サガタ先生の日記

この日記はパソコン教室パイプラインとサガタ印刷共用です・・・ご了承ください。

ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳~

2012年09月14日 | 映画
テアトル梅田で上映している「かぞくのくに」と「ニッポンの嘘」が気になっていて・・・。
どちらも14日が最終日・・・。
「かぞくのくに」はありがとう浜村淳で、99%話してくれたので(笑)見なくていいかと。
なので「ニッポンの嘘」を見に行ってきました。





戦争も兵隊さんとして経験をし、山口県で普通の勤め人をしていた福島さん。
原爆投下の1年後に原爆ドームの近くに草が生えた・・・と言うことを聞いて
写真を撮りたいと思い広島に向ったことが写真家になる原点だったらしいです。
そして、ピカにやられた、中村杉松さんと出会い、「仇をうってくれ」と言われ、
写真を撮って、原爆症の記録として写真集を発表した・・・。
中村さんが亡くなった時、お家に伺ったら中村さんの長男に「なにしにきた」
と言われ自分はなんてこととをしてきたんだ・・・と思ったらしいです。
映画の最後の最後に中村さんのお墓に初めて訪れ「ごめんな」と一言。
でも、私は仇をうてたかどうかはわからないけど、その写真集により、原爆の怖さ、
原爆症の悲惨さは訴えることが出来たのではないか?と思いました。

その後、奥さんとは別れて子どもたちを引き取って写真家としての生きるため、
東京へ。娘さんも出ていましたが「本人は子どもをほったらかしにしていたって
言ってますが、必ず家に帰ってきて私たちの食事を作ってくれました。そういう部分
では私たちを見ていてくれたと思います」と言っていました。

東大紛争や公害訴訟などの写真を撮り続けていたのですが、子ども達も独立し、
国が保守化して、メディアにも絶望感を感じて61歳の時、写真家をやめて
広島県の無人島に移り住んだそうです。
その後、胃がんの手術をして胃の3分の2を切除しています。ちょうどその頃、
昭和天皇の下血報道を見て、戦後、昭和天皇が戦争責任について質問された時
「そういう言葉のアヤについては、よくわからないからお答えが出来かねます」
(少し文章端折ってます)
と言う言葉を聞いてから、昭和天皇に対する戦争責任をいつも感じていたのが
目覚め、「天皇の戦争責任展」と言う写真展を開くことになったそうです。
今まで昭和天皇の戦争責任について私の中には霞がかかった感じだったけど
この福島さんの話を聞いて納得しました。

そして2011年の福島原発のニュースを見て福島に入り、写真を撮り、その地にいる
人と話をして・・・。警察官にも「あなたたちもお仕事でここに立たれていますが
私も写真家と言う仕事なので写真を撮らせてください」と言うところがすごい。

何より国に絶望しているので年金も受け取らない、広島の平和公園を見に行って
「本当の原爆の悲惨さをすべて上から色を塗って消してしまった」と表現する。
「国はずっと嘘を国民に伝えてきた」と言う言葉が重かったです。
(なかなか文章では説明ができませんが、福島さんの言葉はすべて納得できる
話でした)

90歳で、ワンコのロクと2人暮らし。1日の生活費は1000円と決めて・・・。
それにしてもロクは福島さんがインタビューされているといつも横に座る。
福島さんが食事を始めても横に座る。そして福島さんにすこしもらうのだけど
すごくまずそうに食べる(笑)何とも言えない相棒でした。



若かりし頃の写真を見るとすごく男前なのですが、今もお茶目なおじい様。
でも、風が吹くとフラフラしたり、耳が遠いからか、言っている言葉が
聞き慣れるまで聞き取りにくかったです。
フラフラしながらも原チャリに乗る・・・少々心配になりました。

大阪は上映が終わってしまいましたが地方ではまだまだ上映中、これから上映
のところもあるようなので、是非ご覧ください!!










今日もすごい雷雨でしたね 
その分、夜は涼しいかなぁ・・・。
明日から岸和田のだんじり祭りです。天気回復してあげて~~~!! 
今週もあと1日、頑張りましょ 
では、また明日・・・ 



コメント
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