日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

大都市でしか開催出来なくなった五輪にオリンピズムの復活を

2017年10月25日 09時26分22秒 | 日々雑感
 国際オリンピック委員会(IOC)は、9月13日、第131次総会で、2024年夏季オリンピックをパリに、2028年はロスアンジェルスと正式に決めた。二つの開催都市を同時に決めるとは異例のことであるが、この背景に開催費の高騰があり、立候補する都市が激減する中、今から担保しておこうとのIOCの心配性の背景がある。

 オリンピックは、これまでに開催されたことの無い都市の開催が魅力であった。単にスポーツだけでは無く、色々な文化に接することが出来たからだ。クーベルタン男爵のオリンピズムは、スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する、という理想である。

 ところが、2020年の東京は2回目であり、パリやロスアンジェルスは共に3回目だ。大都市での開催がこの理想に反する訳では無いが、異なる文化の地で競技する人以外の多数の参加もあって、理解が一層深まる。

 2020年東京五輪・パラリンピックの準備状況の監督役となる調整委員会のジョン・コーツ委員長は、大会経費について今後の五輪のためには10億ドル(約1000億円)の削減を目標とすべきだ、と努力を求めた。巨額な大会経費を住民が敬遠して世界各地で五輪離れが進む危機にコーツ氏は、経費を削減すれば、招致を検討している都市の住民などが受け入れやすくなると思う、と述べ、五輪存続のための至上命令と位置づけた。

 コーツ氏は、東京五輪の具体的な見直し対象として、会場に入場する際の・セキュリティーチェックにおける仮設施設の規模、・五輪ファミリーと呼ばれるIOC委員や国際競技団体の役員に向けた食事の量、・会場におけるバスの待機所の広さ、・ボランティアや大会役員の数、・IT関係の費用、などを挙げたらしいが、余りにもみみっちい。調整委員会の委員長としては仕方ないのかも知れないが、IOCとしてはもっと抜本的な対策が必要である。

 例えば大会規模の縮小、競技種目の削減等である。オリンピック種目のほとんどが、毎年世界のどこかで、世界大会やワールドカップの形で開催されている。テニス、ゴルフやサッカー等が典型であり、テニスやゴルフは、賞金が出ないため、出場を辞退する選手もいる位だ。それであるならば、競技種目から外せばよい。

 オリンピックは、テレビ放映権がIOCの主たる収入となる為、すっかり見世物化してしまった。テレビ局は視聴率を稼ぐために、開催国の開催季節、開催時間をないがしろにしてしまった。東京五輪は真夏の最悪の季節での開催である。また、米国での視聴率を稼ぐために選手は早朝や深夜に競技しなくてはならない。これでは、テレビ視聴者第一主義で、選手は二の次である。

 プロ選手が参加できるように変更したのが見世物化の最たるものであるが、オリンピズムにおいては、スポーツは世界平和のための手段に過ぎない。ところが最近のオリンピックはスポーツが国別対抗の競争とすっかり目的化してしまった。

 折しも、世界各国で自国第一主義の機運が高まっている。オリンピズムを思い出しオリンピックのあり方を改めて考えるべきであろう。文化・国籍など様々な差異を超えるためには、勝負にこだわらない、何らかの工夫が必要だ。例えば、国籍を超えた合同チームを編成し、5大陸対抗戦等を考えたらどうであろうか。

 小池都知事は、何を思ったのか突然希望の党を立ち上げ、安倍一強体制を打破すると宣言し、国政に参加し、挙句の果て安倍一強体制を揺ぎ無いものにした。小池氏は他人を批判するのは得意であるが、創意工夫するのは苦手かも知れない。しかし、小池氏は名誉挽回の為にも、東京五輪において、オリンピズムを思い出さる新たな試行を行い、将来のオリンピックの形を示して欲しいものである。新たな創造力が小池氏の象徴となれば、政治生命は復活するかも知れない。2017.10.25(犬賀 大好-384)