日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

五輪選手の低年齢化と人生100年時代

2022年02月16日 09時13分13秒 | 日々雑感
 2月16日現在、冬季北京五輪開催中である。4年に一度の開催で参加選手は人生を賭けて奮闘しているが、若くして金メダルを勝ち取った人が今後の長い人生をどう生きるかに関心が向かう。

 オリンピックの近年採用された新種目に十代の若者の活躍が目を引く。スケートボードやスノーボード等で顕著であり、幼児の頃より練習に励み、十代にして世界のトップレベルに到着した者もいる。十代で活躍できることは、年齢的に若い頃がその運動に適しているからであり、当然引退年齢も低いだろう。プロ野球選手も大抵30代で運動能力の限界に達し、40代での現役選手は極めて珍しい。十代でも優勝可能な競技の引退年齢は当然もっと若いに違いない。

 さて問題は若くして現役を引退した選手のその後の生き方である。人生100年時代、人生の大半を別の生き方をしなくてはならない。オリンピックやワールドカップの国際大会で優勝すれば有名になり現役を退いても生涯指導者として、あるいはマクコミに登場して生活できるかもしれないが、そうできるのは一握りの者だけであろう。

 プロスポーツと言えば、相撲、プロレスやプロ野球が古くからあり、これらのスポーツにおいてはエンターテイメントとして確立しており、営業から人事、資材と幅広く、引退選手を受け入れる余地も十分にある。そのためか近年スポーツのプロ化が盛んであるが、興行として成り立つのは容易でない。

 スポーツは元来自らが楽しむための道具であり、プロスポーツは他人に見せるためのエンターテイメントである。スポーツを生涯の仕事にしようすれば、技能の他に人を楽しませる才能も必要だ。しかし、トップレベルの才能でなければ、経済的価値がほぼ無いことが問題である。

 学校は人格形成のための教育の場である。そこでの教育の一つとして体育すなわちスポーツがあるが、あくまでも多くある教程の一つである。そこで天才教育あるいは英才教育と称してあるスポーツに集中させるのは人格形成上問題が生ずると懸念する。

 今回の北京五輪のスケートフィギアーで優勝を逃した羽生選手は、記者会見で今後の現役生活について、今はどうでもいいと思っていると、述べたそうだが、今後どう生きるかに迷っていると思われる。

 普通の人間が60歳で定年退職し人生100年時代をどう過ごすか、迷っている人が大半だと思うが、20や30歳で現役引退するとすれば、その後の人生が他人事ながら心配になる。
2022.02.16(犬賀 大好ー790)