修行は まだまだ続く ♪

ぼちぼちと ほどほどに 今を愉しんで・・・

庵でリフレッシュ♪

2013-05-30 | おでかけ
今日は完全フリーの公休日だったので 自分のためだけに費やすことにした。
えっ??? いつも自分のためだけに費やしているって??? まぁね 否定はしないさ。

先ずは 朝一でのセンセイのところで 月一のカット&カラーでスッキリしたら
ランチは 行きたくてもなかなかタイミングが合わなくて チャンスがなかったココ↓ 古民家風の庵で。



ひとり時々ふたりで営業している小さな隠れ家風の庵なので 店内と云うか 庵内もこぢんまりしていて居心地が良い。



メニューは 日替わりのお総菜ランチのみ。



特別なメニューではないけれど 地産地消を心がけているオーナーの心意気が
素朴だけど 美味しいお総菜を通して伝わってくる。
お料理もさることながら 季節感溢れる室礼による演出も大きいな。

午後からは ジムへ。
30分間強弱をつけたジョギングのあと エアロバイクでひと走り(?)してから ガチャガチャ筋トレ。
たーっぷり汗をかいて清々しい気分に♪
帰宅後 わくわく期待しながらヘルスメーターに乗ったのに・・・・・・・ちっとも減ってないじゃん
週3日ジム通いをしていると云うのに なんでよぉ

外も内もリフレッシュできたことだし まぁヨシとしっかな

方向音痴

2013-05-29 | おでかけ
地図を片手に はじめましての小学校へ
下見を兼ねてマメタイフウのオヤブンさんを訪ねる。
・・・・・が うーん・・・・・この辺りだと思ったのに 行き着かない
新しい道路が開通し 周辺の様子が手元の地図(2年前に購入)と違って 
今どこを走っているのか分からなくなってしまった
方角を確認するために太陽の位置を見ようにも 生憎の曇り空。
それじゃあ 周辺の山は・・・・・
これもまた全ての山が中腹から上は雲の中で どれがどこの山なのか見当がつかない。
どうする??? 元ワンゲルリーダーよ!

あれれれ・・・・・街中でワンデリングしているような・・・・・・
ひとまず 美味しいケーキとカフェインで落ち着こう♪



目的の小学校は ひとやすみしたカフェから 僅か7~8分ひとっ飛びしたところだった。
年を重ね 音痴度が増したような・・・・・
元ワンゲルのリーダーだったなんて恥ずかしくて云えない・・・・・って云ってるじゃん

第一号上陸

2013-05-29 | 手しごと
先週 マメタイフウ1号が魔女森・森の館に上陸。
1学年15名の小規模校5年生の林間学校で 草木染のワークショップを開催した。

子どもたちが染材に集めてきた草木はコレ↓

     

絶対に緑に染まるハズだと言い張っていたお子たちが 染め上がった自分のハンカチを干しながら
意外な色合いに驚きながらも 嬉しそうに何度もハンカチを撫でている姿が印象的だった。

     

さて このマメタイフウたちが 目を丸くしたのは染まったハンカチの色だけでなく
森の館で当方に出会ったことが 一番の驚きだったようである。
否 正確には当方の名前に・・・・・かな???
今回のマメタイフウたちは 毎月おはなしを届けに行っている地元の小学生。
おはなしを届けるときは戸籍名を 仕事関係では旧姓を名乗っているので 森の館に来たマメタイフウたちには旧姓で自己紹介をした。
それで マメタイフウたちが目を丸くしたわけである。

         あれぇ??? おはなしのひと???
         うん??? 似てるけど違うよね???
         違うよ!別のひとなんじゃない???
         えーっ おはなしのひとだよね なんでココにいるの???
         うーん・・・どうして名前が違うの???    
         もしかしたら ふたごだったりして???

