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森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

カウアイ島での奇妙な出来事

2014年03月03日 | 不思議譚


カウアイ島での奇っ怪な出来事を話しましょう…など大げさに予告をしたまま、冬眠してしまいゴメンナサイ。やっと事の顛末をお伝えしますね。イエ、そんな大した話ではないのですが…。

今年に入り、数回にわたってカウアイ島の洞窟について書いてきました。メネフネ伝説やペレ伝説の残る、ワイカナロア・ケーブやマニニホロ・ケーブについて紹介しましたが、本当は私、洞窟というものをハワイでは避けてきたのです。理由は…笑っていただいてもいいのですが、洞窟にまつわる妙な話を、周りでいくつか聞いていたからです。

たとえばオアフ島西部のカネアナ洞窟。ここを訪れた知人が、「何かが憑いてきた。上から何かが落ちてきた」と感じたそう。以降、その通り?おかしなことが続き、御払いをしたとのことです。もう1ヶ所、オアフ島の洞窟につき、全く似たような不気味な話を聞いたので、「洞窟って鬼門だな」と思った私。過去、ことごとく洞窟を避けてきたわけです。なので著書「ミステリアスハワイ」「ハワイの不思議なお話」にも、洞窟を訪れた話というのは載っておりません。洞窟は恐い、みたいな話はありますけどネ。

本当をいうと、古代の神殿跡であるヘイアウについても、用事がなければ出かけない方がいい場所…と私は思っています。ヘイアウは神聖かつ霊的な場所であり、そういう場所にはとかく霊が集まってくる、というような話を聞きますから、特に子供連れでは訪れないように心がけてきたのですが…。今回のカウアイ島では、島指折りの名所ともいうべき洞窟でしたから、仕事の一環で行ってきたわけです。

別に、洞窟のなかで妙なことがあったわけではないんですよ。ただ…。家に戻って数日たった頃に、ちょっと変なことがありまして…。というのは、身体中に、得体の知れない引っかき傷ができてきたんです。

最初は、足の引っかき傷でした。それを見て、「あ、カウアイ島で山歩きした時にできたのかな?」と思い、さして気にはしなかったのですが。あるヘイアウに行った時には、藪の中を歩く感じでしたからね。

ところが数日中にそれが身体中に広がったというか、身体中に引っかき傷が浮かびあがってきたのです。足や腕ならまだしも、お腹や背中にも出現。Tシャツで隠れた部分にも、です。変な話、下着の内側にもそれはありましたから、どう考えても山歩きで引っかいた傷ではありません。

ふと、寝ている間に自分で引っかいたのか? とも考えましたが、別に虫刺されなど痒い部分があるわけでもなくて。背中の、頑張ってやっと手の届く部分を、がりがりやったとも思えないのです。そもそも、こんなことは生涯初めて。蕁麻疹が出た時だって、身体中に引っかき傷を作った覚えなんてありません。

さすがに不気味になり、シャツを脱いで夫に「コレ、どう思う?」と事の顛末を話すと…。身体中の傷を見た時、ハワイアン夫の顔は、ハッキリ言って引きつっていました。そしてその様子を見て、さらに恐くなってしまった私。身体中に正体不明の引っかき傷なんて、やはり尋常ではありませんよね。

長くなったので話をはしょりますが、結論として、今の私は大丈夫です。引っかき傷も無事消えております。というのも、あの後、まずはハワイアンソルトを身体に撒いて、お清めを試みました。ロミロミマッサージのマスターから、シャワー中にハワイアンソルトを使って施術後のお清めをすると聞いていたので、その通りやってみたのです。

さらには、家の近くの出雲大社にお参りへ。その後、すごく清々しい気分になったのを覚えています。以上、全く自己流ではありましたが、御祓いが効いたのか? その後、引っかき傷は消えていったのでした。

もちろん、引っかき傷の絶対的な原因というのは、誰にもわかりません。…でも私は自分なりに感じたのです。カウアイ島で、ふだん出かけないような霊的な場所を集中的に巡ったせいかな、と。やっぱり、洞窟って恐いかも! 

