菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

共感よりも距離感。

2024年06月22日 01時47分57秒 | 映画のあれこれ

映画を楽しめるようにさせるのは、共感よりも距離感なのかもしれない。

主人公や題材や物語と観賞者自身との距離感の近さがあってから、ようやく共感の入り口に立てるのではないか。
同じ映像物語でも、メディアやその形式との親密さは単純接触回数で増す。
今は、映画というメディア自体との距離感が広がっていることが影響しているのかもしれない。
日本では、アニメ、ゲーム、TVドラマ、配信映像などが親密になり、ある種の実写映画は人々と距離をつくってしまった。
毎週の映画興行ランキングを見ても、10位以内に実写洋画は2本あれば多く、実写邦画は5本あれば多い、そして、アニメは5本以上あるのが、常態化している。
子供の頃からアニメに単純接触し続けて、アニメであることでまず共感しやすくなっているのであろう。

その点では、知っている誰か、知り合い、好感を抱く有名人が勧めていた、紹介していた、から、というのも強くなっているといえる。
元々、宣伝では口コミが強いとは、言われているが、それがこの情報過多の状況において、さらに強くなったのを感じる。
ネットのコミュニケーションがそれを後押ししているのは、当然としても。

もちろん、アニメだからといえど、そう簡単に共感にたどり着かないのは、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』などの原作ありでも尖ったアニメ映画が大きな興行的な成績を残せないことからも明らか。
だが、それでもちょっとした実写映画よりも成績を残していたりする。

アジアと特に日本の生活は特殊で、海外、特に西洋とはかなり違いがあり、なじみが薄い。
映っている者との距離感があるのだ。
洋画の日本語吹き替え版での寿永が増えたのも、字幕が読むのが障害になるというだけでなく、二hン語という親密さ、声を当てているキャストとの親密さを感じやすいというのはあるだろう。

 

 

 

 

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