マメタイフウ1号が 一番反応して盛り上がったのは おはなしを届けに来る人と森の館の人が同一人物かどうか??? だったようである。
種明かししないことには 気もそぞろで集中できそうにない。 
そこでワークショップ前に説明したのだが ずーっと拘っているお子がいて 何度も何度も 当方の顔を覗き込みに来ていたっけ 
来月 小学校で再会したら 今度はどんな反応をしてくれるのかしら・・・・・。

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さて 今年度もマメタイフウ上陸及び突入の予定が入り始めた。
今日は はじめましてのマメタイフウのオヤブンさんの元へ 下見を兼ねて打ち合わせに伺うことになっている。
梅雨入りしたらしいが はじめましての場所を訪ねると間 雨・・・・・強くならなきゃイイけどなぁ。

実地見聞 part3

2013-05-25 | おでかけ
実地見聞最終日は少し高い所から盆地を眺めてみよう♪
・・・で先ずは 葛城山に登るべくロープウェー乗り場へ。
まだ9時前だというのに ロープウェー乗り場に続く道には 観光バスの列。
その車列を目にした途端うんざりして葛城山は却下!

行く先を 次に向かう予定でいた二上山に変更する。

     

奈良県葛城市と大阪府太子町にまたがる二上山は 葛城山に続く金剛山地の北側に位置し
その名にある通り 雄岳標高517mと雌岳標高474mの二つの山頂からなる。
今では『にじょうさん』と呼ばれているが 古くは『ふたかみやま』と呼ばれ 大和側から見れば日の沈む聖なる山と崇められていた。
ふたかみやまと呼んだ方が その歴史からも趣を感じる山である。



どうしても この二上山には自分の足で登って確かめてみたかったのが
雄岳の山頂近くにある ココ↓ 大津皇子の墓である。




天武天皇の皇子であった大津皇子は優秀で人望があり 次期天皇と目されていたが 天武天皇の崩御後 
草壁皇子(母は鵜野讃良皇女)を次の皇位につけたいとする鵜野讃良皇女(後の持統天皇)により 謀反の疑いを掛けられ葬り去られた。
この事件の後 いったん大津皇子は別の土地に葬られたが 大津皇子の死後 地震や雷が頻発したことが 大津皇子の祟りと恐れられ
浄土の地とされる二上山へと遷されたそうである。

皇位継承にからんだ血なまぐさい事件が数多く起きた時代ではあるが その時代の宮が存在した近くに墳墓が造られているにも関わらず
大津皇子だけ 浄土の地とは云え 盆地から遠い山の頂に 引き離されるように葬られているのである。
それだけ 大津皇子が謀反を起こしたと云う事自体がでっち上げであり その恨みによる祟りを恐れた証拠ではないかと推測できる。

ふと見ると 柵で囲まれた墓所の内側に・・・・・

                           

まるで 今もって大津皇子の恨みを抱き 静かに守り続けているかのよう・・・・・。

          * * * * * * * * * *

二上山の雄岳と雌岳の鞍部『馬の背』は 宮本輝の小説『泥の河』にも登場する地名であり
大阪と奈良の境に位置し 遥か昔から交通の要所であったことと想像がつく。
表だって話題にされることは少ないが 見ない訊かないふりは出来ない してはならない 同和問題にも繋がっているのではないだろうか。
えた・は 江戸時代の士農工商の身分制度確立よりも遥か昔 奈良時代に始まったと云われる。
奈良の柏原にある 水平社博物館にも 一度足を運ばねばと思っている。 

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実地見聞のきっかけになった歴史の断片が頭の中を巡り 思いが強すぎる上 当時の人物相関が複雑に入り組んでいるので
今回の見聞録は 何を云っているのか伝わらず 自己満足の記録でしかない。
しかし ブログなんて 所詮自己満足の世界だもの お許しあれ。 

現地で見て 感じてきたあれこれを反芻しながら 再び 飛鳥の時代に迷い込む。
益々深みにはまっていきそうな予感 次は何を検証しに行こうかしら♪

実地見聞 part2

2013-05-23 | おでかけ
実地見聞二日目最初の見聞地は 地図を見ながらこの辺りのハズなのだが 駐車場も案内板すら見当たらず さてどこだ???
通りかかった女性に訊ねると 「あると訊いたことはあるけれど???」 と 
その存在は知っているらしいが それがどこにあるのか 行ったことがないのでわからないと云う。
暫く周辺をウロウロ・・・・・そこへ ひとりのおじいさんが通りかかったので訊ねてみると ピンポ~ン♪
どこにも案内標識はなく おじいさんの指示通りに笹藪の中に続く細い路を辿っていくと そこにあったのは・・・・・

