日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

物まね日本を考える

2015年05月20日 09時46分12秒 | 日々雑感
 中国の遊園地には、日本や米国のキャラクターの真似者が満ち溢れていると、中国を小馬鹿にしたような報道があるが、かって、日本も米国をひたすら模倣していた。40~50年ばかり前までは、米国発のアイデアを日本人の改良で米国製品より優れた製品を作り出し、輸出立国を支えていた。自動車や電気製品はほとんどがそうであった。いや、そうであったと過去形で言えるであろうか。
 経済の活性化のためには技術のイノベーションは欠かせないが、今もってイノベーションを米国に頼っていないであろうか。相変わらず米国発のイノベーションに乗って、改良・改善の道を辿っているのではないだろうか。日本発のイノベーションはどこにあるのであろうか。
 例えば、3Dプリンターは日本人の発明であったが、当初誰からも相手にされなかった。しかし、米国において、手術前に3Dプリンターにより製作された患部の三次元モデルによる手術手順の確認等でその有効性が分かると、日本でも急に開発が盛んになった。
 日本人はハードとしては、腕時計型ウェアラブル端末等、先端的なものを単発的に作るがそれを有効に生かすところまで至らない。イノベーションとは、新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす幅広い変革である。しかし、日本では技術革新と狭義に訳されている。ハードは勿論であるが、その使い方まで含めて、社会的な変革をもたらすところまで行かねばならない。先述の3Dプリンターやウェアラブル端末は、ハードとしては先端的であるが、それらが社会にどのように受け入れられるかまでを十分考えなかった。優れたハードを社会に提供すれば、社会が使い方を考えてくれる筈との甘さがあった。
 また、最近何かと世の中を騒がせるドローンも米国発である。ヘリコプターのように、空中で停止することの出来る無人飛行機であるが、小型物品の運搬からセキュリティ用まで用途は無限である。ドローンに必要な機械部品は、すべて日本は一流である。駆動モータ、蓄電池、制御用の電子回路、空撮用の小型カメラ、すべて簡単に手に入る。しかし、それらを組み合わせると、社会でどのように使われ、社会をどのように変革するかの考察が欠けていた。
 別の言い方をするならば、日本人は昔から具体的な目的が与えられればその中でひたすら努力し良い物を作るが、目的そのものを見つけることは不得手であると言われていたが、今でも変わっていないようだ。
 イノベーションは、社会的な変革を目的とするものであれば、日本発のイノベーションは今後も余り期待できないとなる。この傾向は、日本の教育体制のみならず、日本文化に依存すると思われるので、当分物まね日本は続いていくだろう。(犬賀 大好-130)