森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

義父@硫黄島の戦い

2015年11月11日 | 歴史


アメリカで今日は、ベテランズデー(退役軍人の日)の祝日。学校もお休みで、静かな休日を過ごしました。

そんなタイミングもあったのでしょう、昨夜はTVで、硫黄島の戦いに関するドキュメンタリーが放映され、主人ともども興味深く観賞しました。

というのも今は亡き義父は、若干17歳で硫黄島の戦いに参加したという人。第二次世界大戦中のアメリカといえども、17歳ではまだ兵役の義務はなかったのですが、自ら志願。若い水兵さんとなったのでした。

義父は、硫黄島での負傷兵を小さな船で病院船に運ぶという、過酷な任務についていたそう。ひどい怪我をした兵士達が呻いたり唸ったりするのを、間近に目にしたそうです。なにせ日米合わせて、27000人が亡くなったという硫黄島の戦いです。文字通り、地獄絵だったのでしょうね…。



そんな義父は、主人によるとあまり戦時中の話をしない人だったそうですが、私には戦争中の話をよくしてくれたような気がします。

たとえばある時、硫黄島の戦いについて聞いた時のこと。ちょうどある本で、硫黄島に赴くアメリカ兵たちはひどく緊張していて、「船のコックの心尽くしの最後の昼食だった鳥の唐揚げにも、ほとんど手をつけなかった」とあったので、「本当ですか?」と聞いてみたのです。

すると、「うん、本当だよ」と義父。「だって僕らは、ステーキが出るって聞いて楽しみにしていたんだ」とニヤリ。そ、そうだったのかあ~! 戦場に赴く緊張感からというより、ステーキを期待していてガックリ、という気持ちから、食が進まなかったのですね。真相を聞いて、大笑いしてしまいました。

…実は昨夜の硫黄島特番について教えてくれたのは、テキサスに住む主人の叔母さまでした。義父の一番下の妹にあたる人なのですが、その叔母が言っていました。「硫黄島は、兄にとってもすごく意味深い場所だったのよ」と。

義父は2011年のアメリカ独立記念日(7月4日)に亡くなったのですが。もっともっと戦争体験について、話を聞いておくのだった! 子供たちのためにも…。

珍しく、今年は「退役軍人の日」らしきことをついて、いろいろ考えた年となりました。

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2 コメント

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Unknown (アラカン)
2015-11-13 02:36:45
太平洋戦争末期においては日本は米軍の物量作戦には手も足も出ませんでした。制空権、制海権を完全に奪われたので、バンザイ突撃を繰り返し、玉砕するだけという状態でしたが、硫黄島では唯一、かなり長期間持ちこたえたようで、米軍もかなりてこずったようです。想定外に弱いアメリカ軍は洞窟などに立てこもったゲリラ戦には意表を衝かれ、かなりの犠牲者を出したようです。
しかし、最終的にはサイパン島を始め多くの南方基地も陥落、3月10日の一般市民を標的とした無差別東京空襲につながっていきます。
お義父さまのようなハワイアンで南方に行かれた方もあったと思われます。南方の島々で自分達とルーツを同じくする現地の人々を見てどう思われたのでしょうかね。日系人兵士も兄弟(どちらかが帰米二世で日本軍に参加)
が敵同士になって戦ったケースもあったと聞きます。
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Unknown (JUN)
2015-11-13 12:42:11
アラカンさん、こんにちは~。
アラカンさんは戦争にお詳しいのですね。
私はハワイに来てからやっと、日本史に興味を持ち始めた感じなので、硫黄島のこともよく知らなかったのです。
そうだったのですか。硫黄島はサイパンなどと違い、本当に激戦地帯だったのですね。
あと、日本に帰国中に太平洋戦争が始まってしまい、敵・味方に別れてしまった日系家族の話も、ハワイで聞いたことはあります。
もうすぐまた、12月7日がやってきますね。
ハワイはまた、真珠湾で大がかりなイベントが開かれ、大々的に報道されるのでしょう。
ちょっと憂鬱…な日です、ハワイの日本人にとっては。
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