     

巨大な 巨大な 謎の石造物だった。
石造物の上につれあいが立っているのを見ていただければ その大きさが想像つくだろう。
松本清張の小説『火の路』を読んだ時から この目で見たいと思っていた益田の岩船である。
上部には 深さの違う四角い穴が開いており 水が流れるような(?)しかけになっているように見えるが
誰が 何の目的で造られたものなのかは 未だ明らかになっていない。
一説には 制作途中で岩盤にひびが入ったため そのまま放置されたとか。
千三百年もの長い時を 地元の人にも見向きもされず ひっそりと佇んできた岩船が いとあはれなり。

岩船を上から見下ろしたり 下から見上げたり 岩肌を攀じ登ってみたり 撫でたり叩いたり
全身でいにしえの文化を感じていたつれあいが 突如岩船の上の空を見上げて 「これ↓をプレゼントしよう♪」 と。

     

おぉぉぉ・・・♪ 季節と光線の具合によっては違って見えるのかもしれない期間限定貴重品???
しかし つれあいからのプレゼントって いつも(←こんな具合)実態があるような???ないような???なんだな。
 
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さて この日のメインは 萬葉集でもお馴染み 遥か昔から大和の国を見守ってきた大和三山(畝傍山・耳成山・天香具山)に登ること。

最初に向かったのは 橿原神宮に登山口をもち 三山で一番高い畝傍山標高198.8m。



三山の真ん中に位置する耳成山標高139.7m。



『春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山』(持統天皇)の天香具山標高152.4m



大和三山と云っても 三山で一番高い畝傍山でも標高198.8mしかなく 登山 否 ハイキング 否 散歩と云ったところだ。
先の二山は 奈良盆地に単独峰として存在しているが 天香久山は多武峰から続く山裾にあたり 山と云うより小高い丘と云う印象で
舒明天皇(御名・田村皇子*推古天皇→舒明天皇→皇極天皇)が 
『大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は』
と 詠んだ頃と違い 今では 三山どの山頂も灌木に覆われ展望が利かないのが残念でならない。 

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かつてココは藤原京の中心 持統天皇・文武天皇の宮があった藤原宮跡


畝傍山を望む                              耳成山を望む                                 天香具山を望む

大和三山(畝傍山・耳成山・天香具山)の懐に抱かれるように藤原京は位置しており その体は唐の都を模していたと云う。 
天武天皇の意志を受け継いだ中央集権国家の確立には欠かせない一大事業として 持統天皇が飛鳥から遷した都で
それは 平城京・平安京を凌ぐ古代最大の都だったと云われている。  
ココに建っていたであろう大極殿や朝堂院 内裏のあった辺りを歩きながら 持統天皇も同じように見たであろう
大和三山を眺め 眩しい陽差しに目を細め 風の流れを感じてみる 千三百年の時を挟んで・・・・・。

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二日目最後の見聞は お墓詣り???



板蓋宮の主だった斉明天皇(=皇極天皇)の陵
斉明天皇の希望により 夭逝した孫の建皇子(天智天皇の皇子・持統天皇の弟皇子)と 
心を病んで亡くなった娘の間人皇女(孝徳天皇の妃・天智天皇の妹&恋人)も合葬されている。
三人が安らかに過ごすことの出来る場所が 死後の墳墓の中しかなかったと云うのが何とも切ない。
また陵の一角には 斉明天皇の孫娘で 大津皇子を出産後若くして亡くなった大田皇女(天武天皇の妃・持統天皇の姉)の墓もある。
天智・天武天皇の世 時代に翻弄された女人たちに思いを馳せて首を垂れる。

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実地見聞二日目の夜も 近鉄橿原線に揺られて・・・・・・♪  (part3 に続く)