洞窟を紹介する記事をさんざん書いた後で無責任ですが、そんな風に感じた、カウアイ島旅行の後日談でした。皆さんはコレ、どう思いますか?


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カウアイ王族の生誕地

2013年11月23日 | 不思議譚


今回のカウアイでは、ワイルア川沿いにあるヘイアウ、ホロホロクーと、バースストーンを見ることが第一の目的でした(ワイルアリバー州立公園内)。バースストーンとは、かつて王族女性がその上で出産したと言われる、神聖な岩ですね。

ハワイ各地にバースストーンがありますが、有名なのは、オアフ島ワヒアワのクーカニロコの史跡。ほかに、マウイ島ラハイナの港の岸壁から数メートル先、海水に洗われる状態のバースストーンも、見たことがあります。またホノルルの名門校プナホウスクールの門前にも、バースストーンが鎮座していますよね。

カウアイのバースストーンはポハク・ホウハナウと呼ばれ、一説によると、カウアイ島の王は皆、この岩のもとで生まれたものとか。

バースストーンに関してよく言われるのは、その岩には産みの苦しみを和らげるマナ(霊力)があるとか、その聖なる岩で生まれた子供には神の加護があるとか、そういった言い伝えですね。

出産の際には岩にラウハラ織りのマットやカパ布が巻きつけられたとのことですが、それにしても。岩の上で出産というのは、どう考えても不快そう! それをあえて実行するからには、よほど「岩の持つマナ」への信仰が強かったのだろうと察します(もちろん、岩のマナだけが出産の苦しみを和らげるのではなく、そこには出産を助ける医療担当のカフナがいたり、ロミロミマッサージが施されたり、薬草が駆使されたりもしたようですが…)。

なにせ昔の出産は女性にとって命賭けの大仕事。なので王族女性は、少しでも神の助けを願った…ということなのかもしれません。

…思えば現代の女性は、快適な病院のベッドで、麻酔による無痛分娩も受けられるのですから、古代のいかなる王族女性よりも恵まれていますよね。いにしえの高貴な女性たちにも、「それってズルイわ~」と文句を言われてしまいそうです。


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カウアイ島に行ってきました

2013年11月19日 | 不思議譚


また更新が遅くなってゴメンナサイ。前回、丸亀うどんの話をしたきりでしたね…。実はその翌日から、カウアイ島に行っていました。本邦初、旅行先からのブログ更新を試みたのですが、ITに弱い私は果たせず…。どうぞ次回にご期待ください!

私にとっては今年3回目のカウアイでしたが、主人は20年ぶり。子供達は初めてだったので、なかなかエキサイティングな旅になりました。ええ、いろいろな意味で…。訪問先はまたの機会にアップしますが、今回、私が感銘を受けたのが、カウアイの川です。ワイルア川をはじめ、カウアイには川が多いですよね。しかもハワイ中でも、船が行きかうほどの川があるのは、カウアイだけだそうです。上の写真は高台から見降ろしたワイルア川ですが、こんもりとした緑を連なるその姿は、まるでアマゾンのよう(大袈裟?)。淡水が豊富で肥沃な土壌に恵まれたワイルア川河口が、初期のポリネシア人の入植地となったのも、なんだか納得できました。

カウアイ島の誇るワイルア川ですが、ちなみにその名前の由来は諸説あるそうです。まずは「2本の川」。ハワイ語でルアは数字の2を表しますね。ワイは水です。2本の川がやがて1本の大きな川になったのがワイルア川なので、その名前がついたという説が1つ。

