日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

古墳群の世界遺産登録を喜んで良いのか

2019年06月05日 09時27分58秒 | 日々雑感
 5月14日、ユネスコの諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)は、百舌鳥・古市古墳群を世界遺産に登録するよう勧告した。今回世界遺産に登録される予定の古墳群49基のうち29基は歴代の天皇皇族の墓として現在宮内庁が管理し一般の人の立ち入りを禁じているため、調査がなされず未知の部分がほとんどである。
 そのため墓の真実性が専門家の間などで議論となっているが、学術的な調査は極めて限られた範囲に制限されている。百舌鳥古墳群の一つである日本最大の古墳はかつて歴史教科書には仁徳天皇陵と記されていたが、本当に仁徳天皇の墓なのか確証がないため、現在では”伝仁徳天皇陵”と呼称されることが多いのだそうだ。

 世界遺産登録となるとその真実性が問題となるため、登録などされない方が良いのではないだろうか。登録を地元自治体は喜んでいるが、宮内庁も歓迎しているのであろうか。邪馬台国がどこにあったのかと同様に、古墳に誰が眠っているかは古代史の大きなミステリーとして、ひっそりと隠しておいた方が神秘性が増してよいと思われる。

 そもそも古墳とは、3〜7世紀頃に築造された墳墓で、その数は全国に16万基以上あるそうだ。日本の古墳所在件数が最も多いのは兵庫県で16,577基にのぼり、以下、千葉県 13,112基、鳥取県 13,094基、福岡県 11,311基、京都府 11,310基と続くそうで、その多さに驚くばかりだ。

 百舌鳥・古市古墳群には前方後円墳や方墳など大小89基の古墳があるが、その内49基が世界遺産の登録対象となっている。これらの選択理由は中身がともかく発掘さず保存状態が良いと言ったところであろう。

 墳墓の建造は主として亡き人を弔う宗教的な意味からであろうが、仁徳天皇陵は権威を誇示するために大規模に作られたのではないかと、5月25日NHKの番組ブラタモリで放映していた。建造当時、海岸線は現在より東側にあり、船に乗って遠方から来る人々にその大きさを誇示したのではないかとのことであった。

 なお、この番組では仁徳天皇陵と断定して話を進めていたが、公平性を旨とするNHKとしては、別名大山古墳、伝仁徳天皇陵と呼ぶ場合も多いとのコメントも欲しかった。

 また、古市古墳群最大の前方後円墳は応神天皇陵とのことだが、大阪府の世界遺産事務局も、仁徳天皇陵と同様に、具体的に誰のお墓なのかが分からないのが現実で、仁徳天皇や応神天皇が実在したかどうかを含めて謎だそうだ。

 また、『古事記』や『日本書紀』には卑弥呼の墓と言われている「箸墓古墳」の建設以外の記述は一切ないそうだ。仁徳天皇陵は5世紀前半から半ばに築造されたものと言われている。

 一方712年に古事記、720年に日本書紀は完成しており、これらは日本の国あるいは天皇家の成立までの神話および歴史書であり、ここに記述が無いとは、謎が一層深まり、創造力を掻き立てる。

 さて、日本の夥しい数のこれらの墳墓は、3世紀半ばから7世紀代に作られたようだが、6世紀末以降巨大古墳は造られなくなったらしい。646年の大化の改新の中の薄葬令によって、巨大古墳を造るのが難しくなり、古墳が小型で簡単に造れるものに変わり、その後、仏教が入ってきたことによって火葬が増えるなどして、古墳は造られなくなったと考えられているそうだ。

 古墳の一つ一つはその真実性が乏しいが、群としては中央の統制が日本隅々まで行き届く過程を表しており、歴史的な価値が高いことは間違いないだろう。2019.06.05(犬賀 大好-552)


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