ここは、中臣鎌足(後の藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)が、
蘇我入鹿暗殺の密談をしたと云われる談山寺です。
眼下に明日香の集落が一望でき、且つ人里離れた多武峰で密談をする必要があったのでしょう。
早朝の静かな伽藍に立ち、大化の改新前夜を想像してみるに、
背中を冷たいものが伝わったような、妙な緊張感を覚えました。
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妙な始まりですが、古の事件を検証する旅の報告です。
旅の始まりは、三輪山をご神体とする日本最古の神社と云われる大神神社を振り出しに、
飛鳥にタイムスリップしながら、明日香の暮らしをちょっぴり覗き見♪
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左の画像は、明日香村を流れる飛鳥川の、稲淵の集落の入口にかかる雄綱で、
綱の中心には、雄のシンボルをかたどったものがついています。
そして右の画像は、雄綱よりも更に2キロ上流の栢森の集落の入口にかけられた雌綱で、
こちらの綱の中心には、雌のシンボルをかたどったものがついています。
どちらの綱も、毎年1月11日に架け替えられるのですが、雄綱は神事で、雌綱は仏事で行われ、
子孫繁栄と五穀豊穣を祈り、悪疫などが道や川を伝って入り込まない様に結界を張る意味があるそうです。
・・・と云うことを、飛鳥川をぶらついている最中に、近くで野良仕事をしていたじっさまに教えていただきました。
奥明日香集落の中を歩いてみると、里に暮らす人たちの穏やかな息吹が感じられて嬉しくなります。
軒先に大根葉が干してあったり、萱ぶきの屋根の上に物干し台が作られていたりします。
立派な伽藍の中に神々しいばかりに坐している仏様ばかりでなく、
民衆の暮らしに寄り添って、今なお息づいている仏様たちへの信心に強く心打たれます。
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鎌足と中大兄皇子の密談地を確認したら、やはりもう一度現場検証に行きたくなりました。
伝飛鳥板蓋宮跡は、皇極女帝(後の斉明天皇)の目の前で恋仲にあった蘇我入鹿を、
蘇我倉山田石川麻呂と中臣鎌足と中大兄皇子が斬殺した場所です。
直接手を下したのは、女帝の息子の中大兄皇子でした。
稲目・馬子・蝦夷・入鹿と続く蘇我氏は、天皇家と二分するほどの勢力で政権を掌握し、
その居所も集落を見下ろす甘樫の丘に構えていた程です。
それ故に、変革をもたらす必要があったわけです。
板蓋宮の遺構を辿りながら・・・・・
中大兄皇子が潜んでいた柱はどの辺りだろうか?
入鹿は、どこに坐していたのだろうか?
その時、皇極女帝はどうしたのだろうか?
入鹿暗殺を知った蝦夷の行動は・・・・・
宮跡に立ち尽くしているその目の前に、古のものがたりが繰り広げられていたかのようでした。
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物凄く混沌とした時代ですが、何故か強く心惹かれ、虜になってしまいました。
また、機会を作って、更なる現場検証と考察を深めていきたいものです。
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さて、2014年もお終いです。
今年は、本当に大波荒波がザブ~ン!!!!の一年でした。
いつ支離滅裂の拙いブログにおつきあいいただきありがとうございます。
みなさま、どうぞ良いお年をお迎えくださいね。