もう1つは、ずばり「ゴースト」ですって。お手元のハワイ語辞典を見ていただくとわかるように、ワイルアにはハワイ語でゴースト、スピットという意味もあります。つまりワイルア川=ゴースト川といったところでしょうか。実際、カウアイ島では、ある決まった月夜の晩、ワイルア川まで行進してきた死者の列がカヌーにのって川を下り、ポリハレという土地へ。ポリハレの崖から無限の闇、つまりあの世に飛び込むという伝説があるそうです。

死者の列が月夜のなかを行進するという「ナイト・マーチャーの伝説」はハワイのあちこちにありますが、カウアイの死者は、カヌーで川を行くのですね…。いかにも川の豊かなカウアイらしい逸話ですが、なんだかリアルな話で、その光景を想像したらゾ~ッとしてしまいました。

夜のワイルア川は、あまり覗いてみないほうがいいのかもしれません!
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続・カワイアハオ教会の壁に何が起こったか

2012年08月19日 | 不思議譚


前回、ハワイ最古のカワイアハオ教会の壁に、市バスが突っ込んだ件に関し、「奇怪な事件だった」と書きましたね。もちろん、それはあくまでも事故だったわけですが…。事故全体になんだかミステリアスな雰囲気を感じてしまった私。

というのも、以下のような事情があったからです。

カワイアハオ教会は1842年創設の、ハワイ王朝ゆかりの由緒ある教会です。広い墓地も教会の横手にあるのですが、数年前のこと。墓地と教会の間にあるカフェテリアを取り壊し、17億円以上をかけて、立派なカフェテリアを新築することになりました。

カフェテリアというより、そこでさまざまなクラスを開いたりもしていたので、多目的ホールと言ったほうがいいかもしれません。とにかくそれは、古ぼけたホールで。私もそこで何度か、日曜礼拝の後に、ランチを食べたことがあります。

ところが。更地になったホール跡地から、古い人骨が出土したから、さあ大変! これは19世紀のハワイアンの骨で、どうやらこのホールが建てられる前には、この敷地まで墓地として使われていたことがわかりました。なぜ~か。墓標だけ除去された墓がたくさんあったのかもしれません。

ハワイではこうして建築現場から骨が見つかった場合、まず考古学者が関わった本格調査が行われます。古代の埋葬地については様々な規制があり、埋葬地に建物を建てるとなると、いろいろややこしい問題が発生するからです。極端な場合、計画を変更して建物の位置を移動することもよくあること。たとえばマウイ島の高級ホテル、リッツ・カールトンでも同様の問題が起こり、ホテルは客室タワーの位置変更を余儀なくされたのでした。

ところが、カワイアハオ教会はホールの場所を変更するほどには敷地が広くありませんからね。そのまま同じ場所にホールを建てようとしました。もちろん出土した人骨は丁重に取り除き、ほかの場所に埋葬しなおしたわけですが…。そんな背景から、市民団体がカワイアハオ教会を訴えて工事をストップしようとしたり~。ハワイ大学の学生たちがプラカードを持って抗議運動を展開したり~。昨年来、もろもろきな臭い出来事が教会周辺で起こっていたというわけなのです。

そのため工事は長い間中止されていて。工事現場は幕が張られてすっぽりと隠され、ガードマンが24時間、張り付いているほど。中の様子は見えないようになっているのですが、
(とは言いつつ)この2月、カワイアハオ教会の2階から見下ろすことができた工事現場を、ついパチリと写したのが、冒頭の写真です。

工事はまだまだ地ならしの段階で止まっていましたが、私は見た! 女性スタッフがテントの下、刷毛のようなものを使って、工事現場で何かをハタハタしていたのを…。あれは工事の人ではなくて、考古学者だったのではないかな~。か弱い女性が刷毛でハタハタ、ですからねえ。手にしていたのは何だったのか。それについてはわかりません。

