日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

残業は個人の仕事を明確化することにより減らせる

2018年11月03日 09時32分48秒 | 日々雑感
 2016年の日本の時間当たり労働生産性は、OECD加盟35カ国中20位であり、データが取得可能な1970年以降、最下位の状況が続いているそうだ。その理由の一つに無駄な残業が多いことがある。

 残業する理由として、残業代が欲しいもあるだろうが、仲間が残業しているので先に帰りづらい、が結構ある。この結果残業することが日常化し、朝から効率的に仕事を処理しようという意欲も生まれないとのことである。

 この風潮は皆と一緒にいることで安心できるからと、昔から”和をもって尊しとなす”の精神に由来する集団主義と説明されたきた。

 しかし、残業する言い訳としての、自分の仕事が遅れると人に迷惑がかかるとか、自分にしかできない仕事だから、は他人と協力する気が無い、他人に任せたくないであり、個人主義的との指摘もある。

 すなわち、自分1人で仕事を抱え込み、情報を共有しないことで自分の代わりの居ない、会社にとって無くてはならない人材と印象づけることが残業の目的であると結論付ける。この個人単位の損得勘定が根底にある自分中心の考え方が個人主義的であるとの話だ。しかし、これは個人主義と言うより自己主義と言った方が適切だ。

 従来の日本人論では日本人は集団主義的だと言われ、日本人の基本的なイメージになっている。

 日本人は農耕民族として発展してきたからには、やはり皆で協力してやることが身に染み付いていることは間違いない。最近都会の住民が定年後に長閑な農村にあこがれて移住する話をよく聞く。しかし、農村の集団主義に馴染めず、挫折する話もよく聞く。農村では集団活動が今もって続いており、都会でも薄れたけれど残っている。

 また、日本でも20年ばかり前成果主義が流行った。成果主義は、昇給や昇格を個人の仕事の成果によって決める人事制度のことを指すが、欧米諸国に倣った個人主義への変換であろう。しかし、なかなか定着しなかった。

 根本原因は歴史の浅さであり、経験の無さだ。企業の管理職は年功序列で育ってきた人だ。仕事はグループでやるもので細かなルールを決めなくても協調してやるものだとの集団主義的考えが身に染みている。

 とは言え、企業のグローバル化や効率化の流れの中で、2014年にパナソニックやソニーが年功序列を廃止し完全成果主義に踏み切り、各企業も年功序列から成果主義へのシフトを進めようとしている。かっての失敗を反省し、欧米の成果主義をそのまま真似るのではなく、日本式にアレンジしているだろう。

 成果主義の第1歩は仕事の分担を明確にすることである。個人個人の責任分担を皆が納得して明確に出来れば、他人に気兼ねなく仕事が出来るし、やりがいも生まれるだろうし、個人の成果もはっきりする。

 最近、大学医学部の入試で女性差別問題が明るみに出た。医者の世界は、夜勤や残業が多く、肉体的にも女性の活動が困難であることから、女性の入学者を制限しようとしたためと言われている。

 病院に限らずどの職場でも、誰かが急に休むことになっても業務に支障が出ないようにするためには、予め各自の仕事の内容、責任分担を明確にしておく必要があり、それが出来れば、交代も容易に出来る筈だ。

 各自の責任分担を明確にするためには、管理職と職員両者の納得が必要であり、このシステムが円滑に進むためには、経験が必要であり、試行錯誤も必要であろう。欧米では確立されたシステムだ。日本でも、日本式改善を経て、次第に定着していくだろうが、時間がかかる。2018.11.03(犬賀 大好-491)