きないそうだ。これに対し、自由民主主義の守護・伝道者をもって任じるはずのアメリカ合衆国でさえ抗議や制裁を行なうどころか、友好関係を築いている。この矛盾は、サウジアラビアの批判国に対する石油輸出停止などの報復を恐れているためであり、国交断絶や経済制裁などを発動する先進国は皆無となっているようだ。

 しかし、時代はすこしづつ変わりつつある。最近北米のシェール革命により、米国は世界1の石油産出国になり、サウジアラビア離れが進んであるからである。また、OPEC諸国の内部分裂等により、原油価格が急落し、サウジアラビアの経済が苦境に陥っているとの話である。このため、今回のサルマン国王の訪日も、石油依存脱却を図るため外国からの投資を呼び込む狙いがあるとみられている。

 米国のサウジアラビア離れや外国資本の国内浸透により、今後サウジアラビアの国内事情も急激に変化すると予想される。これまでの、イスラム法に基づく人権政策も変わらざるを得ないだろう。しかし、サウジアラビア国内に米国的民主主義が馴染むかとなると疑問である。

 チュニジアで2010年から2011年にかけて起こったジャスミン革命により独裁政権が倒れて、中東各国の民主化運動のさきがけとなった。しかし、アラブの春からちょうど7年経ち、チュニジアの革命による希望はどこかに消えてしまった。現在の政治的な混乱は2万人以上の若者を海外に流出させた。縁者びいき、派閥主義、保守主義、等が原因とのことであり、恐らくその背景には部族間の対立があるのではないかと思われる。この混乱の解消のためには、ある程度の教育と経済の安定に基づいた民主化が必要であろうが、部族間の対立を乗り越えるためには多大な努力を必要とするだろう。

 サウジアラビアは、外目には政治、経済は安定している。基本的人権が侵されているといって、ここに欧米的な民主主義を導入しようとするのは、一般国民の幸せになるであろうか。2017.03.25(犬賀 大好-323)

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