う~ん、やはり現場からはその後もいろいろ、出土しているのかもしれません。ね? そんなこんなで、なんだかきな臭い状況が、教会を取り巻いていると思った次第です。

しかも、ですよ! 2月14日。ハワイ大学の学生40人がドクロの絵を持ってハロウィーンみたいなおどろおどろしい服装で、カワイアハオ教会の壁の前に立ってハワイ語で建築反対のスローガンを唱えるという出来事がありました。新聞でも報道されたので、私もその出来事をよく記憶しています。

そしてその1ヵ月半後の4月2日。市バスが飛び込んでこなごなになったのが、まさにその場所。その、ドクロのサインを持った学生達が立っていた、全く同じ場所だったのです。

もちろん、市バスの事故の際にはそこに誰もいなかったのだし。バスの運転手も何も意図したわけではないのですが、なんだか私は少し、怖くなりました。何が何だかわからないけれど、なんとも奇妙なバスの事故ではないでしょうか?

…この記事を書くにあたり、昨日、カワイアハオ教会を、覗いてきました。相変わらず工事はストップしたまま。やはりガードマンが、退屈そうな様子ではりついておりました。今後の展開が気になるところです…。

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カワイアハオ教会の壁に何が起こったか

2012年08月15日 | 不思議譚


ちょっと上の写真をご覧ください。重厚な塀が盛大に壊れ、瓦礫が散乱していますね。これ、なんとハワイ最古のキリスト教会、カワイアハオ教会の外塀なのです! あの、ハワイ王国時代には国王の戴冠式や結婚式、葬式も行われた、由緒ある教会の…。

ダウンタウンの中心、キングストリートとパンチボールストリートの角に位置しているカワイアハオ教会。まあふだんから車の往来は多い交差点なのですが、今年4月2日、なんとその壁に市バスが突っ込むという、奇怪な事故が起こりました。

どうやらドライバーは持病を持っていたらしく…。意識を失ったのかもしれませんが、左折専用車線にいたのにそのまま直進してしまい、教会の壁にフルスピードで突っ込んでしまったのでした。バスには客が乗っていなかったので、ドライバーだけが大怪我。ちょうど事故現場に通行人がいなかったのも、後から考えれば不幸中の幸いですね。 

その直後に取ったのが上の写真です。その後も壁の修繕作業が全く始まらず、長らく放置されている状態でした。が、昨日の新聞報道で壁の修繕がやっと近いうちに始まると知り、ホッとしています。由緒ある立派な教会の壁が崩れているというのに、数ヶ月間、放置されていたのはなぜなのか? といぶかしんでいたホノル市民も多かったのではないでしょうか。

新聞の報道によると、この壁は1843年に建設されたもの。その3年前、教会はカカアコ沖の海底から切り出した珊瑚を材料に建てられました。当時のハワイでは珊瑚が、一番頑強な建築素材だったからです。もちろんこの壁も、珊瑚で造られています。

こういった特殊な壁ですから、工事はなるたけオリジナルの珊瑚を集める形で修繕すべく、こういった歴史ある建築の修繕を専門にしている会社が請け負っているそうです。まずはハワイ州の歴史保全課、みたいな部署から修繕計画の許可を得なければならなかったそうで、許可が下りるまでにずいぶん時間がかかったということでした。その間、勝手に珊瑚のかけらを持って行ってしまった人もいるため、欠けている部分については新しい材料で補強することになるよう。

なんとかクリスマスシーズンには間に合うように修繕する計画と言いますから、これから急ピッチで工事を進めるのでしょう。頑張って欲しいものです!

それにしても…。聖なるカワイアハオ教会(のある角)で起きたこの事故、なんだかミステリアスな印象を受ける事故でもありました。幸い死者は出ませんでしたが、一歩間違えれば大惨事でしたからねえ。

近年、カワイアハオ教会を巡ってはとあるきな臭い問題が起こっていたので(古い時代に埋葬された遺体の処遇に関して、なんですが)、勝手にそれと関連ずけて、あれこれ考えてしまった私…。長くなるので、続きはこの次に! 少々お待ちください。

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