日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

オリンピックはアマチュアイズムの復活により抜本的な改革を

2020年04月22日 09時25分25秒 | 日々雑感
 東京五輪が1年延期されたことで、IOCやJOCはこれを機会にオリンピックのあり方を改革すると言っていたが1年程度では何も出来ない。今回も夏の暑い開催時期を春か秋に変更する案もあったようだが、相変わらず猛暑の真っただ中に行うと決定した。元より選手ファーストの考えは無く、事業ファーストである。

 さて現在オリンピックは様々な問題を抱え改革が求められているが、抜本的改革はアマチュアイズムの復活しかない。オリンピック運動の創始者であるクーベルタン男爵がその運動の理念として提唱した思想は、”オリンピックの出場者は、スポーツによる金銭的な報酬を受けるべきではない”とする考え方である。この考えにアマチュイズムの原点が表されていると言う人もいるが、その点では優勝しても賞金が出ないのでアマチュアイズムが守られていると言えなくもない。

 しかし、オリンピックに出場するためには、持って生まれた才能と加えて猛烈な練習を積まなくてはならない。練習するためには、優秀な指導者、整備された環境と十分な練習時間が必要であり、とても素人に手の届く範囲ではなくアマチュアイズムとはとても言えない。

 第5代IOC会長のブランデージ氏は原理主義的なアマチュアリズムを唱えていたが、6代目IOC会長は1974年のIOC総会でオリンピック憲章からアマチュア規定の削除を決めた。背景には社会主義国の国家を挙げての選手育成があり、オリンピックは国家発揚の場と利用していた。選手はそこで優勝すれば賞金が貰えなくても、国家からその後の人生が約束される恩恵があり、必死に頑張る要件を備えていた。

 一方資本主義国でもプロ選手が活躍するスポーツがどんどん盛んになり、オリンピックの観客もそういう一流選手のプレーを見たいし、IOCも事業的にトップレベルのアスリート達の登場の有利さを意識する傾向が強くなった。そこでオリンピック憲章もついに方向転換することになって、1974年にプロの選手の参加を認めることになったのだ。

 オリンピックにプロの選手が参加することにより、IOCはテレビの放映権等の収入が多くなり金の力で諸々のスポーツ団体に対する発言力が増し、万々歳と思われた。しかし、プロの選手にとって勝つことが第1主義であり、勝つためには何でもありでドーピング問題が浮上した。ドーピングで使用される薬剤は年々進化し、栄養剤との明確な区別が出来ない現状である。

 また、ほとんどのスポーツ種目にはオリンピックの他に国際大会があり、それとの競合を意識せざるを得なくなった。プロ選手の参加は最高の技術を観ることが出来る筈であるが、賞金の出ない試合に参加しない選手も現れ、バスケットを含むいくつかのスポーツは既にオリンピックを最高峰と見なせ無くなっている。

 しかも世界一を争うゴルフやテニス等は年に何回も行われ、オリンピック開催の価値が失われつつある。また、観客集めや視聴率稼ぎのための大規模化が進み、開幕式や閉会式での派手な演出が試みられ、開催経費の膨大化を招き、開催を希望する都市が激減した。

 オリンピックが独自に輝くためにもクーベルタン男爵の思想を今こそ復活し、純粋にアマチュア選手の競争の場とするしかない。2020.04.22(犬賀 大好-593)